(5)アメリアの腕の見せ所
エルナは窓辺に座って、外の街並みを眺めていた。膝の上ではポムが穏やかな寝息を立てており、彼女は無意識のうちにその白い毛並みを撫でている。
ぼんやりとした思考のなかで、彼女は三日前のことを思い出した。
あの忌まわしい家から救出された後、ヒューバートはエルナを抱きかかえたまま、この場所まで走って運んだ。
「だ、大丈夫です、ヒューバート様。私、自分で歩けますから」
たくましい腕に抱え上げられたエルナは、耳まで赤くしてそう訴えた。だが、ヒューバートが頑として譲らなかったのだ。
「ダメだ!安全な場所に着くまで、私から離れることは許さない……片時もだ!」
彼は固い声でそう言うと、エルナの体を自分の胸に強く引き寄せた。反論を許さない気迫と、ずるいほど優しい胸の温もりが、エルナの心を満たしていく。
ヒューバートの体温も匂いも好ましく思えて、彼女は思わずその首にすがりついた。
「エルナちゃん、我々はここまで走ってきたんだ。馬はないから、おとなしくそいつに抱っこされてやってくれ」
オリバーの言葉に、彼女は目を丸くする。
「え!?本当ですか?」
.
ポムが二人にイグニッションのクッキーを一枚まるまる食べさせたと聞いて、彼女は心配した。そんなに食べて、体は大丈夫なのだろうか?
だが、普段の鍛錬のたまものなのか、二人ともまるで平気な顔をしていた。
「あのクッキーの効果はすごいな。食べた時は、口の中で火薬が爆発したかと思ったが」
ヒューバートはクスリと笑うと、目的地に向かって走り出した。
延々と畑の続く風景が、流れるように後に飛び去って行く。エルナは彼の首にしがみついていたが、少しも怖くはなかった。
この大きくて温かな「ゆりかご」になら、自分の身も心もゆだねられる。
そう思っている自分に気づいて、エルナは林檎のように顔を赤く染めた。
トントントン!
部屋に軽快なノックの音が響いて、エルナはハッと我に返った。また赤い顔をしていないかと、両手をそっと頬にあてる。
「はい!」
返事をすると、紺色のワンピースを上品に着こなしたアメリアが入ってきた。エルナとポムが預けられたのはあの薬屋の二階、ハリーとアメリアの家だった。
ここに連れてこられた時、ヒューバートが薬屋の店主と旧知の仲だったことに驚いたが、ハリーが彼の師匠だと聞かされた時はさらに驚いた。
「エルナさん、もうじきヒューバートでん……コホン!いえ、ヒューバート様がいらっしゃるそうですよ」
「まあ!」
エルナは大輪の花のような笑顔を浮かべた。
ここに預けられてから三日の間、彼とは会えないでいた。
『この先あなたが安心して暮らせるように、やらなければならないことがたくさんある。必ず迎えに来るから、待っていて欲しい』
去り際に彼はそう言ったのだ。
自分のために色々動いてくれているのだと知っていても、エルナの胸は心細さや寂しさに締め付けられた。
だから今、彼が来てくれると知っただけで、彼女の心は一気に浮き立っていた。
そんな彼女を可愛らしいと思いながら、アメリアは悪戯っぽく笑った。
「だから、めいっぱいお洒落をして、あの方を驚かせてやりましょう!」
「え?」
戸惑うエルナの手を引いて、アメリアは自分の部屋へと誘う。
「キュウ!」
ポムもポムポムと弾みながら、嬉しそうに後をついてきた。
最初は、あの森から離れて大丈夫なのかと思ったけれど、ポムはこの家が気に入ったようだ。特に、アメリアにはすぐに懐いてしまった。
「さあ、ヒューバート様はどれがお好みかしらね?」
ブルーで統一された、シンプルながらも洗練された部屋に入ると、アメリアは張り切って言った。
壁には貴族の令嬢が着てもおかしくないような、清楚なワンピースが三枚ほど掛かっている。それに合う靴も三足揃えてあった。
それらは先ほど届けられたばかりで、例のポンチョを買った店から、アメリアが急いで取り寄せたものだ。ヒューバートと訪れた時に彼が目を留めたものを、彼女はしっかり覚えていた。
もちろん、請求は彼に行くようにしてある。
「これ、私が着てもいいのですか?どれも高級品みたいですけど……」
「大丈夫よ、これくらい男の甲斐性ってもんだわ!」
尻込みするエルナにかまわず、アメリアはハンガーにかかったワンピースを彼女に次々と当てていく。
「うん、これがいいわ!ね?」
「キュウ!」
「は、はい」
アメリアが選んだのは、明るいピンク色に白いレースの飾りがついたワンピースだ。ポムも気に入ったようなので、エルナはよく分からないままにうなずいた。
伯爵家では使用人同然の扱いを受けていたし、森の小屋に追いやられたあとは、生きるのに精いっぱいだった。ずっと、お洒落とは縁のない生活だったのだ。
自分にどんな服が似合うかや、どんな色が映えるのかなど、考えたこともなかった。
「うん、髪の色によく合うし、顔色も良く見えるわ」
着替えたエルナを見て、彼女は満足げに笑った。
(アイスブルーのドレスは、殿下にとっておいてあげないとね)
そして、それを作らせる時には、またひと騒動あるのだろうと、アメリアは内心で苦笑した。
「ここに座って」
彼女はエルナを鏡台の前に座らせると、引き出しから様々な化粧品を取り出した。
「まあ、なんてきめ細やかで美しいお肌なの!」
感嘆の声をあげると、手慣れた様子でエルナに薄化粧を施し始める。まるで貴族令嬢に仕える侍女のようだ。
「あの、アメリアさん、どうしてそんなにお上手なんですか?」
「ああ、私はね、若い時に騎士をしていたのよ」
「えっ!?」
思ってもみなかった返答に、エルナは驚いて鏡のなかのアメリアを見た。彼女は何でもないような顔で、エルナのハニーブロンドの髪に櫛を通している。
「王宮で姫様に仕えていたの。姫様に仕える女騎士は、侍女の仕事もするのよ」
(そうだったのね)
ヒューバートがここに自分を預けた理由が分かった。
彼が師匠と仰ぐ強大な魔力の持ち主と、元王宮の女騎士がいる家。ここほど安全な場所は、そうないだろう。
(だけど……)
エルナは気づく。王宮に仕えるには、その身分は貴族でなければならないはずだ。なのにこの家の暮らしは、貴族のものとは違う。
「さあ、出来たわ!」
しかし、その疑問を口に出す前に、アメリアの快活な声が響いた。
「さあ、どうかしら?」
彼女はエルナを姿見の前へと連れて行く。
(これが……私?)
信じられないと言うように、エルナはまじまじと鏡の中の自分に目を見張った。鏡のなかには、華やかなピンクが髪の色とよく調和した、息を飲むほどに可憐な令嬢が映っていたのだ。
(ふふふ、殿下が何て言うか、見ものね!)
アメリアは自分の仕事に満足して、ヒューバートが来るのを心待ちにした。




