呪いの余韻
静寂が戻ってきた。
風も、虫の声も、遠くの街のざわめきも、すべてが元の場所へ収まるように戻ってきた。さっきまでそこにあった暴力の気配だけが、嘘みたいに消えていた。
シュレムは地面に片膝をついたまま、しばらく動けなかった。
呪いが引いていくのがわかる。潮が引くように、ゆっくりと、しかし確かに。身体を締め付けていたものが緩み、手足の感覚が戻ってくる。
内側に絡みついていたものが離れていく。安堵と、言いようのない嫌悪が残った。
シュレムは、立ち上がる気にはなれなかった。骨の芯まで力が抜けたような感覚が残っていて、少し動くだけで全部こぼれてしまいそうだった。
足音が近づいた。小さな、遠慮がちな足音だった。
「……大丈夫?」
サリエナが目の前にいた。大剣はもう鞘に収まっている。いつも通りの表情で、ただ、まっすぐこちらを見ていた。
「ああ……」
答えながら、シュレムは自分の声が思ったより掠れていることに気づいた。地面に手をついて、ゆっくり立ち上がる。膝が笑っていて、思わず倒れそうになる。
情けない話だ。
サリエナは手を差し伸べようともせず、ただそこに立って待っていた。
シュレムは彼女を見た。改めて、正面から。
火球を素手で払った少女。大剣を片腕で振り回して、訓練を積んだ精霊使いたちをまとめて吹き飛ばした少女。
そして今、呪いで動けなくなった自分の前に、何の躊躇もなく立った少女だ。
理解が追いついていない。それでも、何かを言わなければならない気がした。
「……すまん」
喉の奥から絞り出すように、シュレムは言った。
「助かった。お前がいなかったら、終わってた」
サリエナは少し間を置いた。
「……そう」
それは、あまりにもそっけない返答だった。
しかしシュレムが視線を向けると、彼女の耳が薄く赤くなっているのがわかった。よく見れば、頬もわずかに色づいている。
表情は動かないが、身体は、本人の意思とは無関係に正直だった。
(もしかして、照れてるのか?)
そう思ったが、それを口には出さなかった。この状況で指摘できるほど、自分はまだ回復していない。それに、なんとなく言わない方がいい気がした。
サリエナは少し俯いて、それからまた顔を上げた。
「……きみ」
「何だ」
「さっき、どうした?」
核心だった。遠回しな質問ではなく、ただ真っ直ぐに問うてくる。シュレムは一度、深く息を吐いた。
「俺は呪いを受けている。あれが……俺の呪いだ」
言葉にした瞬間、喉が詰まった。口にしたくなかった言葉を、自分で引きずり出した感覚だった。表情が自分でも歪むのがわかった。うまく制御できず、どうにもならない。
「……つらい?」
サリエナの声は変わらなかった。責めているわけでも、哀れんでいるわけでもない。ただ聞いていた。
シュレムは少しの間、返事をしなかった。
神殿にいた頃は、つらい、などという言葉を使う場所がなかった。弱さは評価の外に置かれ、ただ結果だけが残った。
逃げている間は、そういう言葉を使える相手がいなかった。語る相手がいなければ、言葉は内側で沈んでいくだけだった。だから答え方を、少し忘れていた。
「ああ」
シュレムは短く、そう答えた。本当のことだった。
サリエナは黙っていた。その沈黙は、シュレムにとって圧力ではなかった。ただ、そこにある静けさだった。
しばらくして、彼女が言った。
「……話す?」
一拍置いて、続ける。
「聞くよ」
強制するような言い方ではなかった。ただ、話すなら聞く、という提示だけがそこにあった。
シュレムは迷った。語るべき理由も、語らない理由も、同じくらいあった。この少女に何かを話しても、何かが変わるわけではないと思った。
整理できていないことを口に出すのは、自分の流儀ではない。言葉にする前に理解してから話す、それがシュレムのやり方だった。しかし今は、何も整理できていない。
それでも。
「……そうだな」
口が動いた。サリエナは何も言わずに、その場に腰を下ろした。膝を抱えて、シュレムの方を向いたまま待っている。
シュレムは空を見上げた。雲が流れていた。どこか遠くで、鳥が鳴いた。その声がやけに遠く感じられた。
「少し前の話だ」
声に出すと、言葉が続いた。
「俺には、ナタリア・コレットという婚約者がいた」
シュレムの口から、思い出したくない過去が語られ始めた。
次回より、シュレムの回想シーンです。
シュレムがなぜ呪いを受けたのかが語られます。




