(3)風のように
エルナの魔力の痕跡を追って、ヒューバートとオリバーは全速力で走っていた。
イグニッションクッキーで身体強化した二人は、馬に乗るよりも自分の足で走ったほうが早いと判断したのだ。
そしてそれは、正解だった。
彼女は市街地から離れた農村にいるらしく、魔力を追って走るほどに閑散と寂しい風景になっていく。馬であれば、とっくにスタミナ切れして走れなくなっていただろう。
(凄いな、エルナの力は!)
走りながら、ヒューバートは感嘆した。まるで風になったように体が軽く、周囲に広がる麦畑がみるみる後ろに飛び去っていく。
もうかなりの時間走っているにもかかわらず、少しも疲れを感じなかった。
「キュー!!」
ポムはヒューバートの腕に必死にしがみつきながら、玩具の木剣を振り上げて雄叫びをあげた。
まるで、自分が「エルナ救出隊」の隊長だと主張しているようだ。長い耳が風に煽られて、ぱたぱたとはためいている。
「おい、毛玉!しっかりつかまっていないと落ちるぞ」
ヒューバートはポムにそう注意すると、少し速度を落としながらオリバーを振り返った。
「そろそろ近いようだ、彼女を強く感じる」
清らかで純粋なその魔力を頼りに進んでいくと、やがて寂れた農村へとたどり着いた。
二人は走るのをやめて、村の様子をうかがう。人通りは少なく閑散としていて、空き家も多そうだ。
「……もっと、向こうだな」
「キュウ」
「そうだ」というようにポムが鳴く。近くなったので、ポムもエルナの魔力を感じ取っているらしい。
「おい、ヒューバート。敵の隠れ家を見つけたとしても、いきなり飛び込むなよ?相手の素性も人数も分からないんだからな」
今にも暴走しそうな彼に、オリバーは釘を刺す。自分が王族であることを忘れてもらっては困るのだ。
「分かっている」
エルナの魔力を全力で探りながら、ヒューバートは答えた。
彼らは麦が刈り取られた後の畑を抜け、村の外れに建っている、一軒の古びた農家へとたどり着いた。すぐ側の林には、一頭の馬が繋がれている。
「ここだ!」
「キュウ!」
ヒューバートとポムが同時に叫んだ。
(エルナ、無事でいてくれ)
愛しい人の気配を感じて、ヒューバートの鼓動は早くなった。一刻も早く救出しなければと、焦燥に駆られる。
「落ち着けって!」
彼が今にも家に飛び込みそうな様子を見せたので、オリバーは慌ててその肘をつかんで止める。
二人と一匹は少し離れた木陰に隠れ、その家を観察した。そこは空き家のようだが、それなりに手入れはされていて、それほど荒れた感じはしない。
周囲の家からは離れているし、人をさらってきて隠すには、丁度いい隠れ家と言えそうだ。オリバーはヒューバートに囁いた。
「どうする?」
「うむ、裏からこっそり忍び込んでみるか」
「ならば俺が先に行って、中の様子を偵察してこよう」
オリバーは万が一にも誘拐犯に見つからないように、ぐるりと大回りをして、家の裏手に近づこうとした。
「助けてー!ヒューバート様、助けてください!!」
木陰から家を見張っていたヒューバートは、耳に届いた声にハッと顔を上げる。
聴覚が強化された耳に届いた微かな声。それは確かに、愛する人が自分に助けを乞う声だった。
「エルナ!今行くぞ!」
「キュー!」
ヒューバートは一足飛びで農家の玄関へ移動し、魔法の風を起こして粗末な木の扉を吹き飛ばした。腕にしがみついたままのポムが、勇ましい雄叫びをあげる。
「なんだよ、もう!」
結局、我慢できずに飛び込んでしまった友を追って、オリバーも正面の戸口から飛び込んだ。二人ともすでに剣を抜いている。
「ここか!」
ヒューバートは暗い廊下を駆けた。一番奥の部屋に魔力の気配を感じる。
(エルナ以外にも誰か魔力のある奴がいるな)
彼は風魔法を使って扉を押し開けると、中に飛び込んだ。万が一にもエルナが怪我をしないよう、今度は吹き飛ばすのを控えたのだ。
「な、なんだ、お前は!」
薄暗い部屋の片隅には、粗末なベッドがひとつ。
その上で、赤毛の若い男がもがくエルナを引き寄せ、今にも組み敷こうとしていた。
「ヒューバート様!!」
エルナは涙で頬を濡らしながら、ヒューバートの名を呼んだ。彼女はあろうことか下着姿だ。
ヒューバートの視界が、怒りで真っ赤に染まる。全身の毛が逆立ち、沸騰した血が体中を駆け巡った。
魔力が漏れ出て、部屋に小さな風の渦が巻き起こる。
「この下衆野郎!私のエルナに触るな!!」
「ぐお!」
気づけば、渾身の魔力を込めた一蹴りが、男の腹にめり込んでいた。
横跳びに吹き飛んだその体は、渦巻く風に乗って木の葉のように舞い、二度、三度と壁に叩きつけられる。
ケビンは火魔法を使おうと手を突き出したが、激しい風にもまれて、マッチの先ほどの炎すら生み出せなかった。百戦錬磨の騎士と屋敷の門番でしかない彼とでは、その実力差は絶望的に大きい。
最後に「ぐえっ!」と小さな叫び声を上げ、ケビンはドスンと床に落ちた。使い古したボロ雑巾のように、床の上に伸びてしまう。
「ギュウ!?ギュギュウウ!!」
ポムはその上に飛び乗って、木剣で彼の頭をポカポカと叩き始めた。完全に気絶しているので、非力なポムでもやりたい放題だ。
オリバーはケビンを捕縛する縄を取り出したけれど、毛玉の気の済むようにさせてやろうと考え直した。フッと口元を緩めると、腕を組んだまま、師匠としてポムの剣さばきを見守る。
「エルナ、大丈夫か!?」
そんな騒ぎを尻目に、ヒューバートはエルナに駆け寄った。
ヒューバートはマントを脱ぎ、エルナの痛々しい下着姿を隠すように包み込んだ。震える細い体に手を回し、壊れ物を扱うように、けれど絶対に離さないという強さでしっかりと抱きしめる。
「ひゅ、ヒューバートさ……ヒューバート様ぁ!!」
そのたくましい胸に縋りついて、エルナは大声で泣いた。その頭を抱き寄せ、彼は慰めるように、きらめく絹糸のような髪を優しく撫でた。
「すまない。私が優柔不断だったばっかりに、あなたを危険な目にあわせてしまった」
こんなことになった責任は、自分にある。グズグズ考えずに、さっさと彼女を保護すればよかったのだ。
(もう、二度と離さない。誰の目にも触れさせず、永遠にこの腕に閉じ込めてしまおう)
だが、エルナを正式に自分のものにするには、片付けなければならない問題がたくさんある。
(まずは、この赤毛野郎だ)
ヒューバートは縛られて床に転がるケビンを、射殺すような目でにらむ。そして彼の背後には、必ずブルック伯爵がいるはずだと確信していた。
(あいつらの罪を暴いて、必ず地獄へと突き落としてやる……!)
彼の胸に、揺るぎない決意の炎が燃え上がった。




