(6)誰も見てはならぬ
「ヒューバート様、いらっしゃいませ」
ヒューバートの来訪に、エルナは立ち上がって笑顔を見せた。
気恥ずかしいが、せっかくアメリアが綺麗にしてくれたのだ。世界中の誰よりも、この姿を彼に見てもらいたかった。
「エルナ……!」
部屋に一歩足を踏み入れたヒューバートは、アメリアの期待通りに、見事なまでに硬直した。
戸口に立って口を開いたまま、息をするのも忘れたように、目の前の可憐な令嬢に視線を注ぎ続けている。
「おい、ヒューバート、何して……!」
後に続いて戸口から顔を出したオリバーも、エルナの変わりように絶句した。
(美しい娘だとは思っていたが、これほどとは!)
薄く化粧を施されたその顔はバラ色に輝き、ハーフアップにまとめた艶やかなハニーブロンドが、清楚なレースで飾られたピンクの衣装の上に流れている。
「あ、あの……ヒューバート、さま?」
ヒューバートが瞬きもせずに固まっているので、エルナはもう一度声をかけた。
だが、やはり反応が返ってこない。エルナは慌てた。
(もしかしたら、イグニッションの後遺症かもしれないわ!)
あまりに体力を使いすぎてしまって、急に動けなくなったのかもしれない。そう考えて、エルナは彼に駆け寄った。
「あの、大丈夫で……キャッ!」
彼女が小さな足音を立てて近づいた瞬間、突如として動きを取り戻したヒューバートが、長い腕を伸ばした。
抵抗する隙すら与えず、エルナの身体をその胸へと力任せに閉じ込める。
その素早さは、獲物を捕獲する猛禽のよう。
「だっ、ダメだ、こんなのはっ……!オリバー、あっちを向け!エルナを見るんじゃない!!」
こんなにも美しいエルナを他の男に見せたくない。たとえそれが、信頼のおける友だとしても。
その剣幕に、オリバーとアメリアは顔を見合わせて、ため息をつく。
(だいぶ拗らせてるわね)
アメリアのそんな視線に、オリバーは肩をすくめた。
「あー、ヒューバート様。そういう行為は、私の家ではちょっと……」
一言挨拶をしようと、階下の店舗から上がってきたハリーが、「コホン」と咳ばらいをして言った。
その視線は、エルナを腕の中に囲い込んだ愛弟子に注がれている。
皆の前で抱きしめられた彼女は、真っ赤になった顔を両手で隠していた。その指の先まで赤く染めて。
ヒューバートは、ハッと我に返る。
「い、いや、違う!こっ、これは、オリバーが変な目で彼女を……!」
「なっ!?」
不名誉な罪をなすりつけられて、オリバーの顔色が変わった。彼にしても、しばらく見惚れていたのは事実なのだが。
「まあまあ!ヒューバート様、エルナさんを放してあげてくださいな。可哀そうに、顔が真っ赤ですよ!」
不穏になりかけた空気に、アメリアが割って入った。エルナを彼の腕の中から救出して、労わるように抱きしめる。
「……すまない」
「い、いえ」
失態に気づいて、ヒューバートはエルナに謝った。気まずそうに、銀の髪をかき上げる。
「どうぞお座りください。今、お茶を用意しますから」
「うむ、頼む」
アメリアの呼びかけに、ヒューバートはようやく落ち着きを取り戻し、これから言わなければならない事柄を、重荷に感じながら胸に思い浮かべる。
彼は飾り気のない椅子の背を引いて、まずはエルナを座らせると、自分もその向かいに腰掛けた。
「エルナ、すぐに会いに来られなくてすまない。ここでの暮らしに不自由はないか?」
「大丈夫です。アメリアさんにもハリーさんにも、とても良くしていただいてますし」
ほほ笑んだエルナは、まだ頬にほんのりと赤みを残していた。
その初々しくも可憐な微笑みに、またうっとりと見惚れてしまいそうになる。ヒューバートは慌てて顔を引き締めた。
「今日は、あなたに話さなければならないことがある」
アメリアが茶と茶菓子を置いて立ち去ると、彼は少し緊張した面持ちで告げた。
室内は二人きりなので、部屋のドアは開けたままになっている。
廊下にはオリバーが背を向けて立っており、その足元には、なぜか木剣を持ったポムがいた。たぶん、一緒に護衛をしているつもりなのだろう。
「まず、あなたの貴族の除籍と結婚の件だが、手続きが差し止めになったので、心配はいらない」
「ありがとうございます」
あの男と無理やり結婚させられる心配はなくなったと知り、エルナはホッとして頭を下げた。
「ですが、父が決めた正式な結婚を、差し止めることができるのですか?」
この国では女性の立場はまだまだ弱く、妻や娘は家長の決めたことに逆らうことができない。厳粛な貴族の家はなおさらだ。
「う、うむ……色々と、偶然が重なったんだよ」
「偶然ですか?」
何故か気まずそうな顔になった彼に、エルナは首を傾げた。
「ああ。まず、手続きを一手に担っていた役人に不正が発覚したので、その者を拘束した」
「まあ!」
エルナは驚いて口元を手で覆った。
賄賂をもらって不正を行う役人は少なくないと聞いていたが、自分の身近で起こるとは、思いもよらなかった。
「さらに、ブルック伯爵が提出した書類に、いくつもの不備が見つかった」
「あら?お父様はいつも、そういう事はきっちりとなさるのに……」
「そ、そうなのか?まあ……それでその……伯爵に確認するように他の役人に渡したら、そいつがうっかり書類を失くしてしまったのだ」
「えっ!?」
役人がうっかり書類を失くすなんてことがあるのだろうか?
エルナは驚きに目を見開いて、ヒューバートをまじまじと見つめた。純真そのものの視線を受けた彼は、何故かスーッと目を逸らしてしまった。
「と、とにかく!書類はどこにもないし、関わった役人の不正が疑われるので、ブルック伯爵の今回の申請は無効となった」
エルナの父から再度届けがなされなければ、結婚の手続きが行われることはない。
そして手続き無効の通知は、絶対に見つからない書類と同様に、ブルック伯爵家には永遠に届かないのだ。
「だからエルナ、あなたは心配しなくていい!」
「は、はい」
身を乗り出すようにして断言したヒューバートの気迫に押され、エルナは詮索するのをやめた。彼が「心配ない」と言うなら、それを信じるだけだ。
エルナが納得したのを見ると、彼はホッと肩の力を抜いた。優雅な仕草でティーカップを持ち上げ、ぬるくなってしまった茶で喉を潤す。
(さて、ここからが本題だ)
ヒューバートは背筋を伸ばし、愛しい女性を真っ直ぐに見つめた。




