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呪いを受けた精霊使い、魔法が効かない剛腕少女と旅をしたら世界がバグりはじめた 〜ゼリアス神話〜  作者: 遠崎カヲル
旅のはじまり

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12/18

見たくなかったもの

 ナタリア・コレットと初めて会ったのは、シュレムが神殿に入って四年目の春だった。

 シュレムが所属する支部神殿ノードの新しい職員として紹介された。

 

 初めての会話は向こうからだった。陽気で明るく、よく笑う人で、気づいたら、会うたびに話すようになっていた。

 気遣いができて、こちらの話をちゃんと聞いてくれる人だった。シュレムが饒舌になりすぎても、呆れた顔ひとつしないで聞いてくれた。

 

 出会ってから三年が経っていた。

 結婚が決まったとき、ナタリアは泣いた。泣きながら、一番の笑顔を見せた。

 その表情にシュレムは何も言えなくて、ただその手を握っていた。

 


 

 それは、結婚式を三ヶ月後に控えたある日のことだった。

 

 その頃、神殿の仕事が立て込んでいた。大規模な精霊接続の調整作業が複数重なり、シュレムは連日深夜まで神殿に詰めていた。

 帰宅しても仮眠を取るだけで翌朝にはまた出向くような日々。ナタリアとは、もう二週間以上まともに顔を合わせておらず、短い文のやり取りだけが続いていた。

 

「忙しい、すまない、もう少し待ってくれ」

 

 ナタリアはいつも、「わかった」、と一言だけ返してきた。

 責めるでもなく、寂しがるでもなく、ただわかった、と。それがかえって胸に引っかかることもあったが、今は考える余裕もなかった。

 


 

 その夜、ようやく自室に戻ったシュレムは、外套も脱がないまま寝台に倒れ込んだ。

 身体の奥まで疲れが染みていて、目を閉じると意識がすぐに遠のいていくのがわかった。今夜こそちゃんと眠れる、そう思った瞬間だった。

 

「大聖堂に行ってみて」

 

 どこからともなく、声が聞こえた。聞いたこともない女の声で、誰の声かはわからなかった。

 夢の入り口で拾った幻かとも思ったが、やけに鮮明で、耳の奥に張り付いて離れなかった。

 なんとなく胸騒ぎがした。シュレムは目を開けて天井を見つめた。

 馬鹿らしい、と思った。疲れているだけだ、と思った。

 それでも足が動いた。

 

 夜の神殿区画は静かで、石畳を踏む自分の足音だけが響いた。

 歩きながら、シュレムは何をしているのかわからなかった。理由があって動いているわけではなかった。ただ胸の奥の騒ぎが収まらなくて、確かめなければ眠れない気がした。

 大聖堂が近づくにつれて、その胸騒ぎは静まるどころか大きくなっていった。

 重い扉に手をかけると、隙間から明かりが漏れていた。

 

 扉を開けた。

 

 シュレムは最初、何を見ているのかわからなかった。

 燭台の揺れる光の中に、人影が二つあった。一つはシュレムの知っている同僚、ラルフ・エインズ。そして、もう一つは、ナタリアだった。

 

 二人は、生まれたままの姿で絡み合っていた。

 

「おまえら、何してるんだ」

 

 自分の声とは思えなかった。

 ナタリアがこちらを振り向き、そして目が合った。

 

 ナタリアは笑っていた。

 

 しかし、それはシュレムの知らない笑い方だった。

 唇の端が歪んで、目だけが笑っていない、見たことのない表情だった。三年間、毎日顔を見てきた相手の、一度も見せたことのない表情だった。

 ナタリアは何も言わないまま身を翻して、礼拝堂の奥の扉から走り去った。

 

「シュレム、これは違うんだ、ナタリアが——」

 

 ラルフが何か言いかけたが、シュレムの拳が、それより先に動いていた。

 鈍い音がして、ラルフが床に崩れた。何を言われても聞く気になれなかった。

 

 ナタリアを追って、シュレムは走った。廊下を走り、階段を駆け下り、神殿の外に出て夜の街を走った。

 精霊感知を展開しながら名前を呼び続けたが、どこにも気配がなかった。ナタリアの足取りは、大聖堂を出た場所で完全に消えていた。

 

 翌日から、神殿の空気が変わった。シュレムが廊下を歩くと、同僚たちの視線が微妙にずれた。話しかけてくる者はいなかった。

 殴られたラルフは療養中で、事情を知っている者は限られているはずだった。それでも何かが伝わっていた。

 捜索の指示を受けて動く神官たちの中で、シュレムだけが別の空気に包まれているような気がした。

 それでも探し続けた。翌日も、その翌日も。非番の時間をすべて使って街を歩き回った。しかしナタリアはどこにもいなかった。

 



 何日かが過ぎた。

 シュレムは自室で暗い天井を見つめながら、どうして、という言葉だけを頭の中で転がし続けていた。

 信じたかった。しかし見てしまった。あれが現実だとしたら、あのナタリアの笑顔は何だったのか。一度も見たことのなかったあの歪んだ笑顔は。

 整理しようとするたびに思考が止まって、また同じ場所に戻ってきた。答えを出せないまま、時間だけが過ぎていった。

 

 ふいに扉を叩く音がした。

 

「グランベル殿、ナタリア・コレット殿が——」

 

 伝令の声が言い終わる前に、シュレムは走り出していた。

 

 場所は神殿区画の外れだった。人垣をかき分けて進んで、シュレムは立ち止まった。

 

 ナタリアがいた。

 変わり果てた姿で。

 

 首には、縄の跡があった。

 膝から力が抜けた。その場にしゃがみ込んで、周囲の声が遠くなった。

 誰かが何かを言っていたが、何も聞こえなかった。

 ただ一つだけが、頭の中に残り続けていた。

 

 おかしい。何かが、おかしい。

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