(14)古い日記
騎士団に到着すると、ヒューバートは自分の執務室ではなく、小さな会議室に日記を持ち込んだ。
馬を走らせる道すがら、オリバーをうっかり忘れてきたことに気づいた彼は、執務室に怒鳴りこまれるのを見越して避難することにしたのだ。
(オリバーには悪いが、今は誰にも邪魔されたくない)
日記帳はどれも表紙の厚いしっかりとした作りで、女性が好みそうな花や小鳥の絵が描かれていた。表紙を開いた最初のページに、日記が記された年が書かれている。
ヒューバートは一番古い年代のものを手に取った。女性らしい優しい文字が並ぶページをめくる度に、埃とカビの匂いが微かに立ち上った。
ローズの祖母はダリアという名前だったらしい。彼は「リリー」の文字を探して、端が黄ばみかけたページの上に視線を走らせた。
***年・某月某日
本日、国王陛下の側妃となられる予定の女性、リリー・フォレスト男爵令嬢と初めてお会いする。
陛下のご命令で彼女を養女に迎え、嫁入り支度のお手伝いと、王宮での礼儀作法を教えて差し上げることとなった。
「リリー嬢とさほど歳の変わらぬ私が、養母の役目を果たせるのか?」と、最初は不安でいっぱいだった。けれども、リリー嬢は素直で明るいお人柄だったので、私たちはすぐに友人のように打ち解けた。
彼女のハニーブロンドの髪は太陽のように輝き、新緑色の瞳は生き生きと輝いている。抜けるような白い肌をしていて、まるで野生の百合のような女性だ。
ヒューバートはページをめくる。しばらくはリリーの妃教育の様子や、嫁入り支度の進捗具合などが綴られていた。
それらは順調に進んだようだったが、所々にダリアの心配の声が混ざってもいた。
某月某日
リリーはこの頃、寂しそうな顔をしている事が多くなった。今日、あまりに悲しそうな様子なので、「元のご家族が恋しいの?」と尋ねてみた。
すると、彼女はうつむいて、ためらいがちに話し始めた。
「家族や実家が恋しいのは確かですが、たった一匹で森に置いてきてしまった、小さなお友達が心配でたまらないのです」
「それは、聖獣様のこと?」
私の問いに彼女はコクリとうなずき、これまでの事を初めて話してくれた。国王陛下は聖獣も王宮に住まわせることを望まれたが、リリーが反対したのだという。
「私のお友達は、あんな窮屈な所では生きられないでしょう。元々の棲家だったあの森で、今まで通り自由に生きる方が幸せなのです」
ブルック伯爵家の領地にあるその森は、陛下のご命令でフォレスト男爵家の所有となり、男爵家が管理することになったと聞いた。
その森は今、王家の狩場として立ち入りが制限されている。
「何故、あんな小さな森が?」と疑問に思っていたが、ようやく理由が分かった。
王家は人の立ち入りを制限して、そこに聖獣がいることを隠したいのだろう。だから事情を知っているフォレスト家に、管理をさせるのだ。
私は不愉快な気分になった。
リリーが側妃となるのは、フォレスト男爵家や聖獣に対する人質の意味合いがあるのではないかと、気づいたからだ。
そして、リリーはそうすることで、彼女の「小さなお友達」の自由を守りたいのだ。
「申し訳ありません。この事は人に言ってはいけなかったんですけど……私、もう一度だけでも、あの子に会いたくて!」
リリーは顔を覆って泣き始めてしまった。
私は「絶対に口外しない」と約束して、彼女を必死になだめた。王宮に入る前に、「聖獣に会いたい」という彼女の願いを叶えてあげたいけれど、それはかなりの難題だ。
彼女を男爵家の領地に行かせるわけにはいかない。陛下から、「フォレスト男爵家とは縁を切らせよ」とのご命令が出ているのだから。
主人にもうかつには話せないし、無力な自分が悔しい。
(そういうことか……あの森には元から聖獣が住んでいたのだな。ならばやはり、あの毛玉は聖獣グラニーなのだろう)
ページをめくる手を止めて、ヒューバートは考えた。
リリーは恐らく、聖獣を森へと逃がしたに違いない。権力者にいいように使われないよう、隠れているように教えたのだ。
毛玉はその教えを守って、150年もの間あの森でひっそりと暮らしていたのだろう。リリーが戻ってくるのを待っていたのかもしれない。
ヒューバートの胸に、ずっしりと重苦しい何かがのしかかってくる。ダリアの日記をこれ以上読むのは、気が進まなかった。
「……ふう」
胸を塞ぐ重苦しさを吐き出すように、彼は大きく息をする。目を閉じれば、頬を染めた彼女の愛らしい笑顔が浮かんだ。
(彼女を守るためには、リリーと聖獣に何が起こったのか、きちんと知っておく必要がある)
よし、と覚悟を決めて日記に手を伸ばした時、部屋の外が急に騒がしくなった。
「ここだな?ここにいるんだろう!?」という怒鳴り声と共に、ドアが蹴破られる勢いで開いた。
「おい!!」
振り返れば、顔を真っ赤にしたオリバーが、肩で息をするようにして仁王立ちしている。怒りのあまり髪が逆立っていて、本当に赤鬼のようだ。
「なんで俺を置いて行くんだよ!?」
「すまん、完全に忘れていた」
「なん……だ、と?」
あまりのことに絶句したオリバーに、ヒューバートは隣の椅子を指し示した。
「まあ座れ。あの毛玉の正体がはっきりしたぞ」
「なに!?」
オリバーはドスドスと足音高く近づいてくる。
(さすがに申し訳なかったな)
あとで美味い酒でも奢らなければと思いながら、ヒューバートはふっと肩の力が抜けるのを覚えた。
胸をふさいでいた重苦しさを、この赤鬼が吹き飛ばしてくれたのだ。
「オリバー、あとで高級ワインを奢るから、取りあえず話を聞いてくれ」
この友がいて良かったと思いながら、ヒューバートは集めたパズルのピースを合わせるように、自分のこれまでの推測と真実について話し始めた。




