第297話 『闇夜を焼く炎』
開戦から2日めの夜。
夜更けの新都の作戦本部ではブリジットとクローディア、そしてオーレリアとウィレミナが2交代で休憩を取るようにしていた。
まだ皆、体力に余裕はあったが、それでも適度に休息を取らなければいずれ倒れてしまうだろう。
「ブリジット。交代よ。少し眠って」
「どうぞお休み下さい。ここは4時間ほどワタシとクローディアで守りますので」
自身の休憩から戻って来てそう言うクローディアとオーレリアに頷き、ブリジットはウィレミナを伴って作戦本部のすぐ裏に建てられている休憩用の天幕へと引き上げていく。
ウィレミナはブリジットの後について天幕へと入った。
平時ではないので、眠るときもブリジットと同室だ。
天幕の中では小姓たちが疲れに効くさわやかな香りの茶を淹れて、2人に差し出した。
ウィレミナはそれを受け取って飲むが、まだ緊張で目が冴えてしまっている。
疲労回復のために睡眠は重要だが、とても眠れそうにない。
そんな彼女を見てブリジットが静かに言った。
「ウィレミナ。少し自分を解放してやれ」
「えっ?」
「そんなふうに気を張り詰めたままだと、いざという時に頭が働かなくなるぞ。それが判断の誤りに繋がり、戦場では命取りになることもある。ユーフェミアが生きていたら、きっとそう言ったはずだ」
ブリジットの言葉にはウィレミナは静かに息を吐いた。
「……はい。そうですね。おそらくユーフェミア様はそう仰ったと思います。ですがブリジット。不安なのです」
そう言うウィレミナの気持ちを察して彼女は黙って続きを促す。
ウィレミナはそんなブリジットの目を静かに見つめて口を開いた。
「アタシではユーフェミア様の……母様の代わりは務まらない。きっと母様でしたらもっと良い方法で街を守れるはずです。被害ももっと少なく済んだはず。オーレリア様も補佐役が未熟なアタシで、さぞかし悩まれていることかと思います」
「ウィレミナ……」
ブリジットは茶をゆっくり飲んで体が温まるのを感じながら、悩むウィレミナを見つめる。
ウィレミナは間違いなくユーフェミアの後継者たりえる人物だ。
確かに彼女は未熟であろうが、それは常人を遥かに凌駕した水準での未熟さであり、ウィレミナが文武共に非常に優れた人物であることをブリジットは良く知っている。
だが彼女の不安な気持ちも分かるからこそブリジットは穏やかな声で言った。
「おまえも知っている通り、ユーフェミアは若い頃から全てをこのダニアのために捧げ、間違いなく我が一族のために誰よりも尽くしてきた。それが行き過ぎてアタシとぶつかったんだがな」
少し懐かしむような口調でそう言うと、ブリジットは茶をテーブルにコトリと置いて話を続ける。
「今すぐこの戦で、おまえにユーフェミアの代わりをしてもらおうとは思わん。というかアイツの代わりなど誰にも務まるものではない。だがな、ウィレミナ。ユーフェミアとて昔は未熟だっただろう。長い時間と様々な経験を経てあのユーフェミアになったんだ。だから、この戦いのうちにおまえにアイツの代わりが務まるはずがないのは当たり前のことなんだ。そんなことを嘆くな」
「ブリジット……」
ブリジットはウィレミナの手を取ると、わずかな力を込めてその手を握った。
「あの武器があれば、あの防具があれば、もっと仲間がいれば、そんなことを戦場に立ってから考えるものじゃない。足りないものを嘆いている暇はないぞ。今ここは戦場なのだから。この局面でユーフェミアならばどうするかと、考えるのはいい。だが間違えるなよ。おまえはウィレミナだ。今おまえが出来る最善の事をする以上のことは出来ない。それはアタシも同じことだがな」
その言葉にウィレミナは静かに頷いた。
ブリジットの言わんとしていることは理解できる。
ウィレミナは茶を飲んで必死に自分の気持ちを落ち着かせた。
少し落ち着きを取り戻すウィレミナを見て、ブリジットはベッドに身を横たえてから言う。
「今できることは自分を休ませることだ。眠れなくてもいい。横になり目を閉じろ。それだけで少しは休まるはずだ」
「ブリジット……ありがとうございます」
それからウィレミナはブリジットに倣い、長椅子に横になると目を閉じた。
だが、2人ともあまり眠ることは出来なかった。
なぜならそれから15分くらい経ったところで、危急の報告が飛び込んできたからだ。
「黒き魔女と獣女が再び姿を現しました! 南地区です!」
その報告にブリジットとウィレミナは寝付く間もなく跳ね起きると、再び作戦本部へと舞い戻るのだった。
☆☆☆☆☆☆
燃え盛る炎が木造の建物を包み込んでいる。
その中ではすでに息絶えた赤毛の女兵士たちの遺体が炎に包まれていた。
そこは仮庁舎のある新都中央部から南に800メートルほど離れた場所だった。
燃え盛る炎を背に2人の人影が立っている。
大きめの外套に身を包んだアメーリアと、四つん這いのドローレスだ。
ドローレスの爪は血で汚れている。
燃えているのは兵士らの詰め所であり、中にいた兵士たちを殺害したのはドローレスだ。
そしてアメーリアは建物に火を放った。
パチパチと音を立てて爆ぜる木材から燃え上がる炎が、闇夜を赤く焼いて周囲を明るく照らし出す。
その炎に引き寄せられるように、後方から統一ダニアの兵士たちが声を上げて集まって来る。
その様子を見たアメーリアは目深に被った外套の下から、その光景を覗き見た。
「来た来た。灯かりに群がる俄の群れが。焼き殺されちゃうのも知らずに馬鹿な子たち」
そう言うとアメーリアは振り向きざまに弓に番えた矢を次々と放つ。
それは闇夜の中でも的を外すことなく、統一ダニア兵らの頭を撃ち抜いた。
敵兵が1人また1人撃ち殺されるたびに、アメーリアの隣ではドローレスが興奮したように大きな咆哮を幾度も上げる。
アメーリアはそんな彼女の赤い髪を撫でながら、南の方向を指し示した。
その指の先には霞む曇り夜空の中にあってもなお、強い輝きを見せる星が瞬いている。
「ドローレス。さっき言った通りにあの星に向かって駆けなさい。敵がいたらどんどん殺していいから。疲れたら休むのよ。最後は壁を駆け上がって外に逃げなさい」
ドローレスは人の言葉を理解しない。
だがアメーリアの意思だけは感じ取ることが出来るようだ。
ドローレスは四つん這いで勢いよく地面を蹴って駆け出した。
アメーリアもそれに続いて踵を返す。
そんな彼女たちを逃すまいと東ダニア兵たちは声を上げて駆け出そうとした。
「ま、待てっ!」
だがそう言ったその時、燃え盛る家屋が大きな爆発を巻き起こし、その勢いの強さと吹きつける熱風に、統一ダニアの女兵士たちは思わず屈み込んで顔をしかめた。
「うわっ!」
アメーリアがあらかじめ近くの燃料小屋から拝借しておいた油の入った樽を、燃え盛る家屋に投げ込んだのだ。
一瞬で燃え上がる炎の勢いの強さに動きを止める統一ダニア兵たちだが、炎に肌を炙られながらも立ち上がり、果敢にドローレスを追跡する。
ドローレスは土煙を上げて一目散に闇の彼方へと走り去っていくが、女たちは互いに声を掛け合いそれを追った。
だが、彼女たちは見逃していた。
ドローレスと共にいたアメーリアが爆発に乗じて外套を燃える家屋に投げ入れ、染めた偽りの赤毛を靡かせてまったく別の方向へと向かっていったことを。




