(10)馬車は走る
翌日、アーサー、ジャネット、アガサの三人は、馬車に乗って王宮へと向かっていた。馬車は彼らを運ぶために、王宮から差し向けられたものだ。
「お母様!やっぱり王宮の馬車は乗り心地がいいですね!」
「ええ!揺れないし、広くて快適だわ」
王宮の立派な馬車に乗ることができて、母娘は浮足立ってはしゃいでいる。
二人とも、今サイズが合うなかでは一番高級なドレスを身にまとっていた。
豪華な宝石がこれでもかとあしらわれたネックレスや髪飾りを品性なくつけまくり、屋敷中の化粧品を使い果たしたのかと思うくらい、顔に濃い化粧を施している。
「これ、二人ともはしたないぞ。少し落ち着きなさい」
アーサーははしゃぐ二人を諫めたが、その顔は嬉しそうにほころんでいた。彼も一番上等な服を着て、指には宝石のついた指輪をいくつもはめている。
(書簡が届いた時には驚いたが、まさかヒューバート殿下がアガサに興味をもたれたとは)
昨日の書簡は第三王子からのもので、内容は王宮への招待であり、「貴家のご令嬢について話がしたい」とのことだった。
殿下はまだ婚約者がいないし、きっと婚約の打診に違いない。アーサーとジャネットはそう考えた。
世間の噂では、彼は臣籍降下を希望しているとされている。だが、現在公爵家や侯爵家に嫡男のいない家はなく、婿入り先がない。
ブルック家は伯爵だが、建国当時から続く由緒ある家柄なので、第三王子の婿入り先としてない話ではないだろう。
天から降って湧いたこの幸運は、昨日までの彼の不安と心配を、すっかり吹き飛ばしてしまっていた。
(殿下が我が家に婿入りすれば、確実に侯爵位へと陞爵する。いや、もしかしたら……公爵かもしれないぞ!)
窓の外を流れる景色に目をやりながら、彼は期待に胸を弾ませた。馬車を包囲する騎馬の蹄の音さえ、心地良く響く。
屋敷に迎えが着いた時、護衛にしては騎士が多すぎやしないかと、アーサーは訝しんだ。だが、オリバー・ガスコンと名乗った護衛隊長は、ニヤリと笑ってこう言ったのだ。
「ヒューバート殿下は、大切なお方を守るために、『万事抜かりなく手配せよ』と仰せです!」
つまり、アガサが殿下にとっての「大切な方」になるからこそ、これほどまでに厳重な警備をつけたということなのだろう。
そう理解して、アーサーは歓喜に目を輝かせた。
「まあ!」
それを聞いた本人も、年頃の娘らしく頬に手を当てて恥じらっていた。白粉と頬紅をたっぷりはたいていたので、頬を染めたかどうかは分からなかったが。
(やはり……私は運が良いのだ!)
白粉と香水の匂いが充満する馬車の中で、アーサーはほくそ笑んだ。
王宮へと到着した三人が通されたのは、国王以外の王族が使用する謁見の間だった。
白い壁は所々に金の装飾が施され、頭上には天使が空を舞う天井画が描かれている。床に敷き詰められた大理石は、彼らの姿を映すくらいにピカピカだ。
部屋の奥は、舞台のように数段高くなっていて、その中央に赤いベルベットの椅子が一脚置かれている。
王室の威光をまざまざと見せつけられて、普段は図々しい三人も、さすがに緊張した面持ちで畏まっていた。
「ヒューバート第三王子殿下のおなりです」
侍従が告げた重々しい声に、アーサー達三人は深々と頭を下げた。
彼らには床に映った自分の姿しか見えないが、頭上でコツコツという微かな足音が響いて、壇上の椅子に誰かが腰かける気配がした。
「面をあげよ」
再びの号令で彼らは顔をあげる。椅子に腰かけた銀髪の王子は、上下とも黒で統一した服を身に纏い、腰には装飾が施された剣を下げていた。
(まあ!この方はあの時の……!)
壇上に現れた王子を見て、アガサはすぐに、森でエルナと見つめ合っていた騎士だと気づいた。
気品があるとは思っていたけれど、まさか王子様だったとは。
(だけど、お姉様はどうやって殿下と知り合ったのかしら?)
彼女は不思議に思ったが、取りあえず今はどうでもいいと思いなおす。王子の関心は今、自分に向いているのだ。
(貧相で家族に愛されないお姉様より、立派な体格で伯爵家の後継ぎである私の方が、いいに決まってるわ!)
そんなことは、考えるまでもない。
夢見たことは叶うのだと、アガサは美貌の王子をうっとりと見上げて思った。その頭の中では、ウエディングベルが鳴り響いている。
これからは、高貴で美しい王子に溺愛される、華々しい日々を送れるのだ。擦り切れたボロ雑巾のような姉が悔しがるのを、横目で見ながら。
(なんて愉快で充実した人生なの!)
自分の想い人を妹に盗られた姉。あの新緑の瞳に物欲しそうな影が差すのを想像して、彼女はニマニマと口元が緩むのを抑えられなかった。
(早くこちらに降りてきて、私の手を取ってくれたらいいのに……)
アガサはヒューバートに、ねっとりと熱い視線を送り続けた。
「本日は急に呼び出してすまなかった。私としては、できるだけ早く話を進めたかったのだ」
壇上から三人を見下ろすようにして、ヒューバートは静かに口を開いた。声に嫌悪の情が滲み出ないように、細心の注意を払いながら。
「滅相もないことでございます!王族方のお呼び出しに駆けつけるのは、我ら貴族の義務でございますゆえ」
アーサーは喜びに胸が震えるのを押し隠しつつ答えた。今の言葉で、「殿下は積極的に話を進めたがっている」と、勘違いしたのだ。
(しかし……これほどまでにぶざまとは!)
一方のヒューバートは、冷徹な仮面の下で、アーサーたちの見た目に心底驚愕していた。
三人とも思っていたよりもずっと体が大きく、下品にチャラチャラと飾りたてている。最初目にした時は、衣装をつけたサーカスの熊が三匹、床にうずくまっているのかと思った。
(それにしてもあの娘、とてもエルナの妹とは思えん!)
先ほどから、ねっとり食い入るようにこちらを見つめてくる娘。その不快な視線に顔をしかめないようにするには、王族としての教育を受けた彼をもってしても、かなりの努力がいった。
フリルがたくさんついたド派手なピンクのドレスを着ているから、恐らくこれが娘のアガサなのだろう。初々しさのかけらもない、毒々しい厚化粧なので、遠目だと隣の母親と同年代に見えた。
「うむ、本日あなた方を呼び出したのは他でもない。私はブルック伯爵令嬢との婚姻を望んでいるのだ」
「そ、それは……!」
ヒューバートがいきなり直球を放ったので、アーサーは驚いて口ごもった。普通は少し世間話をしてから本題に入るのが、一般的な王侯貴族のやり方だ。
そんな常識も知らないジャネットは「まあ!」と小さく叫んで、隣のアガサと手を繋いで喜びあっている。
(ヒューバート殿下は騎士団を率い、世間からは「冷徹」と言われる切れ者。回りくどいことはお嫌いなのかもしれない)
アーサーはそう思い直し、口を開いた。
「それはそれは、光栄の極みでございます!」
彼は愛娘を手で示しながら胸を張り、鼻息も荒く続けた。
「親馬鹿と言われそうでお恥ずかしいのですが、こちらにいるアガサは私どもの自慢の娘。必ずや殿下のお気に召すと存じます」
アガサは一歩前へ進み出て、ギクシャクと慣れない様子でカーテシーをした。
ヒューバートは汚い物でも見たように視線を逸らすと、鼻を鳴らす。
「ふん、そのような熊のごとき娘はいらん。私が妻にしたいのは、ブルック伯爵家の正当な後継ぎであるエルナ嬢、ただ一人だ」
「何ですって!?この私のどこが熊なのよ!!」
高貴な空気が漂う謁見の間に、耳をつんざくようなアガサの金切り声が響いた。




