不可解な少女
夜の森に、焚き火だけが灯っていた。風もなく、炎は自然と揺れている。
枝の燃えるパチパチという音が辺りに響く。
シュレムは何を考えるわけでもなく、炎の揺れを見つめていた。
突然、頭から背中にかけて、ゾワゾワと、背筋をなぞるような感覚が走った。
また来た、と思った瞬間、頭の奥に声が響いた。
『シュレム……ねえ……シュレム…………わたし……』
ナタリアの声だった。
毎回そうだ。ナタリアの声だとわかるのに、意味は通らない。こちらの問いには答えず、一方的に言葉だけを残していく。
「くそっ……またか」
シュレムは頭を振った。いくら振っても声が消えない。それでも振らずにはいられなかった。
しばらくして、ようやく声が消えた。
落ち着きを取り戻すと、シュレムはフッと息を吐いた。
森が本来の静寂を取り戻す。しかし、その静寂も長くは続かなかった。
ふいに、茂みの向こうに気配が感じられた。追手かもしれないと思った。しかし距離はまだある。
シュレムは静かに体を起こし、手首の腕輪に目を落とした。腕輪の表面に光が二本、安定して灯っている。
「我が名はシュレム、火の精霊使い。ゼリニシア、接続を」
低く短く、必要なだけ口にした。
手首の腕輪が、赤い色で淡く輝き出した。
「よし、コネクト。これでいつでもコマンドが打てる」
追手でも、魔獣でも、何が出てきても問題ない。すべて焼き払う準備は整っている。
最大限に警戒を保ったまま、何が現れるのかをじっと待つ。やがて茂みが揺れた。
だが、想定していたすべては見事に外れた。
出てきたのは、少女だった。
整った顔立ちだが、頬が薄汚れていた。髪は乱れ、顔にも腕にも土がついている。
背中には大きな荷物を背負っている。その上から、どう見ても不釣り合いな大剣が突き出ていた。
それらを担いで、森を歩いてきたようだった。
少女は焚き火を見て、それからシュレムを見た。身構えているシュレムの姿にも、特に反応しなかった。
ただゆっくりと焚き火に視線を戻し、そのまま立ち尽くした。
そして——
「……おなかすいた」
そう言い残して、少女はそのまま、倒れた。
シュレムの目の前で、少女は黙々と食べている。
追われている身で、他人と関わるのは避けていた。面倒だとは思ったが、見捨てる事はできなかった。
とりあえず干し肉を渡したが、少女は地面に座ったまま何も言わずに食べた。
あっという間になくなったので、乾パンを出したが、すぐにそれもなくなった。
水を飲んでも手が止まらず、シュレムが持っていた携行食をほぼ全部出し終えたところで、ようやく動きが止まった。
「……たりない」
「……」
「でも、たすかった」
シュレムが持っていた携行食をほぼすべて食べきった少女は、そう言って頭を下げた。
シュレムはしばらく少女を見ていた。
薄汚れていなければ印象が違ったかもしれない、と思った。
それより、大剣の方が気になった。少女には明らかに不釣り合いで、それを背負って夜の森を歩いてきたことが、どうにも引っかかった。
その違和感を振り払うように、シュレムは口を開いた。
「……どこから来た」
「ひとりの旅、はじめてだから」
少女は少しだけ首を傾げて、そう言った。
問いへの返事にはなっていないが、シュレムは何も言わなかった。
少女はしばらく焚き火を見つめていたが、小さく「……サリエナ」と言った。
名前か、とシュレムは思ったが、そのまま聞き流した。
どう考えても少女は怪しすぎた。だが、腹を空かせた相手を放っておくこともできなかった。
夜はすっかり更けていた。
「俺はそろそろ休む。悪いが対人結界を張らせてもらう」
そう言うとシュレムは詠唱をはじめた。
「我が名はシュレム、火の精霊使い。ゼリニシア、接続を。よし、コネクト」
シュレムの手首の腕輪が淡く光りだす。その様子を少女はじっと見つめていた。
「追われてるんだ。お前を疑うわけじゃないが、理解してくれ。結界の中には誰も入れない。お前は結界の外で寝てくれ」
「……わかった」
少女はそう返事をすると、自分の荷物から毛布を取り出した。
「コマンド——対人結界を展開。俺を中心に半径3m。結界強度は大」
無防備に休むほど、自信家ではない。シュレムのまわりに淡く光るドーム型の結界が展開した。
結界の外に目を向けると、少女が毛布にくるまるのが見えた。彼女は特に気にした様子もなく、ただ静かに横になった。
シュレムも横になり、目を閉じた。
疲れていた。裁判の日からこっち、まともに眠れた夜がない。呪いが体の中で暴れるたびに、ナタリアの声が来るたびに、目が覚める。
それでも眠らないわけにはいかない。目を閉じたまま、少しずつ意識が薄くなっていった。
そのとき、ふいに声がした。
「……おやすみ」
少女の声だった。
シュレムは驚いて跳び起きると、声がした方へと視線を向けた。
少女が結界の中に顔を入れて、覗き込んでいた。
「……は?」
シュレムはすぐに結界の状態を確認した。
結界は正常に機能している。破られた形跡はない。
そもそも、干渉された気配すら感じられなかった。
「どういうことだ……」
しばらく考えたが、答えがわからない。
少女は踵を返すと、ふたたび毛布にくるまって横になった。
しばらくして、スヤスヤと寝息を立て始めた。
シュレムは茫然とその様子を見つめていた。考えても考えても、答えはでない。
「……やめだ」
答えは出そうにない。今夜は諦める。そう決めて目を閉じた。
動く者が無くなり、焚き火だけがゆらゆらと揺れていた。
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※作者のひとことまとめ
1.シュレムは呪いを受けている
2.サリエナの大剣はグレートソード
3.シュレムの対人結界を覗き込むサリエナ




