(8)森へのささやかな疑問
エルナがかまどにかけた鍋のフタを開けると、湯気と共に食欲をそそる香りが立ち上る。
「わあ、美味しそう!」
昨日、いつもの肉屋で鶏肉を買ったら、あの強面の店主が鶏ガラをおまけにくれた。最初はスープにするために出汁を取ったのだけれど、思いついて米と一緒に炊き込んでみたのだ。
具材は鶏肉の切れ端と根菜、オイル漬けのキノコ。それらをキノコの風味が移ったオイルで炒め、鶏ガラスープと一緒に炊いた。
ヘラを使って鍋の中をかき混ぜれば、鍋の底にはショーユーの香りが香ばしいおこげが出来ていた。
(きっと気に入ってくださるわ)
思った以上の出来に、エルナは会心の笑みを浮かべる。
あとは二人がやってきたら、鶏のモモ肉をステーキにして出す。こちらは塩と胡椒、ヒールシャワーを中心にしたスパイスとハーブで味をつけてあるので、あとは焼くだけだ。
この日、彼女は張り切って早起きした。
まずは八百屋の女将の注文に応えるべく、ポムと畑に行ってトマトの種をあるだけ全部植えた。
「キュウ!」
ポムが進み出てお祈りのようなポーズをとる。畑に魔力が渦巻いて、すぐに生命力あふれる芽が全ての種から生えた。
「ありがとう、ポム!」
これで明日の朝には、立派なトマトがたくさんできているだろう。
……ひゅう!
トマトの芽が整列した畑をエルナが満足げに見ていた時、一陣の風が畑の上を通り過ぎていった。それは秋の深まりを感じさせる冷たい風だ。
だが、暖かなポンチョを着たエルナはへっちゃらだった。
(暖かいのに軽くて動きやすいし、もう手放せないかも)
彼女は胸元の布地に手を滑らせ、柔らかくてスベスベした感触を楽しんだ。
実は畑仕事で汚すのが怖くて、エルナは最初、ポンチョを着ないで外に出ようとしたのだ。
「きゅうう!」
だが、ポムが「着ないとダメだよ」というように、心配そうな目で見上げてきたので、やはり羽織っていくことにした。
もったいない気持ちはあったけど、せっかく用意してくれたものを着ないのは、彼に失礼だと思いなおす。
(風邪を引いたりしたら、ヒューバート様をがっかりさせちゃうわ)
優しく細められたアイスブルーの目を思い出して、エルナの胸にぽっと温かな灯が灯った。
静かに目を閉じて、そっとその名を呼んでみる。
「ひゅ、ひゅう、ひゅーばーとさま……ヒューバート様」
エルナは自分の胸に両手を重ねた。ドクドクと心臓の鼓動が伝わってくる。名を呼ぶだけで、こんなにも心が浮き立つなんて。
(もっと練習しとかないとダメかな?)
練習なんて恥ずかしいけれど、ここにいるのは自分とポムだけだ。エルナはもう一度目を閉じると、瞼の裏に銀髪の精悍な姿を思い浮かべた。
「ヒューバート様、ヒュー……」
発声練習をするように、今度は少し大きな声で言ってみる。
自分の声が静かな森に響いたのが急に恥ずかしくなり、エルナはカッと熱くなった頬を押さえた。
ガサッ!!
その時、背後の木立で音がした。なにかが動いたような気配に、彼女はハッとして振り返る。
「キュウ!」
ポムは音のした方へと円らな瞳を向ける。エルナも目を凝らして見るが、そこに動くものは見つけられなかった。
(怖い獣がいたらどうしよう?)
彼女は顔をこわばらせた。
ポムは長い耳をぴくぴくと動かし、木立の奥を探るように見つめている。先日の朝、小屋の外でなにかを警戒していた時と同じだ。
だが、そこに生き物の姿はない。
考えてみれば、この森では魔獣はおろか、大型の動物でさえ見たことはないのだ。
(お母さまも、危険な動物はいないと言っていたわ)
母はこの森のことを誰よりもよく知っていた。だから、きっと大丈夫だ。
もう一度音のした木立の方に目を向けると、エルナはポムを抱き上げた。
「大丈夫よ、きっとウサギか何かだわ」
エルナはそう語りかけて、自分自身を安心させる。
「それより、お昼ご飯の支度をしなくちゃね」
「キュウ!」
ご飯と聞いて、ポムの目が輝いた。
「食いしん坊ね」と笑いながら小屋へと戻りかけ、ふと、首をひねった。
(だけど、せいぜいウサギくらいしかいない小さな森で、狩りなんてできたのかしら?)
歴代の国王が狩猟のために訪れたというが、狩るべき獲物など、この森にはいないのではないか。
それとも、昔はいたのだろうか?
「……考えたって分からないよね」
胸に浮かんだ小さな違和感から目を背けると、エルナは早足で小屋へ戻った。




