誤解
《残響記録》――
対象に刻まれた過去の情報を文章として抽出し、本として書き起こすギフト。
本来なら知りようのない出来事に触れられる、世界の記憶そのものへ干渉する力だ。
だが、このギフトには制約がある。
少なくとも今の俺は、人間を対象に記録を引き出すための条件を満たしていない。
それなのに、ヴェイルの遺体からは記録を抽出できた。
そこから導き出される答えは、一つしかない。
――このギフトにおいて、遺体は“人”ではなく“物体”として認識される。
胸の内にこみ上げる興奮を押し殺しながら、俺は浮かび上がった半透明の本へ視線を落とした。
そこに記されていたのは、ヴェイルの死に際の記録。
だけど、その内容はあまりにも抽象的で、思わず眉間にしわが寄る。
内容を読み解こうと、思考を深く沈めようとした時だった。
「あなた、そこで何をしているの!」
鋭い声が、夜気を裂いた。
反射的に振り返る。
そこに立っていたのは、一人の少女だった。
月光を浴びて銀色にきらめく髪。
整いすぎているほど整った顔立ち。年齢は、俺より少し下に見える。
だが、目を奪われたのは見た目じゃない。
その少女が纏う、場違いなほど張り詰めた圧。
まっすぐ俺を射抜く青い瞳には、明確な警戒と敵意が宿っていた。
少女の視線が、俺、ヴェイルの遺体、そして手元に浮かぶ半透明の本を素早く見比べる。
「その人死んでるよね? その前で、何をしていたのか聞いているのだけれど?」
静かな口調だった。
だからこそ、その冷たさが余計に際立つ。
「……誤解だ。俺はただ通りかかっただけで――」
「その本は何?」
言い終える前に切り捨てられた。
少女は一歩、こちらへ踏み出す。
小柄な体格のはずなのに、その一歩だけで空気が変わった。
「質問を変えるわ。あなたはそこで何をしていたの?」
「だから、声を聞いてここに来ただけだ。そこで人が倒れているのを見つけて――」
「それで死体に触れて、妙なものを出した?」
「妙なものじゃない。これは俺のギフトだ」
少女の眉がぴくりと動く。
「なおさら最悪ね」
即答だった。
その目つきがさらに鋭くなる。
森の奥で遺体があり、それに触れ、未知の力を使っていた男。そう見えているのだとしたら、この反応も当然かもしれない。
「待て。これは――」
次の瞬間だった。
少女は腰の細剣を抜いたと思った瞬間には、もう目の前から消えていた。
「っ!?」
悪寒に突き動かされるまま、身体を捻る。
直後、左脇を鋭い風圧が掠めた。
鞄の紐が断ち切られ、地面に落ちる。
俺はそのまま転がるように距離を取り、すぐに立ち上がった。懐から魔道書を引き抜き、左手に構える。右手を少女へ向け、半身になって迎え撃つ姿勢を取った。
「おい! いきなり斬りかかるとかあり得ねえだろ!」
「ギフト保持者に対して後手に回るのは悪手よ。なにより、犯罪に手を染める者に情けをかける理由はないわ」
少女は一切ためらわず、剣先をこちらへ向ける。
……いや、だとしても殺意が高すぎるだろ。
それにこいつ、ただ強いなんてもんじゃない。
踏み込みも、剣速も、空気の圧すら異常だ。小柄な体のどこに、あれだけの出力が詰まっている。
魔力による身体強化か?
俺は魔道書を開き、右手の前に魔力障壁を展開した。
その瞬間、少女が再び詰める。
速い。
速すぎる。
振るわれた細剣を障壁越しに受け止める。だが――
「ぐっ……!」
一撃が、重すぎた。
衝撃が腕から肩へ、骨の奥まで突き抜ける。
身体ごと弾き飛ばされ、地面を転がる。魔力障壁を消してから、右手と右足でどうにか受け身を取り、すぐに体勢を立て直した。
右腕が痺れる。
まともに打ち合えば勝負にならない。
「待て! 本当に誤解なんだ! 俺はただ――」
「死体の前で怪しい行動をしていた男の言い訳を、素直に信じろと?」
「少なくとも斬りかかる前に、話を聞く努力くらいしてくれ!」
「質問はしたわ。あなたが信用できなかっただけ」
くそ……最初からまともに聞く気なんてないじゃないか。
だけど、このままじゃ本当にまずい。
実力差がありすぎる。
「……わかった。そこに俺の冒険者登録証が入ってる。まずはそれを見てくれ。身元を確認した上で拘束でも何でもしろ。ちゃんと話す機会をくれ」
地面に落ちた鞄を示すと、少女は目を細めた。
剣先は向けたままだが、わずかに圧が緩む。
「確認が済むまで、余計なことをしないで」
「ああ」
俺は敵意がないことを示すように、魔道書をその場に落とし、両手を上げた。
少女は警戒を解かぬまま位置を調整し、俺を視界に収めたまま鞄へ近づく。
そして、中から冒険者登録証を取り出した。
少女が登録証を掲げると、一本の青白い光がそこから伸び、俺へと届く。
光の糸が登録証と俺を繋いだ。
冒険者登録証には、魔力を流すと持ち主を指し示す魔法術式が組み込まれている。
偽造困難な特別製で、流れ者の冒険者にとっては何より確かな身元保証だった。
「職業……魔道書士。所属……《黎明の剣》。名前……ノア・フェルド……?
君がそうなの?」
少女の目が大きく見開かれる。
続いて、大剣とヴェイルの遺体へ視線を移し、もう一度登録証を見る。
「確かに……あなたの職業で大剣は扱わない。ギフトにも直接的な殺傷能力はない」
小さく呟いたあと、少女はようやく細剣を収めた。
「はぁ……だから言っただろ」
痺れる腕を押さえながら立ち上がる。
「それでも、俺がここにいることを不審に思うのはわかる。捜査には協力する」
そう口にした瞬間だった。
少女の視線が、俺の手元に残る半透明の本へ戻る。
「……もしかして」
さっきまでの鋭さとは別の熱が、青い瞳に宿る。
「今、そのギフトで……あの遺体から過去の記録を引き出したの?」
「あ、ああ……」
次の瞬間、少女はいきなりずいっと距離を詰め、俺の手をがしっと掴んだ。
「すごい! 対象は物だけだと思ってたのに、遺体にも使えるんだ!? それ、情報以上にとんでもないギフトじゃない!」
「は……?」
さっきまでの殺伐とした空気はどこへ消えたんだ。
別人かと疑うほどの豹変ぶりに、俺は言葉を失う。
しかも今の口ぶり――まるで前から俺のことを知っていたみたいじゃないか。
「ちょ、ちょっと待て。俺のことを知ってるのか?」
少女は一瞬きょとんとしたあと、にこっと笑った。
「うん。君のことは前から調べさせてもらってたよ。最優先スカウト対象だったから」
「……はあ?」
「ギフト、戦闘スタイル、人格、評判。ひと通り全部」
頭が追いつかない。
「お前、いったい何者なんだ?」
そう問い返すと、少女は俺の手を放し、すっと一歩下がった。
そしてケープを翻しながら振り返る。
ベレー帽のつばに指を添え、びしっとこちらを指差した。
「お前じゃないよ!」
得意げに胸を張る。
「わたしはリゼット。探偵だよ!」




