メイドになった双剣姫
リゼットの屋敷へ戻り、客間へ場所を移してしばらく経った頃。
エルナさんが屋敷へ戻ってきた。
「ただいま戻りました」
「黒装束は?」
リゼットの問いかけに、エルナさんは申し訳なさそうに目を伏せた。
「申し訳ありません。完全に撒かれてしまいました」
その言葉に、俺は思わず目を見開く。
元Sランク冒険者、《双剣姫》。
その実力がどれほどのものか、俺はよく知っている。
「エルナが逃がすなんて、意外だね」
「ええ。相手は斥候でした。逃げに徹されると、さすがに厄介で」
なるほど。
本職の斥候が、闇夜の街で逃走に専念した場合、同じ斥候でもなければ追跡は難しい。
エルナさんは凄腕とはいえ、あくまで前衛のアタッカーだ。相性が悪かったのだろう。
「せっかく釣れたと思ったんですが……それなら仕方ありませんね」
「うん。それで、相手の実力はどれくらいだと思う?」
「Aランク上位。少なくとも、その程度の腕はあったかと」
それだけの実力者。
しかも、斥候。
このタイミングで俺を襲撃してくる相手となれば――。
「リュカ・ハインツ、か?」
俺が呟くと、リゼットもエルナさんも否定しなかった。
「可能性はかなり高いかもね」
「今すぐ、不滅の残火のパーティーハウスを見張りますか?」
「うん。でも、それは別の人員を当ててもいいんだよ? エルナも疲れてるでしょ?」
「いえ。逃したのは私の失態です。それに、相手は上位冒険者。現状では私が適任かと」
その時、エルナさんはちらりと俺の方を見た。
言葉にはしなかった。
けれど、俺が危険を冒して囮になったのにそれをにがしてしまった、そのことに責任を感じているのだろう。
それに、エルナさんの言う通り、黒装束がリュカ――Aランク上位の実力者だとすれば、下手な人員に任せるのは危険が大きい。
「そっか……まあ、エルナなら相手が誰でも大丈夫だしね。少し休んで準備を整えてからお願いできる?」
「かしこまりました。ではその前に、ノア様をお部屋へご案内し、屋敷の説明をさせていただきます」
まったく休む気がないエルナさんの発言に、俺は思わず口を挟んだ。
「い、いや、それはさすがに気が引けますよ。休んでください」
慌てて断ると、エルナさんはふっと柔らかく笑った。
「お気になさらず。私はメイドですので。お嬢様のお世話や屋敷の仕事をしている方が、よほど気分転換や休憩になります」
……仕事をすることが休憩?
もう、わけが分からない。
ただ一つ分かったのは、エルナさんが筋金入りのメイドだということだけだった。
「じゃあ、頼むね。わたしはもう限界だから、お風呂に入って寝るよ……」
リゼットは目をこすりながら、大きくあくびをした。
確かに遅い時間ではあるが、相変わらず自由なやつだ。
リゼットが自分の部屋へと戻ったあと、エルナさんに案内されて部屋へと向かう。そこに入った瞬間、俺はその広さに思わず足を止めた。
以前一度、王国の依頼で用意された最上級のスウィートルームと同じくらいの広さがある。
はっきり言って、落ち着かない。
唖然として入口で突っ立っていると、エルナさんの声が届いた。
「入浴は大浴場か、部屋に備え付けられたシャワー室をお使いください」
「部屋にシャワーまであるんですか……」
あれはかなり複雑な魔法術式と魔道具が必要な代物で、相当高価なものだと聞いたことがある。
「それでは、私は準備が終わり次第、リュカ・ハインツの監視へ向かいます。もう少しの間は屋敷におりますので、何かあれば私か給仕室の使用人へお申し付けください」
「エルナさん、本当に一人で大丈夫ですか?」
「ご心配には及びません。こう見えて、私、強いので」
エルナさんは、ふふっと余裕のある大人びた笑みを浮かべる。
「それはリゼットから聞きました。それでも、一人だと危険です」
「そうですか。それでも実際、私が一人で行うのがよろしいかと」
その言葉を聞きながら、正直、俺自身もエルナさんが一人で動く方がいいと思っていた。
今の俺では大した力にはなれない。
かといって、リゼットとエルナさんの二人が監視に出れば、屋敷に残された俺が襲われた時にひとたまりもない。
なら三人で行くかといえば、それこそ論外だ。監視にぞろぞろ人数を連れていけば、警戒されるだけで効率も悪い。
結局のところ、原因は一つだ。
今の俺には、力がない。
足手まといになっている。
「そうですね……戦闘になったら、俺は足手まといですし。捜査の方でしっかり働いてみせます」
そうだ。
リゼットは俺のギフトに価値を見出した。
戦闘で役に立てなくても、そこで活躍すればいい。
そうやって俺の価値を――証明しなければ。
「ノア様」
エルナさんの静かだけどどこか温もりを感じる声に、思考が遮られる。
「最初に申し上げた通り、難しく考えなくてもよろしいのですよ」
最初に言われたこと。
それが今朝、契約の時に交わした言葉だと気づく。
「戦うことだけ、役に立つことだけが、人の価値ではありません」
「……っ」
息が詰まった。
本当にこの人は、心を見透かす力でもあるのだろうか。
あまりにも的確な言葉に、俺は一瞬、返事ができなかった。
「……エルナさんは、人の心を読めるんですか?」
冗談めかして返したつもりだった。
けれど、声は少しだけ掠れていた。
そんな俺に、エルナさんは優しく語りかける。
「いえ。ただ、かつて同じように悩んでいた方を知っているので」
それはあなたですか。
そう聞くのは、なんだか無粋な気がして、俺は口をつぐんだ。
その代わりに、ずっと気になっていたことを口にする。
「エルナさん、一ついいですか?」
「はい。なんでしょう?」
「俺のこと、様付けはやめてください。あと、敬語も」
年上の人に様付けや敬語を使われるのは、どうにもむず痒い。
それに、彼女の生い立ちと、その苦悩の欠片を知ってしまったせいか、余計にそう感じるようになっていた。
エルナさんは少し目を丸くしたあと、ふっといつもの余裕ある笑みを浮かべる。
「ですが、私はメイドです。お客様に対して、そのような態度は取れません」
「なんとなく、年上の人からそう扱われるのが苦手というか……。一緒に事件を追うなら、少しやりづらいというか」
俺が引く気がないと悟ったのだろう。
エルナさんは困ったように頬へ手を当て、「うーん」と小さく唸った。
「そうですか。では、一つ条件を出しても?」
「条件?」
「ノア様も、私への敬語をやめることです」
「いや、それは……」
予想していなかった条件に言い淀むと、エルナさんはどこか意地悪そうに目を細めた。
「相手に何かを求めるなら、自分も相手の求めを受け入れるべきでは?」
……やっぱり、この人には敵わない。
「はあ……分かったよ、エルナさん。これでいいか?」
「ええ。いいわ、ノアくん」
「ノアくん!? いや、呼び捨てでいいって」
いきなりの呼び方に、妙に胸が跳ねる。
無性にむず痒い。
「あら、どうして?」
「どうしてって……恥ずかしいだろ」
「ふふ。ノアくん、可愛いわね。お姉ちゃんって呼んでくれたら、呼び捨てにしてあげる」
「なんでだよ!」
お姉ちゃん呼びなんて、意味が分からない。
そんな俺の反応を見て、エルナさんはとても楽しそうに笑っている。
さっきまでの礼儀正しいメイドの顔ではなく、年上の女性が弟をからかうような笑みだった。
「それじゃあ、改めてよろしくね。ノアくん」
「ああ……よろしく、エルナさん」
ただ敬語と様付けをやめてもらうだけのはずだった。
けれど、エルナさんもまた、リゼットとは違う意味で俺を振り回してくれる人なのだと分かった。
だけど、こんなやり取り一つで、リゼットやエルナさんの仲間に少しだけ近づけた気がするのだから、不思議なものだ。
あまりにも濃い一日は、悪くない気分のまま終わった。
***
翌朝。
目を覚ました俺の目に見慣れない天井が飛び込んできて少し戸惑ったあと、リゼットの屋敷に泊まったことを思い出した。
――コンコン
「ノア、起きてるかしら?」
ドアのノックと共にリゼットが呼び掛けてくる。
「ああ、ちょっと待ってくれ」
簡単に身なりを整えてから、ドアをあける。
「早いな、どうした?」
リゼットは彼女らしからぬ神妙な面持ちで俺をみる。
「遺体が発見されたわ……」
リゼットの言葉にまだ眠気の残る頭が、一瞬で冷える。
「……誰の遺体だ?」
「行きながら話すわ」
その言葉に、嫌な予感だけが胸の奥へ沈んでいった。




