第三章 王宮にて
舞踏会から三日が経っていた。
ミラーナ・ヴェルナ第一王女は、自室の窓から王都を見下ろしながら、まだ怒っていた。
いや、怒りは収まるどころか、日を追うごとに煮詰まっていた。
(あの女! よりによって、私の婚約者を!)
ルカシュ・ヴォルコフのことは、正直どうでも良かった。呪われた色を持つ、公爵家の三男。王女である自分に逆らうこともなく、ただ黙って仕事をこなすだけの、面白みのない男だった。
だから、婚約を破棄した。
ドラゴミルの方が、ずっと自分を見てくれる。自分を一番だと言ってくれる。それで良かったはずだった。
(なのに!)
あの夜の光景が、頭から離れなかった。
イリナ・ラズリエフが広間を横切る姿。百を超える視線が、自分からあの女へと移っていく瞬間。そしてルカシュが、躊躇いながらもその手を取った瞬間。
自分が主役であるはずの舞踏会で。
自分が断罪を宣言した、その場で。
(私を無視して! 私に一言も言わせないで! しかも婚約まで!)
陶器のカップをソファに叩きつけた。割れなかったのが、余計に腹立たしかった。
扉がノックされた。
「……入りなさい」
「失礼いたします」
入ってきたのはドラゴミルだった。整った顔に、いつもの笑みを貼り付けて。
「殿下、少しよろしいですか」
「何?」
「ヴォルコフ卿の件ですが」
ミラーナは振り返った。
「ラズリエフ家に、すでに落ち着いているようです」
「……知ってるわ」
「殿下」
ドラゴミルが一歩近づいた。声が、少し低くなった。
「感情的になるのは、もう少し後になさいませ。今は、冷静に考える時です」
「冷静に?」
「ヴォルコフ卿がラズリエフ家に取り込まれたことは、確かに想定外でした。しかし、考えようによっては」
「考えようによっては?」
「ヴォルコフ卿には、まだ使い道があります」
ミラーナは眉を顰めた。
「どういう意味?」
「彼が王宮で担っていた職務の穴が、すでに出始めています。正直に申し上げると、代わりができる人間が、いない」
沈黙が落ちた。
ミラーナはそれを聞いて、初めて少し、嫌な予感がした。
(……そんなはずは)
「ヴォルコフ卿一人がいなくなった程度で、何が変わるというの」
「殿下がそう思っておられたから、こうなったのです」
ドラゴミルの声は穏やかだった。穏やかなまま、的確に刺してきた。
ミラーナは返す言葉を、一瞬だけ失った。
「……連れ戻しなさい」
「それが、そう簡単にはいかなくて」
「なぜ?」
「ラズリエフ公爵家は、王家とも対等に渡り合える家です。しかも今は、ヴォルコフ卿の婚約者という立場がある。正面からぶつかれば、外交問題になりかねません」
ミラーナは窓の外に視線を戻した。
(イリナ・ラズリエフ)
名前を、頭の中で繰り返した。
社交界では、真面目で有能な公爵令嬢として知られていた。婚約破棄されたばかりだとも、聞いていた。
(……誰に破棄されたのかしら。まあ、どうでもいいけれど)
(だから、やけになってあんなことをしたのかしら)
そう思うことにした。
そう思わなければ、あの夜の光景を、うまく処理できなかった。
「……連れ戻しなさい。どうやっても連れ戻すのです」
「かしこまりました」
ドラゴミルが礼をして、扉へ向かった。
誤字報告ありがとうございます!
訂正いたしました。
今後ともよろしくお願いします。




