(9)王宮からの書簡
アガサは大ぶりにカットしたケーキに、グサリとフォークを突き立てた。大きめに取って、口いっぱいに詰め込む。
「んん、おいひい!」
ケーキで一杯になった口をモゴモゴと動かし、満足の呟きを漏らした。
それは王都で今一番人気のある洋菓子店から取り寄せたもので、彼女のオーダーで上に蜂蜜と砂糖菓子をこれでもかと乗せてある。
普通なら甘過ぎて食べられないような代物だが、それを上機嫌で頬張るアガサに、侍女たちは怖いものを見るような目を向けていた。
彼女の体重は日に日に増していて、肌荒れも相変わらずひどい。
それでも上機嫌でいるのは、もうすぐエルナが帰って来ると、父親から聞いていたからだ。
以前のように姉をこき使って料理を作らせれば、勝手に痩せて元の魅力的な自分に戻れるのだから、今どれだけ太ったって平気だ。
しかもあの惨めな姉は、平民と結婚させられて、この屋敷で一生涯奴隷のように使われるのだという。
(いい気味だわ。あの貧相な赤毛が夫だなんて!)
こらえきれない下卑た笑みが、その顔に浮かぶ。
だがそれだけでは足りない。奴隷と化した姉をさらに絶望の底に追い落とすには、どんな手を使ったらいいだろう?
身の回りの世話をさせて、豪華なドレスや宝飾品で飾られた自分を見せびらかしてやろうか。
夜中に叩き起こして夜食を作らせ、「不味い」と言って目の前で捨ててやろうか。
それとも、「平民の臭いがする」と罵倒して、寒空の下に下着姿で放り出してやろうか。
(……そうだわ!あの素敵な銀髪の騎士さまを家に招くのはどう?)
閃いたその考えに満足して、アガサはまた大きなケーキの塊を口に突っ込んだ。
森で見た、雄々しくも美しい騎士。品のある佇まいの彼は、きっと高位の貴族に違いない。
父に彼を探してもらってお茶に招き、仲良くなった姿を姉に見せつけてやるのだ。
(お姉様は平民だから、彼と口を利くことさえ許されないわ)
だが、伯爵令嬢の自分は違う。上手くいけば、彼を婿に迎えることだって出来るかもしれない。
彼女はうっとりと目を閉じる。
銀髪の騎士が、自分に向かって優しく微笑んでいるのが見えた。腕を組んで隣に並ぶ自分は、白いウエディングドレス姿だ。もちろんスッキリと痩せて、肌も輝いている。
アガサは惨めさに泣き崩れる姉の姿を想像し、白いクリームのついた口の端を上げて、ニタニタと笑った。
(ひっ!)
その不気味な笑顔に、侍女たちはゾッと怖気を震わせた。
同じ時、ブルック伯爵邸の執務室では、アーサーの怒鳴り声が響いていた。彼は熊のように室内をウロウロしながら、焦りと苛立ちを隠せないでいる。
「あの男、エルナをいったいどこに連れて行ったのだ!?」
2、3日したらエルナを連れて帰ってくるように言いつけたケビンが、7日経った今もまだ戻ってこない。
そのくらいあれば、力ずくでエルナを妻とし、大人しくさせることができると思ったのに。屋敷の外へやったのは、そんな破廉恥な行いを、万が一にも年頃のアガサに知られないためだ。
(まさか、エルナを連れて逃げたのではあるまいな!)
アーサーはイライラと歩きながら考えた。だがどうしても、気が弱いうえに甲斐性もないあの男に、そんな大それたことが出来るとは思えない。
ケビンが行くと言っていた、今は空き家になっている彼の生家に人をやったが、人がいた形跡はあるものの、もぬけの殻だったという。
引き続き捜索させているのに、手掛かりは何ひとつ得られない。二人とも、まるで煙のように消えてしまったのだ。
さらに、例の役人から何の連絡もないことが、彼の苛立ちを倍増させていた。
そろそろ手続きが済んでも良さそうだと思ったアーサーは今朝、確認するために役所に出向いた。しかし、彼は病気で休んでおり、手続きの進捗は本人でなければ分からないという。
「そんないいかげんな話があるか!」
彼は窓口で怒鳴った。
対応に出てきた若い役人は、冷ややかな目でアーサーの苦情をのらりくらりとかわし続けた。これ以上話したところで無駄だと悟って、彼はしかたなく屋敷に戻ってきたのだ。
「なにかがおかしい……なにかが……」
急に色々なことが上手くいかなくなって、アーサーはブツブツと口の中で呟いた。思いもよらなかった力が、どこか見えないところで働いている気がする。
人に知られずに上手くやれれば、それが法律違反だろうと問題ない。
そんな低い道徳観念しか持たないこの男は、過去に最大の危ない橋を渡っている。その橋が崩れれば、谷底に転落するのは明白なので、ずっと用心に用心を重ねてきたのだ。
そんな彼の疑り深い部分が今、危険信号の鐘を打ち鳴らしていた。
アーサーは執務室の皮張りの椅子に腰かけて、その警鐘に耳をそばだてた。こういう時は落ち着いて、何が問題なのかよく考える必要がある。
だが、それも長くは続けられなかった。
「旦那様!大変でございます!」
癇に障るような、性急なノックの音が響いて、返事も待たずに執事が部屋に飛び込んできたのだ。
「騒がしいぞ、この馬鹿者が!」
そんな執事を、彼は怒鳴りつけた。
(まったく、この頃はロクな使用人がおらんな)
アガサとジャネットの我が儘と横暴がまかり通るこの屋敷では、使用人が居つかずにすぐに辞めてしまう。
最近は「あの家は使用人の扱いが悪い」と評判が下がっているため、まともな使用人が確保できないのだ。
「も、申し訳ありません。ですが旦那様、王宮から書簡が届きました!」
「なにっ!?それを早く言わんか!」
再び執事を怒鳴りつけると、差し出された封筒をひったくるように取る。
手触りの良い高級紙を使った封筒を裏返して、彼は赤い封蝋を確かめた。そこには、見覚えのある王家の紋章が押されている。
(ど、どういうことだ……?何故、王宮から我が家に、書簡など来るのだ?)
危険を知らせる信号が、再び耳元で大きく警鐘を鳴らし始める。底知れぬ恐怖に押しつぶされそうになりながら、彼は震える手でペーパーナイフを取り上げた。




