エルナの過去
表通りへ戻った俺とリゼットは、人気のなくなった街道を並んで歩いていた。
遠くに見える街灯の明かりだけが、ぽつぽつと石畳を照らしている。
昼間はあれほど賑わっていた通りも、今は嘘のように静まり返っていた。
「全くもう……自分を囮にするなんて言った時はびっくりしたよ」
リゼットが少しだけ非難するような声色でぼやく。
「結果的に上手く行ったからいいだろ?……それで、エルナさんが天狼の旗の双剣姫っていうのは本当なのか?」
リゼットの言葉を待ちきれず、俺はそう切り出した。
《双剣姫》。
その二つ名は、冒険者なら誰でも知っている。
特に、俺たちの世代にとってはなおさらだ。
俺やレインたちが冒険者になったばかりの頃、王国に存在したSランク冒険者パーティーは、たった一つだけだった。
王国最強と呼ばれた冒険者パーティー。『天狼旅団』
その中でメインアタッカーを務めていた仮面をつけた本名、素顔不明の謎の最強剣士の二つ名を、知らない者はいない。
「本当だよ。エルナは、そのパーティーにいたの」
「……まさか、エルナさんが」
思わず、そんな言葉が漏れた。
もちろん、《双剣姫》の名は知っていた。
けれど、俺の知っている《双剣姫》は、王国最強パーティーの一員として語られる存在だ。
リゼットの屋敷で淡々と紅茶を淹れ、完璧な所作でメイドとして振る舞うエルナさんを思い出す。
「メイド姿が完璧過ぎて、全然冒険者のエルナさんをイメージできないな」
「だよね~メイドとしての誇りなのか、他の人がいる前だと凄くかしこまるんだよね。
別に気にしないから二人の時みたいに接してくれたらいいのに」
時々リゼットのこと呼び捨てにしたり、メイドらしからぬ圧を放つときがあったけど、基本的には丁寧な言葉遣いを崩さなかった。
そこは公私をしっかり分けているのだろう。
ふっとリゼットは無邪気な笑顔から真剣な顔つきになる。
「エルナはね、幼い頃から冒険者だったんだ」
そして、前を向き静かに話し始めた。
「お父さんがパーティーのリーダーで、エルナも小さい頃からそのパーティーに同行していたの。剣を教わって、戦い方を覚えて……いつの間にか、正式なメンバーになっていたんだって」
「……子どもの頃から、か」
「うん。だから、エルナにとってあのパーティーは、仕事仲間というより家族だったんだと思う」
その言葉に、俺はすぐには返事ができなかった。
家族同然のパーティー。
その意味は、嫌というほど分かる。
少なくとも昨日までの俺にとって、《黎明の剣》はそういう場所だった。
「わたしも、昔からエルナとは知り合いだったんだよ。あのパーティーは王家や政務庁、貴族からの依頼を受けることも多かったからね。エルナとは、その頃から何度か顔を合わせてたの。
大人たちが重要な話をしているときはいつもわたしの遊びに付き合ってくれてたよ」
「……なるほどな」
リゼットとエルナさん。二人の間にある主従とは違う距離感の理由が、少しだけ分かった気がした。
「でも、二年前に全部変わっちゃった」
リゼットの声が、わずかに低くなる。
二年前。
その言葉だけで、俺にも何の話か分かった。
「……未曽有のスタンピードか」
「うん」
王国全土を震撼させた、原因不明のモンスターの大行進。
森から、山から、谷から。
まるで何かに追い立てられるように、モンスターの群れが王都方面へ押し寄せた。
あのときは、王国中の冒険者と騎士団が総動員された。
俺たち《黎明の剣》も、Aランクに上がったばかりだったが、防衛戦に参加している。
今でも覚えている。
押し寄せるモンスターの群れ。
鳴りやまない怒号。
崩れていく防衛線。
傷ついた冒険者たちの悲鳴。
あれは、戦場なんて生やさしいものじゃない。
まさしく地獄だった。
「その中に、一体だけ、異常なモンスターがいた」
リゼットの言葉に、俺は小さく頷く。
「知ってる。俺たちも遠目に見た」
山のような巨体。
視界に入るだけで背筋が凍るような威圧感。
通常のモンスターとは明らかに違う、災害そのもののような存在。
思い出すのも悍ましい異形の姿は今でも覚えている。
Aランクになったばかりの俺たちでは、近づくことさえ許されなかった。
「あれを討伐したのが、エルナたちのパーティーなの」
「……ああ」
討伐成功の報せは、戦場中に広がった。
あの瞬間、王都は救われたのだと誰もが思った。
けれど、その代償も知っている。
「エルナさん以外、全滅したんだよな」
リゼットは黙って頷いた。
夜風が、俺たちの間を通り抜けていく。
「エルナのお父さんも、そのときに亡くなったの。仲間も、全員。残ったのはエルナだけ」
「……」
「パーティーは解散。王国からは勲章も出て、英雄だって讃えられたよ。でも、エルナはそんなもの、何一つ欲しがらなかった」
リゼットの横顔から、いつもの明るさが消えていた。
「エルナはね、戦うことしか知らなかったんだと思う。小さい頃からずっと冒険者で、ずっと仲間と一緒に戦ってきたから」
だから、すべてを失ったあと、どう生きればいいのか分からなかった。
リゼットの言葉を聞きながら、俺はそう思った。
「それでもエルナは、休まずに依頼だけは受け続けたの。たった一人でね。危険な依頼ばかり選んで、誰よりも前に出て、誰よりも傷ついて……それでも、淡々と帰ってくる」
「……死に場所を探していたみたいだった、ってことか」
俺がそう呟くと、リゼットは少しだけ目を伏せた。
「ううん。多分、少し違うと思う」
「違う?」
「きっと、それでしか自分の価値を見いだせなかったんじゃないかな」
その声は、小さかった。
俺は、無意識に拳を握っていた。
完全に分かるなんて、とても言えない。
けれど、その一端だけなら、今の俺にも想像できてしまった。
居場所を失った人間が、自分に残された役割へしがみつく気持ち。
それがどれだけ痛々しいものなのか、今なら分かってしまう。
「だから、わたしはエルナをメイドとして雇うことにしたの」
「……なんでメイドなんだ?」
「うーん。戦うこと以外にも選択肢があるって、知ってもらいたかったからかな」
リゼットはそこで、ようやく少しだけ笑った。
「最初は断られたよ。自分は家事なんてできない。人に仕える作法も知らない。剣を振ることしかできないって」
「……今のエルナさんからは想像しにくいな」
「でしょ? でも本当。紅茶もまともに淹れられなかったし、掃除も力任せで物を壊すし、料理は……うん。あれは事件だったね」
「事件扱いなのか」
「ギフト犯罪対策課ができる前でよかったよ」
そう言って、リゼットは冗談めかして肩をすくめた。
その軽口に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ緩む。
「でも、うちに来てから、少しずつ変わったよ。戦うこと以外も覚えて、誰かを守るためじゃない時間を持てるようになって……笑えるようになった」
「……そうか」
「だから、わたしはエルナに無茶をさせたいわけじゃない。でも、エルナが自分で選んで、わたしの隣にいてくれているなら、その力を信じたいの」
俺は、リゼットの横顔を見る。
彼女は前を向いていた。
けれどその表情は、いつもの自信満々な探偵ではなく、どこか頼りない年相応の少女にも見えた。
「お前、エルナさんのこと大事なんだな」
「当たり前でしょ」
即答だった。
「エルナは、わたしの大切なメイドで、護衛で、家族みたいな人だから」
家族みたいな人。
その言葉が、胸の奥に残った。
「エルナが、もう自分に戦う以外の価値なんてないみたいな顔をしてたから。そんなの、嫌だったの」
「……」
「だから、無理やりでも連れてきた。戦うしか知らないなら、戦わなくてもいい時間を覚えればいい。居場所がなくなったなら、新しい居場所を作ればいい。そう思っただけだよ」
その言葉を聞いて、俺は思わず苦笑した。
「強引だな」
「探偵だからね」
「探偵は関係ないだろ」
「あるよ。行き場をなくした真実を見つけて、ちゃんとあるべき場所に戻すのが探偵でしょ?」
「……お前の探偵像、独特だな」
俺は呆れ半分にそう言ってから、少しだけ笑った。
「だけど、悪くない。そういう探偵も」
リゼットは小さく笑った。
その笑い方は、いつもの無邪気なものに少しだけ戻っていた。
エルナさんを放っておけなかったように。
俺のことも、放っておけなかったのかもしれない。
そう考えると、胸の奥が少しだけむず痒くなった。
この小さな探偵は、本当に人の事情に遠慮なく踏み込んでくる。
だけど――。
その強引さに、俺自身も少しずつ救われつつあるのかもしれない。
そんなことを、夜風に吹かれながら思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
物語の途中ですが、ここで作品は完結となります。
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(※本作は全44話構成予定です。小説家になろうではこの回をもって完結としていますが、掲載方針は今後変更となる場合があります)




