情報屋
パーティーハウスを後にした俺は、リゼットたちと別れ、路地裏にひっそりと佇むバーへと足を運んでいた。
昼間から開いているその店は、王都の裏事情に精通する者なら誰もが知る場所だ。
表向きは、ただの古びたバー。
だがその実、金さえ払えば表には出ない話を仕入れられる、情報屋としての顔を持っている。
まあ、俺がどうしてそんな店を知っているのかは、今はどうでもいい。
扉を押して中へ入ると、薄暗い店内に客の姿はなかった。
俺は迷わず、一番奥のカウンター席へ向かう。
情報を買いに来た客は、この席に座る。
それが、この店の暗黙のルールだった。
なんでも、この席の周囲には門外不出の魔法術式が施されており、ここで交わされる会話は外へ漏れないらしい。
とはいえ、周囲に他の客がいない今の状況は、俺にとって好都合だった。
「いらっしゃい。何にする?」
席に着くなり、口髭がよく似合うマスターが声をかけてきた。
「一番高いやつを、とびきり濃いので頼む」
それは、この店でだけ通じる合言葉だ。
意味は、金に糸目はつけない。普通では知り得ない、深い話が聞きたい。
マスターはグラスを磨く手を止め、わずかに目を細めた。
「……何が知りたい?」
「《不滅の残火》についてだ」
その名を出した瞬間、マスターの表情がほんの少しだけ動いた。
面倒な話を持ち込まれた、とでも言いたげな顔だった。
「また厄介な名前を出すな」
「知ってるんだな」
「この街でAランク上位パーティーの噂を知らん情報屋がいたら、看板を下ろした方がいい」
マスターは棚から一本の瓶を取り出し、琥珀色の酒をグラスに注いだ。
「どこまで知りたい?」
「金の流れだ。特に、ここ最近の変化」
特に当てがあったわけじゃない。
ただ、人間同士の争いや揉めごとの多くには金が絡む。冒険者同士なら、なおさらだ。
マスターはグラスを俺の前に置き、短く息を吐いた。
「なら、まずガルドの話からだな」
「ガルド?」
「ああ。《不滅の残火》の財布を握っていたのは、実質あの男だ。貧乏な田舎出身だからなのか、金には堅実だった。装備品、薬、宿、拠点維持費……必要なところには惜しまん。だが、遊興費や見栄のための出費は徹底して絞っていたらしい」
それは、事前に聞いていたガルドの印象とも一致していた。
「それに不満を持っていたメンバーはいたか? 例えば、ジェイク・オーウェンとか」
俺が尋ねると、マスターは口元だけで笑った。
「耳が早いな」
「今、直接会ってきたからな」
「あの手の男は、金を持てば使いたがる。酒、女、賭け事、装飾品。あいつにとって稼ぎは貯めるものじゃなく、見せつけるものだ」
「ガルドが生きている間は、それを抑えられていたと?」
「そういうことだ。実際、金の使い方を巡って、ガルドとジェイクは度々口論になっていたらしい」
マスターは淡々と言った。
「だが、ギガントバジリスク討伐に失敗してからだ。ガルドが死に、枷が外れたみたいに、ジェイクの金遣いが荒くなった」
俺は、グラスに伸ばしかけた手を止めた。
「具体的には?」
「高い酒を開ける。高級娼館に出入りする。装飾品を買う。賭場にも顔を出す。まあ、分かりやすい散財だな」
「パーティーの資金を使っていたのか?」
「そこまでは分からん。だが、個人の懐だけで済む額には見えなかった」
ギガントバジリスク討伐は失敗し、ガルドは死亡。
パーティーとしての活動も、事実上休止状態だったはずだ。
それなのに羽振りが良くなる。
どう考えても、おかしい。
「他には?」
「そこから先は、酒代だけじゃ足りん」
「構わない。聞かせてくれ」
即答すると、マスターは少しだけ楽しそうに笑った。
「本当に金に糸目はつけないらしいな」
「そう言ったはずだ」
「なら教えてやる。最近、《不滅の残火》は拠点を移す準備をしている」
「拠点?」
「今のパーティーハウスから、王都中心部に近い場所へな。家賃も維持費も跳ね上がる。あんな状態のパーティーが、普通は手を出す場所じゃない」
ガルドがいなくなったことで、金の使い方が変わった。
そして、その変化を一番喜びそうなのはジェイクだ。
だが、それだけで片づけるには、少し引っかかる。
「ジェイク以外ではどうだ。金の流れで目立つものはあるか?」
マスターは一瞬だけ黙った。
その沈黙に、俺は答えがあると感じた。
「エリシア・ルーン」
出てきた名前に、俺は目を細める。
「彼女が何か買ったのか?」
「ああ。ギガントバジリスク討伐の前だ。設置型の魔道具を大量に購入している」
「設置型?」
「一定の場所に仕掛けておき、条件を満たすと魔法が発動する類のものだ。罠にもなるし、防御にも使える。討伐任務で使うなら、別に不自然ではない」
たしかに、ギガントバジリスクのような大型魔物を相手にするなら、事前に戦場を整えるのは当然だ。
足止め、拘束、障壁、回復支援。
設置型の魔道具が役に立つ場面はいくらでもある。
「大量に、というのはどのくらいだ?」
「普通の討伐準備としては多い。戦場を丸ごと作り変えるつもりなら妥当。そんな数だ」
「曖昧だな」
「こっちも現物を見たわけじゃない。仕入れと支払いの流れから拾った話だ」
マスターはそう言ってから、少し声を低くした。
「ただし、妙な点がある」
「何だ?」
「彼女が買ったのは、完成品じゃない」
俺はグラスから手を離した。
「完成品じゃない?」
「ああ。術式が刻まれた魔道具ではなく、器だけの代物だ。使用者があとから自分で魔法術式を入れ込むタイプのものらしい」
完成品ではなく、空の器。
つまり、外から見ただけでは、何の魔法が発動するのか分からない。
「それだと、どんな目的で使うものだったのかも分からないな」
「そういうことだ」
胸の奥で、何かが引っかかった。
エリシアは攻撃魔法士であり、回復術士でもある。
魔法術式を扱える立場なら、そういった魔道具を使いこなせてもおかしくはない。
問題は、そこではない。
なぜ、完成品ではなく、あとから術式を入れ込む空の魔道具を選んだのか。
討伐のために必要だった。
そう考えれば自然だ。
だが、別の見方をすれば――何の魔法を仕込んだのか、外から分からないようにしていたとも取れる。
「その魔道具は、討伐後に回収されたのか?」
「さあな。そこまでは知らん」
「設置場所は?」
「それも分からん。だが、討伐任務に持ち込まれた可能性は高い」
マスターはグラスを磨きながら、何でもないことのように続ける。
「もっとも、設置型の魔道具なんてものは、戦闘が終われば壊れることも多い。魔物に踏み潰されることもあれば、発動後に焼き切れることもある。現場に残っていたとしても、普通はただの残骸扱いだろうな」
「……なるほど」
ガルドの死後、ジェイクの金遣いは荒くなった。
《不滅の残火》は、王都中心部への拠点移転を進めている。
そして、ギガントバジリスク討伐前、エリシアは魔法術式をあとから入れ込む、空の設置型魔道具を大量に購入していた。
疑うには十分だ。
だが、断定するには足りない。
「その魔道具を売った店は分かるか? 追加料金が必要なら払う」
「本当に遠慮がないな」
マスターはカウンターの下から紙片を取り出すと、店名と場所を書きつけ、俺の前へ滑らせた。
俺はそれを受け取り、懐へしまう。
「最後にもう一つ。《不滅の残火》内の人間関係について教えてくれ」
俺の言葉に、マスターは眉間をぴくりと動かし、ふんと鼻を鳴らした。
「はっきり言って、最悪だな。元々、金の使い方を巡ってガルドとジェイクの関係は良くなかった。そこにあの任務の失敗が重なって、完全に崩れた」
マスターはショットグラスを五つ、カウンターの上に並べていく。
そのうち二つを、寄り添うように近づけた。
「ガルドとリュカ・ハインツは恋仲だった」
「……本当か?」
「ああ。少なくとも、そう見られていた。だからガルドが死んでから、リュカの精神状態は目に見えて悪くなったらしい」
マスターは、寄り添わせていたグラスの片方を取り除いた。
「そして、リュカの怒りの矛先は、なぜかヴェイルに向かった」
残ったグラスを持ち上げ、離れた場所に置いていた別のグラスへ軽く当てる。
「その理由も聞くか?」
「いや、いい。そこは見当がつく」
ヴェイルがギフトを発動せず、ガルドを見殺しにしたこと。
おそらく、それだろう。
俺が断ると、マスターは肩をすくめた。
今度はひとつのグラスを、残りのグラスから少し離して置く。
「任務の失敗後、ヴェイルと残りのメンバーの間には明らかな溝ができた。対立、と言ってもいい」
「リュカもか?」
「いや。リュカはガルドを偲んでいた。怒りも悲しみも見せていたらしい。だが、残り二人については、そういう素振りはあまりなかったそうだ」
ジェイクとエリシア。
昨日と今日、実際に顔を合わせた俺にも、それは分かる気がした。
二人からは、仲間を失った人間らしい悲しみがほとんど感じられなかった。
少なくとも、ガルドの死を心から悼んでいるようには見えなかった。
「聞きたかったことは聞けた。助かった」
俺は代金を置き、席を立つ。
マスターは金額を確認することもなく、静かにグラスを磨き続けていた。
「忠告しておくぞ」
「何だ?」
「《不滅の残火》には、これ以上深く関わらん方がいい。あのパーティーは、今かなり危うい」
「……知っている」
「そうか。なら、もう一つだ」
マスターは俺を見ずに、低く言った。
「すでに死人が出ている、という噂もある」
俺は思わず足を止めた。
もうそこまで情報を仕入れているのか。
いったい、どんな経路で情報を手に入れているのだろうか。
「……忠告、感謝する」
それだけ答えて、俺は店の扉へ向かう。
外へ出ると、路地裏の空気は少し湿っていた。
胸の奥に残った引っかかりだけが、いつまでも消えなかった。




