(11)嘘に嘘を重ねて
「これ、アガサ。殿下の御前だぞ、落ち着きなさい!」
アーサーは怒りで取り乱している娘を小声で叱りつけると、ヒューバートへと向き直った。
「殿下、娘も年頃でございますので、ご冗談でも傷ついてしまいます」
「それは失礼した」
決して冗談ではないのだが、そこは重要ではないので軽く受け流す。
アガサはまだブツブツと「熊?私が、熊!?」と憤慨していた。しかめっ面をしているので、厚く塗った白粉に小さなひび割れができ始めている。
「エルナは確かに私の長子ではございますが、恥ずかしながら、あれは色々問題のある娘でして……」
アーサーはいかにも言いにくそうにそう切り出した。王子を言いくるめて、なんとかアガサを選んでもらえるようにしなければならない。
「申してみよ」
アイスブルーの瞳をナイフのように光らせながら、ヒューバートは問うた。
「家の恥となるので内密にしていたのですが……あの娘は素行がよろしくありません。勝手に家を飛び出して、森の小屋で自由気ままに暮らしだす始末なのです」
彼はポケットからハンカチを取り出し、流れてもいない汗を拭くふりをした。不品行な娘の所業に弱り切った父親の役を、必死に演じている。
「そうですわ!あろうことか……そこに殿方を引っ張り込んで……それもひとりではなく、下品で野蛮な騎士を二人も相手にっ!」
ヒューバートが眉ひとつ動かさないのを見て、ジャネットはキンキンとした耳障りな声で夫に加勢した。目の前にいる高貴な王子が、たった今「下品で野蛮」と評した騎士のひとりだとは思いもせずに。
(お、お母様ったら!)
やめさせようとしたアガサがドレスの袖を引っ張るが、興奮しているジャネットにはそれに気づく余裕もない。
「ほう、下品で野蛮……か」
ヒューバートの目が鋭さを増した。護衛隊長として隅に控えていたオリバーの額にも、ピキッと青筋が立っている。
「はい。なので私は、力ずくで娘を家に連れ戻したのですが……今度はそのぉ……家にいた平民の騎士と駆け落ちしてしまいまして」
「まったく、あのエルナという娘は生来の男好きで、それも粗野な騎士が好みなのですわ!」
(こいつら、言いたい放題言いやがって!)
腰の剣に手をかけるのを堪えるため、ヒューバートはギリリと奥歯を噛みしめた。漏れ出た魔力が背後で渦を作り、彼の銀髪を乱し始める。
だが、せっかくの美味しい話を逃してはならないと、必死の演技を続けているアーサーは、そんな王子の異変にまったく気づかない。
もうひと押しだとばかりに、とうとうと嘘を並べ立てた。
「恥ずかしながら妻の言う通りでございまして。我が伯爵家は、次女のアガサに継がせることにいたしました」
まだ不機嫌そうな娘を視線で指し示しながら、彼はそう締めくくった。
「……だが、その後エルナ嬢はどうなったのだ?」
「今、人を使って探しているところでございます。ふしだらな娘ではございますが、それでも私の血を分けた子。見放すわけにはまいりません!」
王子の問いに、アーサーはわざとらしくハンカチで目頭を押さえ、肩を震わせてみせた。もちろん、涙など一滴も流してはいない。
彼の本性を知っているヒューバートは、反吐が出そうな気分で目前のペテン師を見つめた。あと少し、その下衆な演技に付き合うことにして、言葉を続ける。
「探し出してどうするのだ?修道院にでも放り込むのか?」
「とんでもない!騎士と共にいるのを見つけましたら、正式に結婚させようと思っております」
「だが、相手は平民だろう?」
「ですので表向きには使用人となりますが、今まで通り大切にして、夫婦で屋敷で暮らせるようにしてやろうと思います」
(嘘をつけ!エルナを奴隷のようにこき使うのだろう!)
善人面をしてそう言い切った彼に、ヒューバートは怒りで身を震わせた。二重顎の垂れ下がるあの醜い頭を、風の刃で今すぐ斬り落としてやりたい。
(ダメだ……落ち着かなければ)
彼は自分に言い聞かせた。
二度とエルナに害を与えないようにするには、法的な根拠を明白にして、ゴミ屑どもを完膚なきまでに叩きのめさなければならない。
ヒューバートは小さく息を吐くと、己のなかの理性と精神力の全てをかき集め、王子様らしく微笑んでみせた。
「なんと、慈悲深いことだな!」
「親ならば……ううっ!……当然のことで……ぐずっ!……ございます!」
感心したような王子の言葉に、アーサーはハンカチの下で泣き真似をしながら、にんまりと笑った。若い王子を丸め込むには、あとほんのひと押しで事足りそうだ。
「ヒューバート殿下。エルナの躾けには失敗してしまいましたが、ここにいるアガサは違います。我々が手塩にかけて育てたこの娘は、上品で賢く、料理の腕も確かです!」
ジャネットに背中を押され、アガサは一歩前に出て胸を張った。細かなひび割れが目立ち始めたその顔には、輝かしい未来への期待が少しだけ戻ってきている。
「熊」といわれて傷ついたが、結局のところ、この王子様と結婚できるのは自分だけなのだ。
(平民と駆け落ちした令嬢なんか、もう妾にすらなれないわよ!)
姉が絶望で崩れ落ちる姿を想像して、彼女は歪んだ自尊心を取り戻していく。
帰ってきた姉に作らせた料理を食べれば、体型も肌の調子もすぐに元に戻る。そうしたら、あの麗しい銀髪の王子様も、二度と熊だなんて言わないはずだ。
アガサの視線がまたねっとりと、壇上の王子に絡みつき始めた……その時。
ヒューバートが椅子から立ち上がり、ドアの側に立つ侍従に合図を送った。
「だが、あなた方の話だけでは信用できない。エルナ嬢にも聞かなければ平等とは言えないだろう」
王族の居住区へと続く重厚な扉が、静かに開いた。
そこから、まばゆいばかりの気品をまとった美しい令嬢が、すべるように入室してきた。




