(15)ヒューバートの苦悩
「嘘だろう!?あのチンチクリンの毛玉が、聖獣……?」
ヒューバートの話に、オリバーは納得いかなさそうに唸った。
それも当然のことで、絵画などで馴染みのある聖獣グラニーは、雄々しい狼のような姿なのだ。
(魔獣だって、小さくても強くて厄介なヤツはいるけどなぁ)
魔力の強さと見た目は無関係と知ってはいるが、伝説の聖獣がアレでは拍子抜けするというものだ。
だが、慎重なヒューバートがそう結論付けたのなら、それが正解なのだ。そして、現代の聖なる乙女はエルナということになるのだろう。
(これは、世間に知られたら大変なことになるぞ)
ヒューバートがいつにも増して慎重だった理由が、彼にもやっと分かった。
「とにかく二人で手分けして、日記のなかからリリーとエルナちゃんの繋がりを探そう」
「ああ。私はこのまま古い順に読んでいくから、お前は新しいものから年代を遡ってくれ」
「了解!」
二人は黙々と古い日記に目を通した。静かな部屋には、しばらくの間ページをめくる音だけが響いた。
「……ぐすん……う、うっ……!」
どのくらいの時間が経っただろうか。これといった手がかりが見つからないことに、ヒューバートが苛立ち始めた頃、隣から密やかなすすり泣きの声が聞こえてきた。
どうしたのかと思ってオリバーを見ると、声を押し殺して泣いている。
「……なんだ、いったい?」
怒ったり泣いたり忙しい奴だと思いつつ、貴重な資料が濡れることを恐れて、ヒューバートはオリバーの手から日記を取り上げた。
開いたページに目を落とすと、所々涙で文字が滲んでいる。これはオリバーではなく、ダリアの涙のせいなのだろう。
***年某月某日
なんて悲しいこと!
昨夜遅く、リリー妃がお亡くなりになった。
我が家にお預かりしてひと月あまり。医者に診せ、手厚く看病したかいもなく、やつれた彼女は回復することなく旅立ってしまった。
医者によれば、病気はそれほど重くなかったが、本人の生きる気力が失われていたからだろうとのこと。
リリー妃がいよいよ危うくなった時、私はその枕もとに付き添って、やせ細った手を握っていた。
「毛玉ちゃん……お腹が、空いたの?」
「……ふふふ、美味しい……?」
「ダメ!隠れて……絶対に、森から出ちゃ……ダメよ……」
意識が混濁するなか、彼女はずっとうわ言を言っていた。その言葉から察するに、彼女は幻想のなかで「小さなお友達」に会っていたのだろう。
リリー!森に咲く百合のように、美しく生き生きとしていたあなた。
その枕元で涙を流しながら、私は考えずにはいられなかった。側妃になどならずに、あのまま自由な平民でいたら、と。
ひとつだけ幸いだったのは、男爵家を継いでいたリリーの兄が、彼女の臨終に間に合ったこと。
彼女の肉親を呼ぶのを主人は渋った。それを私が説得して、内密に迎えの馬車を走らせたのだ。
王宮に入ったあとの彼女は、一度も故郷に帰ることを許されず、肉親に会うことも叶わなかった。
陛下には陛下のお考えがあるのだろうけれど、飢饉を救った乙女に対してあまりに酷い仕打ちだと、私は常々思っていたのだ。
(あまりに酷い仕打ちか……確かにそうだな)
ヒューバートはそっと下唇を噛む。伝説の聖なる乙女の寂しい最期に、胸が締め付けられた。
ロレンス王がそうしたのには、きっとそれなりの理由があるのだろう。私情より国益を優先する冷静さがなければ、一国の王は務まらない。
リリーを「可哀そうだ」と感じ、エルナと毛玉の存在を未だに秘している自分は、やはり王の器ではないのだ。
「ぐずっ!」
日記を手に憂いているヒューバートに、オリバーは鼻をすすりながら別の日記を掲げて見せた。
「……それでな、その後リリーの姪にあたる令嬢が、ブルック伯爵家に嫁ぐんだよ」
「何っ!?それを早く言え!」
ひったくるように日記を取り上げ、オリバーの示す箇所を開く。そこには、リリーが亡くなって数年後に、フォレスト男爵家の令嬢とブルック伯爵との婚姻が決まったと記されている。
《リリーによく似た、ハニーブロンドと緑の瞳を持つご令嬢で、懐かしくなって泣いてしまった》
結婚式に招待されたらしいダリアは、そう綴っていた。
(そうなのか!)
リリーとエルナがやっと繋がった。エルナには聖なる乙女の血が流れているのだ。あの癒しの力も、恐らく代々受け継がれてきたのだろう。
そして、フォレスト男爵家が断絶したあと、ブルック伯爵家があの森を管理するようになったのだ。
まだ鼻の赤いオリバーが、不思議そうに問いかける。
「なあ、エルナちゃんの父親は、このことを知らないんだろうか?」
「うむ、知っていたら、あれほど粗末にはできないと思うがな」
ブルック伯爵家にとって、リリーの血筋とあの森を守ることは、何にもまして重要だ。だが、伯爵は娘を屋敷から追い出してしまい、森も整備せずに放置している。
さらに、もうひとつ分からないことがあった。
(国王陛下は、どう思っておられるのだろう?)
国王なら、あの森に聖獣がいる事を知っているはずなのだ。歴代の王があの森に「狩り」の名目で出かけていたのは、何がしかの儀式を執り行うためではないのか?
(ブルック伯爵の所業をご存じないのか?それとも、聖獣などただのおとぎ話だと思っているのか……)
現国王は実際的な人間で、即位後は古い慣習などには囚われず、様々な改革を行ってきた。聖獣を祭る儀式があったとしても、鼻で笑って廃止した可能性は高い。
(エルナを守るために、私はどうしたらいいのだろう?)
ヒューバートは自問する。
ここまで知ったら、もうエルナとポムの事を黙っているわけにはいかないだろう。
しかし、王家が関わることで、リリーの人生は悲しい結末を迎えてしまった。そのことを知った今、彼は恐ろしくてならない。
エルナを幸せにするのも、不幸にするのも、自分の手にかかっているのだ。
心から愛おしいと思える女性の、愛らしい笑顔。自分が間違った選択をすれば、その笑顔は永遠に失われてしまう。
不安と重圧に押しつぶされそうになって、ヒューバートは机の上に伏し、固く頭を抱えた。




