(5)森の番人小屋
走るうちに雨はどんどん強くなり、風も吹きつけてきた。
エルナは胸のリュックを雨から守る。必死の思いで森のぬかるんだ道を行くと、ようやく目指す小屋が見えた。
リュックのポケットから急いで鍵を取り出し、粗末な木のドアをあけて中に飛び込む。
森番小屋には部屋がふたつ。 入ってすぐに、二人掛けの小さなテーブルのあるダイニング兼キッチン。その奥の狭い寝室には、クローゼットと小さなベッドがあった。
「はぁ、雨風は何とかしのげそうね」
びしょ濡れではあったが、とりあえず体にたたきつける雨からは解放されて、エルナはホッとため息をついた。
しかし、もうじき日が暮れてしまう。その前に灯りを確保しなければならない。
薄暗いキッチンの作業台の下の扉を開けて、エルナはオイルランタンとマッチを取り出した。ランタンのガラスを外して灯芯に火をつけると、暖かな光が周囲を照らす。
屋敷の人間には内緒にしていたが、実はこれまでにも小屋には時々来ていたので、こういったものも用意してあったのだ。
(まさか、ここで暮らすとは思ってなかったけど)
この小屋は祖父の時代に建てられたものだ。
オルネ王国では、狩りを王族の嗜みのひとつとしている。王都から近いこの森は、王家の狩場のひとつに選ばれていた。
そのため、以前は森の整備のために番人が住んでいたそうだ。
現在は王族の訪れがなくなったため、小屋は無人のまま放置されている。それをエルナと母は秘伝のスパイスの調合のために使っていた。
わけがあって、人前では秘伝のスパイスを作ることができないからだ。
エルナは母が亡くなった後も、この小屋に一人で来てスパイスの調合を続けていた。
(まずは濡れた体を何とかしないと)
季節は秋。まだ寒くはないが、さすがに濡れたままでは風邪を引いてしまう。
エルナは奥のクローゼットからタオルを何枚か取り出してきて、濡れた髪や体を拭いた。着替えて濡れた服を室内で干したあと、小さなテーブルの上にリュックの中身を並べる。
「良かった、濡れてないわ」
大切なレシピノートが濡れずに済んで、エルナはホッと吐息を漏らす。
赤い表紙を開けば、母の端正で優雅な文字が並んでいる。中に挟んだ権利書も無事だった。エルナは少し迷ったすえ、そのままクローゼットの引き出しの奥にしまい込んだ。
「これも大丈夫ね」
ナイフセットの入った木の箱を開けると、そこには銀色に輝く四本のナイフが入っていた。
肉や魚を切るためのシェフナイフ、細身の刃のスライサー、小ぶりのペティナイフ、パン切りナイフだ。金属で作られた柄の部分に、どれも優美なツタの葉の模様が彫りこまれている。
エルナは、ナイフセットをキッチンの作業台下の収納に、秘伝のスパイスの小瓶を壁のスパイス棚にしまった。
(お父さまたちに取り上げられなくてよかった)
これらがエルナの手元に残ったのは、アーサーたちが価値が無いものだと決めつけたからだ。
彼らは秘伝のスパイスにも、たいした資産にならない小さな森にも興味はなく、このナイフのセットの素晴らしさも理解できないのだ。
「だけど、私にとってはどれも大切だわ」
エルナがそう呟いた瞬間、窓の外に白い閃光が走った。
バリバリバリ!!!
「キャー!」
空を引き裂くような雷鳴がとどろき、エルナは悲鳴をあげた。走って寝室のベッドに飛び込む。頭から毛布をかぶると、両手で耳をふさいだ。
エルナは小さな頃から雷が怖くて仕方ないのだ。17歳にもなって恥ずかしいとは思うけれど、こればかりはどうにもならない。
(お母さま、助けてください)
子供の頃、母は雷を怖がるエルナと一緒に毛布をかぶりながら、色々な物語を聞かせてくれた。なかでも彼女が好きだったのは、オルネ王国の伝説である聖獣グラニーと聖なる乙女の物語だ。
エルナは気を紛らわせるために、何度も聞いたその物語を心のなかで思い返す。目を閉じれば、その時の母の声と温もりがよみがえってくるようだ。
昔むかし、この国を飢饉が襲いました。
何日も雨が降らなかったため、多くの作物が枯れてしまい、人々は飢えに苦しみます。
そんなある日、王都近くの小さな農村の娘が、森で倒れている小さな獣をみつけました。
心優しい娘は、獣を家に連れて帰って懸命に介抱し、少ない自分の食料をわけてやります。
そのかいあって獣は元気になり、やがて不思議な力を発揮し始めました。
獣が大地に祈れば、ひび割れた土の奥から泉が湧き出し、畑に向かって祈れば、枯れていた作物がみずみずしい緑によみがえったのです。
娘と獣は国じゅうをまわって大地を潤し、枯れた農地を緑豊かに変えていきました。
人々は喜び、その功績はすぐに国王の耳に届きます。
国王は不思議な力を持つ獣を聖獣グラニーと名づけ、獣を国の守り神として大切にしました。
そして聖獣を助けて国のために働いた心優しい娘を、聖なる乙女として妃に迎え入れたのです。
以来、この国では飢饉は一度も起きたことがありません。
これは、この王国の者なら誰もが知っている物語だ。おとぎ話のようなものだが、実際に母も祖父も飢饉の話は聞いたことがないと言っていた。
このことがあり、この国では作物を美味しく調理することが美徳とされるようになったと言われている。
人々は、大地の恵みを無駄なく美味しくいただくことこそ、聖獣グラニーの恵みへの最大の感謝だと考えたのだ。
そして国を飢饉から救った聖なる乙女は、自分や母と同じ緑色の瞳を持っていたとされている。幼いエルナは、清らかな美しさを持つ母に、聖なる乙女のイメージを重ねていた。
(お母さま)
毛布にくるまり、優しかった母との思い出に浸る。 雷鳴が少しずつ遠ざかり、エルナもいつしか眠りの中に落ちていった。




