第二の事件
王都の中央から少し離れた、一等地の端。
朝の空気は澄んでいた。
だが、人影はほとんどない。
わずかに人の気配が残っているだけの静けさが、かえって不気味だった。
リゼットに連れられてきたのは、その路地裏。
表通りからさらに外れた、人気のない場所だった。
「二人ともこっちよ」
現場にたどり着くと、エルナさんと数人の治安維持局職員が検証を進めていた。
リゼットは、布で覆われた現場の中心を見据える。
「……そこね?」
布をめくり、俺たち三人は中へ入った。
そこには、喉と口から血を流し、両膝から下、両肘から先を切り落とされたリュカ・ハインツの遺体があった。
ここに来るまでにリゼットから話を聞いたときは、自分の耳を疑った。
「昨日、彼女たちのパーティーハウスを夜通し見張っていたけれど、誰かが出入りした様子は一度もなかったわ。
日が昇ってもリュカが動く気配はなくて、一度屋敷へ戻ったの。
……その直後、この通報が入ったわ」
昨日、俺たちを襲ってきたと思われる人物が、翌朝には遺体となって発見される。
そんな展開、予想できるはずがない。
「発見したのは、向かいの店の店主よ。朝の準備をしている時だったみたい。
傷と武器の鑑定は、魔法とギフトの両方ですでに済んでいるわ」
道を挟んだ向かいの店を示しながら、エルナさんは告げた。
それを聞きながら、リゼットはリュカの遺体の横へしゃがみ込む。
「手足は見つかった?」
「いいえ、まだよ」
そのやり取りを見て、俺はふと気づいた。
エルナさんのリゼットに対する口調が、昨日までよりも少し砕けている。
これまでは俺がいるからか、主人に仕えるメイドとして一歩引いた態度を崩さなかった。
けれど今のエルナさんは、リゼットと対等に近い距離で話しているように見える。
昨日の夜、俺とも少し打ち解けたからだろうか。
いや、もしかすると――これが本来の、エルナさんとリゼットの距離感なのかもしれない。
「結果は?」
「喉元の傷は、この短剣によって付けられたものだそうよ」
エルナさんが示した短剣を見た瞬間、全身に鳥肌が立った。
胸の奥が冷え、そして一瞬で意識が目の前の現実へと引き戻される。
「それは……昨日の?」
俺の問いかけに、エルナさんはうなずく。
「ええ。暗かったけれど、近くで見たから間違いないわ」
それは、昨日俺たちを襲ってきた黒装束の人物が使用していた短剣だった。
やはり、俺たちを襲ったのはリュカだったのか?
「それで? 血液は?」
遺体から目を離さず、リゼットは問いかける。
「……短剣に付着していた血液は、リュカのものではなかったわ」
「ヴェイルの時と一緒だね」
二つの事件は、同じような状況を示していた。
遺体の近くにあった武器。
それが間違いなく凶器として使われているはずなのに、付着した血液は被害者のものではない。
明らかな矛盾だった。
「だけど、今回は四肢を切断しているのはなぜだ?」
ヴェイルの時と明らかに違うのは、遺体の惨状だった。
ヴェイルの遺体にあったのは、致命傷となった胸の傷のみ。
だが、今回事件でリュカの致命傷となった首の傷に加え、手足を切断されている。
「それは今の段階では分からないよ。だから――ノア、また頼むね?」
「ああ……分かった」
そう答え、俺はゆっくりとリゼットの向かいに回った。
リュカの遺体を挟むようにしてしゃがむ。
間近で遺体を改めて見ると、身体中の血液を凍らされたのではないかと思うくらい、全身が冷えた。
それでも、自分の務めを果たすため、俺は奥歯を噛みしめる。
「――対象、《リュカ・ハインツの遺体》。《残響記録》」
俺の指先が、冷え切ったリュカの肌に触れる。
次の瞬間、俺の手の中に光の本が現れ、文字を紡いでいく。
「リゼット」
俺が呼びかけながら手を差し出すと、リゼットは頷き、俺の手に触れた。
リュカ・ハインツは、光届かぬ石畳の奥で、災いと向き合っていた。
生きていれば、自分を破滅へ導くもの。
逃れなければならないもの。
それでも、退けなければならないもの。
リュカは刃を握り、抗おうとした。
だが、影は強く、抵抗は意味をなさない。
手足から力が抜け、握っていた刃が石畳に落ちる。
もう、逃げることもできない。
立ち上がることさえできない。
追い詰められた彼女へ、影が触れた。
その瞬間、均衡は崩れた。
倒れるはずのなかったものが倒れ、動けるはずのなかったものが立ち上がる。
そして、その喉へ刃を突き立てた。
血を吐き、息を乱し、石畳へ爪を立てる。
まるで、本来負うはずだった死が、遅れてその身へ追いついたかのように。
倒れ伏す影から、戸惑い立ち尽くす影へ。
やがて血は石畳に広がり、彼女の呼吸は消えた。
やはりというべきか、《残響記録》で記されたリュカの過去は抽象的なものだった。
だけど、その内容はヴェイルの時と似ているように思えた。
「これは、同じ犯人……なのか?」
俺が確認するように呟くと、リゼットはうなずく。
「そうだね……そう見えるね。リュカは何者かに襲われて、それを打ち倒した」
「だけど、ここで死んでいるのはリュカか……」
ヴェイルと同じように、致命傷を与えたはずのリュカがその場に倒れているような記述。
だけど――明らかにヴェイルの時とは違う点がある。
リゼットの方を見ると、彼女も眉間にしわを寄せながら首をかしげていた。
「リュカとヴェイルを殺した犯人が同じなら、なぜ今回は手足を切断しているんだ?」
「あ、ああ。うん。それはまだ分からないけど、可能性はいくつか考えられるよ」
リゼットは少し考えるように視線を落とし、それから俺を見た。
「鑑識の一部では使われている考え方なんだけど、ノアは指紋ってわかる?」
「指紋?」
「うん。人の指や足裏には、それぞれ細かな模様があるんだよ」
俺は自分の指先を見た。
「……本当だな。意識したことがなかった」
「この模様はね、人によって違うの。鑑識の魔法やギフトを使えば、誰が何に触れたのかを調べる手がかりになる」
「……つまり、個人を判別できるものになると?」
俺はリュカの切断された手足を見る。
「それが武器や現場に残っていれば、誰がその場にいたのか、誰が何に触れたのかを調べられる。そういうことか?」
リゼットは満足げに頷いた。
「うん! その通り。さっすが、理解が早いね!」
なるほど。
凶器を使ったのが誰か。
その場にいたのが誰か。
それが分かれば、犯人の目星をつけることができる。
だが――。
「それだと、おかしくないか?」
「うん?」
「犯人が自分の痕跡を消そうとするなら分かる。だけど、切られているのは被害者であるリュカの四肢だ。リュカの指紋を確認できない状態にする意味が分からない」
俺の疑問に、リゼットはこめかみに指を当て、うーんと唸った。
「そうなんだよね。だから今は、これだけ覚えておいて」
リゼットは、切断されたリュカの手足へ視線を落とす。
「手足は、ただの肉じゃない。そこには、その人が何を掴み、どこを歩き、何に触れたかが残る」
犯人自身ではなく、リュカの手足。
その指紋や足跡に残った情報が、犯人にとって都合の悪いものだったということか?
第一の事件、ヴェイル・アディス。
第二の事件、リュカ・ハインツ。
二つの事件に共通する、凶器と血液の矛盾。
そして、二つの事件を分ける明確な違い――四肢の切断。
それを解き明かすことが、犯人へ繋がる糸口になるのだろうか。
「次はこちらを」
エルナさんからすっと差し出された血のついた短剣。
それに俺は触れ、再びギフトを発動させた。




