(12)アーサーの余裕の笑み
微かな衣擦れ音を立てながら、令嬢はヒューバートの隣に立った。
二人の視線が絡み、ほんの一瞬、微笑みを交わす。暖かく柔らかな空気が、お互いを包み込んだ。
令嬢の気品と美しさにたじろいで、アガサはよろよろと後へ下がった。隣に並ぶ両親も、ただ口を開けて高貴な姫を見上げている。
(ど、どこのお姫様かしら……?)
アガサが令嬢を見る眼差しには、羨望の色が濃く映っていた。
光沢のある最上級のシルクで仕立てられた、深い海のような色のドレス。
上品に結い上げられたハニーブロンドの髪には、精巧な銀細工にアイスブルーの宝石をあしらった髪飾りが輝いている。
陶器のような滑らかな肌がのぞく胸元には、大きなブルーダイヤが星のように煌めいていた。
それは、ヒューバートが散々迷って王宮の侍女たちを困らせたあげく、時間がないからと「妥協」した、急ごしらえの品々に過ぎなかった。
アガサは無意識のうちに、令嬢と自分とを比べていた。
さっきまでお気に入りと思っていた濃いピンクのドレスも、じゃらじゃらと着けまくった宝飾品も、全てが安っぽく下品に見えた。
(それに……あの女の宝石は、どれも殿下の瞳と同じ色じゃないの!)
アガサが嫉妬と悔しさに顔をゆがめた時、壇上の相手と視線が合った。その瞳が柔らかな新緑色であることに気づいて、彼女は驚愕の声を上げた。
「お、お姉様っ……!」
まさか、姫とも見まごう美しい令嬢が、あの惨めに働かされていた姉とは。
「そうだ、エルナだ!お前、王宮で何をしている!?」
「殿下から離れなさい!汚らわしい!」
アーサーとジャネットもようやく気がついて、エルナを指さしながら口々に声を上げた。
「そうよ、お姉様!そこは私の場所よ!!」
その美しさに負けた気でいたアガサも、相手が姉と分かれば容赦はしない。今まで散々虐げ、何でも取り上げてきた姉に、自分が負けるわけがないと思い込んでいる。
(不愉快極まりないな!)
図々しいアガサの物言いに、ヒューバートは髪を逆立てた。表情を取り繕うのをやめ、不機嫌さを前面に出しながら、道化の熊たちに向かって言った。
「いかにも、私の隣にいるのは、ブルック伯爵家のエルナ嬢だ」
ヒューバートはその華奢な背に腕を伸ばし、労わるようにそっと手を添えた。彼女の表情は少し寂しそうではあるが、毅然と前を向いている。
「私は彼女から話を聞いている。お前たちに屋敷を追い出されたことも、意に沿わない相手と無理やり結婚させられそうになったことも」
「う、嘘です!その娘はふしだらなうえ、平気で嘘をつくのです!」
「ヒューバート殿下、そんな娘に騙されないでくださいまし!」
アーサーとジャネットは口々にわめきたてた。
アガサは前に進み出て胸の前で両手を組み、祈るようにヒューバートに訴える。
「私は妾の子だからって、お姉様にずっと意地悪をされてきたんです!私のお母様のことだって、あんな外人は認めないなんて言って……!」
アガサはドタリとみっともなく床に倒れ込み、子供のように「うわーん」と声を上げて泣き出した。
「まあアガサ、可哀そうに」
両親がすぐに駆け寄って慰める。
目の前で茶番を繰り広げる家族を、エルナは冷めた目で見つめていた。こんなことで一国の王子を丸め込めると思っているなんて、あまりに浅はかすぎる。
「静まれ!!殿下の御前ぞ!」
空気を震わせるようなオリバーの一喝に、場はようやく静まった。
ジャネットが抱きしめるように大きな体に手を回し、床に伏したアガサを助け起こす。
愛娘を労わるように抱いたまま、アーサーはすがるような目で訴えた。
「殿下、エルナが小屋に粗野な騎士を連れ込んでいたのは事実です。どうかその騎士達を探して、その者たちの証言を……」
自分たち以外の証言者がいれば、王子も信じるかもしれない。偽物の騎士を用意して、証言をでっち上げればいいのだ。
そう考えて発言したアーサーの言葉を、ヒューバートがさえぎる。
「その必要はない。お前たちが言う騎士は、私とそこのオリバーだ!」
彼は隅に控えるオリバーに、顎先を向けた。
「「え!?」」
驚きに目を丸くした夫妻は、王子と護衛を交互に見る。
「下品で野蛮で、粗野か……悪かったな!」
怯えた鳩のようにうろたえる二人をにらみつけながら、オリバーは地獄の底から響くような、野太い声で言い放った。
(これは分が悪いな……撤収するか)
オリバーの視線に射抜かれて震えあがりながらも、アーサーは生来の小賢しい性格を発揮して、無難な判断を下した。
(王子の婿入りを逃すのは惜しいが、身辺を探られてあの事がバレでもしたら、身の破滅だ)
そうと決めたら、逃げるが吉だ。アーサーはヒューバートに向き直り、一礼してから言った。
「ヒューバート殿下、申し訳ありません。我が家の娘はどちらも、殿下の配偶者にふさわしくないと存じます」
「ほう?そうなのか?」
ヒューバートが面白そうな顔で相槌を打つ。
その余裕の表情に不吉な予感を覚えながら、アーサーは平静な顔を取り繕い続けた。
「このお話はなかったということで、お願いいたします」
脇でアガサが「えっ?お父様?」と不満そうに口を出したが、今は娘の機嫌を取っている場合ではない。さっさと話を終えて逃げなければ。
「エルナは私の娘ですので、連れて帰ります」
アーサーはそう言うと、王子と寄り添うように立つ娘を怒鳴りつける。
「エルナ、ぼやぼやするんじゃない!家に帰るぞ!!」
「い、嫌です!私はヒューバート様のお側にいます!」
ここにきてから初めて、彼女は口を開いた。少し声を震わせながらも、はっきりと自分の意志を言葉にしたのだ。
だが、そんなエルナの決意表明を、アーサーは鼻で笑い飛ばす。
「馬鹿を言うな!家長である私の命令に逆らえると思っているのか?お前の嫁入り先を決めるのは、この私だ」
それはエルナに向けると同時に、隣に立つヒューバートにも向けた言葉だった。
娘をどこに嫁にやるか決めるのは、父親である自分の権限だ。たとえ王族であろうとも、口出しすることはできない。
「さあ、早く来い!」
業を煮やしたアーサーは、二人が立つ壇上へと近づく。
……シュッ!
ヒューバートの腰にあった剣が、素早く宙を飛んだ。腕の一振りで風魔法を操ったのだ。
さらに指をパチンと鳴らすと、剣は横向きになって、その太い首ぎりぎりに鋭利な刃をピタリとつけた。
「ひぃ!」
首の皮一枚に刃先を突き付けられて、アーサーは顎を上げて震えあがった。体の震えに合わせて、鋭くて冷たい刃が肌に当たる。
「それ以上一歩でもエルナに近づいてみろ、その首が胴体から離れることになるぞ!」
「そ、そんな!殿下、私はブルック伯爵家の家長です……エルナをどうするかは、私に決める権利があります!」
震えながら抗議するアーサーに、ヒューバートは射殺すような目を向けた。だが、その口から反論の言葉は出てこない。
(それ見ろ!王子だからといって、他家の娘を好きにしていいわけじゃないぞ)
にらみつけてくるだけで何もできない王子を、アーサーは心のなかでせせら笑う。
いかに王族といえども、令嬢と婚姻を結ぶには、家長の承諾が必要なのだ。
現国王が職権の乱用を酷く嫌い、身内にさえ厳罰を処すのは有名な話である。こんな横暴を、国王が見逃すわけがない。
(待てよ……第三王子に娘のエルナを傷物にされたと、陛下に訴えるのもいいかもしれん)
「娘をよこせ」と剣で脅されたと言って、王家から多額の慰謝料をむしり取るのはどうだろう?エルナは家に連れて帰って、予定通り奴隷としてこき使うのだ。
(そうだ、それがいい)
アーサーは舌なめずりをしながら、無言でいる王子を挑戦的にねめつけた。




