(7)決心
「実は、ずっとあなたに言えないでいたことがある」
「……はい」
ヒューバートの真剣な眼差しに、エルナも緊張した面持ちで見つめ返した。
「私の本当の身分なのだが……」
言い淀む彼を不思議に思ったのか、エルナは小首を傾げる。
それはとても愛らしい仕草だったが、今のヒューバートには、それに見惚れる余裕すらなかった。これからする告白が、愛しい相手にどんな反応をもたらすのか、考えるだけでも恐ろしい。
(もし、拒絶されたら……自分はロレンス王のようにならないと、断言できるだろうか?)
エルナの意志を無視して、王宮に閉じ込めることなどしたくない……が。
胸にたぎる情熱が抑えられないほど膨れ上がっている今、これまでのように理性を保っていられる自信がなかった。
世間がつけた「冷徹殿下」という通り名が、今はひどく滑稽に思える。
ヒューバートは膝の上で、両の拳を白くなるほどギュッと握りしめた。そして、覚悟を決めたように視線を定めると、胸の奥に秘め続けていた真実を吐き出すように告げる。
「私の本当の名は、ヒューバート・オルネ。この国の、第三王子だ!」
「……え?」
すぐには意味が理解できず、エルナは頭のなかで彼の言葉を反芻した。
(オルネ……?ヒューバート……第三王子……)
さまよっていた視線が、彼の美しい銀髪を捉えて止まった。銀髪はこの国の王族に多い髪色だ。確か現国王も、見事な銀髪だと聞いた。
そして国王には三人の王子がいる。第三王子は側妃の生んだ子で、その側妃の生家はアルスター公爵家ではなかっただろうか?
頭のなかに散らばっていたイメージの断片がピタリとはまって、ひとつの形になる。
そのとたん、彼女は座っていた椅子から、飛び上がらんばかりに立ち上がった。
「ひゅ、ヒューバート殿下……!知らぬこととは言え、とんだご無礼……」
「やめてくれ!」
慌ててカーテシーをしようとしたエルナを、ヒューバートは止めた。立ち上がってエルナの手を取り、その細い指をしっかりと握りしめる。
「私はあなたの前で、王子ではなく一人の男でありたいんだ!」
「……殿下」
ヒューバートはエルナの口に人差し指を当て、首を横に振った。
「今まで通り、名前で呼んでくれ」
涼やかなアイスブルーの瞳が、懇願するように揺れている。
「私が今日、あなたに本当の身分を明かしたのは、王子として敬って欲しいからではない。これからあなたと二人の未来を創っていくには、どうしてもそれが必要だったからだ」
その真剣な眼差しに、エルナの心臓が跳ね上がる。
(二人の未来……ヒューバート様と、私の)
その言葉の意味に想いを巡らして、全身に熱が広がっていく。握られた指先からその熱が伝わってしまいそうで、羞恥でさらに体温が跳ね上がった。
きっとまた、林檎のような顔になっているに違いない。
「だからどうか、これまでのように接して欲しい」
「は、はい」
ただの伯爵令嬢でしかない自分にとって、それはとても恐れ多いことだけれど。捨てられた仔犬のような目で見つめてくるヒューバートの願いに、エルナはうなずくしかなかった。
(よかった!取りあえず嫌われてはいないようだ)
頬を染めてうなずくエルナに、ヒューバートは安堵の息を吐く。
本音では、「これまで以上に」エルナと親密になりたい彼だったが、それはこれからじっくりと、余すところなく詰めていくつもりだ。
「長い話になる。座って話そう」
彼はエルナをそっと椅子に座らせた。さらに、自分の椅子を傍に引き寄せて、彼女と向かい合うように座った。
膝と膝が触れあいそうな距離で、もう一度その白い手を取る。
「これから話すことは、あなたには辛いと思うこともあるかもしれない。でも、最後まで聞いて欲しいんだ……決して悪いようにはしない」
エルナはコクリとうなずき、ヒューバートの大きな手を握り返す。ゴツゴツした手のひらの温もりが、心を落ち着かせてくれた。
「私たちが森の小屋にたどり着いたのは、偶然ではない……」
ヒューバートは初めから話した。自分は最初からエルナとポムの力に気づいていたこと、そして様々な調査の結果分かったことを。
「そうなんですね」
エルナも自分やポムの力について、彼に詳しく話した。誰にも言えずに抱えていた秘密を打ち明けることができて、肩の荷が下りた気分だった。
だが、自分の血筋についての話になると、彼女は驚きのあまり胸を押さえた。
「わ、私に、聖なる乙女の血が?」
「うむ、リリーの姪が嫁いできたのは、恐らく四代くらい前のことだろう。ブルック伯爵家に家系図が残っていれば、確認できるはずだ」
「まさか、そんな……」
信じられないと思う反面、納得できることも多い。
エルナはずっと、母に「聖なる乙女」の面影を見てきた。他人にはない魔力が母や自分にあるのは、きっと特別な血が流れているせいなのだ。
「では、ポムはやはり伝説の聖獣で、あの森でリリー様をずっと待っていたのですね」
彼女は戸口の向こうに見える、白く小さな体に視線を送った。後ろ足で踏ん張って立ち、時々意味もなく玩具の剣を振り回している。
その姿が、涙でぼんやりと霞み始める。
百五十年……百五十年という長い間、ポムはあの森で、独りぼっちでリリーの帰りを待っていたのだ。
あの日、嵐の過ぎ去った森に倒れて、力が尽きかけていたポムは、本当は寂しさのなかで絶望していたのかもしれない。
「大丈夫か?」
「……はい」
差し出されたハンカチで目元を拭いながら、エルナは考えた。
今は荒れてしまっているあの森も、祖父の代までは森番がいて、きちんと整備されていたという。
先祖がフォレスト男爵家から花嫁を迎えたのは、きっと男爵家に代わってあの森を守るためだろう。だからこそ、あの森は母から自分へと受け継がれたのだ。
(私には、責任があるわ)
エルナは決心して、顔をあげた。
その目には、これまでにない強い意志の光が宿っている。
「ヒューバート様。私はブルック伯爵家を継いで、ポムとあの森を守っていきます!」
伯爵家から離れて、自立して暮らしたい。これまではそう思っていたけれど、それでは大切なポムを守れないのだ。
ブルック伯爵家に生まれ、リリーの血を受け継ぐ者として、自分の責任を果たさなければならない。
「よく言った!」
エルナの力強い言葉に、ヒューバートは満面の笑みを浮かべた。
彼女がその気になったのなら、話は早い。
あとは、エルナを迫害し、傷つけてきたあのゴミどもを、文字通り地獄へと送ってやるだけだ。
その手はずは、もう整っている。
(あなたの背負う運命も責任も、全てを支えて共に生きるのは、この私だ!)
ヒューバートは握りしめた手を引いて、自分の胸へと引き寄せた。
金糸のような髪がふわりと揺れて、花のような香りが微かに鼻孔をくすぐる。
「大丈夫だ、私に任せておけ!」
エルナを必ず幸せにする。そう心に誓った彼の瞳には、もう恐れも迷いも見えなかった。




