(7)聖なる乙女と聖獣の記録
翌日、ヒューバートは夜明け前に起き出した。一人で身支度をすると、こっそり部屋を抜け出して、馬にまたがる。
昨夜はあれから、溜まっていた書類仕事を片付けたので、睡眠時間はほんの僅かだ。だが、短時間でもぐっすり眠れたせいか、体は軽かった。
こんなによく眠れたのは、何年ぶりだろうか?あの毒殺未遂事件以来、彼は常に浅い眠りに悩まされていた。
(きっと、寝る前に飲んだエルナのハーブティーのおかげだ)
馬を走らせながら彼は思った。昼間には多くの人や馬車が行き交う王都は、今はまだ夜明け前の静寂のなかに沈んでいる。
オリバーを置いて一人で抜け出して来たのは、エルナと毛玉の正体にまだ確証がなかったからだ。
自分の予想通り、聖なる乙女と聖獣が再び見出されたということなら、国王も黙って見過ごしはしまい。
彼女を守るには何が一番良いのか。自分のなかではっきりするまで、ヒューバートはできる限り周囲に伏せておくつもりでいた。
朝日が昇って、早朝の王都を照らし始める。その光を受けて白く輝く王宮が、彼の目の前に姿を現した。
「こ、これは、第三王子殿下!」
めったに姿を見せない王子の早朝の来訪に、王族専用の出入り口に立っていた騎士たちが慌てる。
「少し調べ物があって来ただけだ、通るぞ!」
騎士たちにそう声をかけると、ヒューバートは馬を降りて預けた。
王宮の一角にある、資料や書籍を集めた部屋。彼はその前を素通りして、その先の人気のない廊下へと足を運ぶ。
この廊下の壁には、歴代の王族の肖像画が飾ってある。子供の頃に王家の歴史を学ぶため、彼は何度か訪れていた。
そのなかに、聖なる乙女である、リリー妃の肖像もあったはずだ。
ヒューバートの父である現王から数えて四代前の、ロレンス王の時代。
それは今から150年ほど前になる。ロレンス王は飢饉を救ったリリーを妃とし、作物を豊かに実らせる獣を聖獣とあがめた。
それは紛れもない真実であり、聖なる乙女も実在した人物だ。
だが、当時を知る人々がいなくなった今、聖なる乙女と聖獣の存在は、単なるおとぎ話となりつつあった。
(ここだ)
彼は足を止め、壁に掲げられた肖像画を見上げる。
そこに描かれたリリー妃は、艶やかなハニーブロンドと新緑色の瞳を持つ、とても美しい女性だ。
美しいが、寂しげで儚い。
(こんなに……寂しそうな顔をしていたのだな)
ヒューバートは胸を突かれる。
子供の時には気がつかなかったが、豪華なドレスに身を包み、たくさんの宝石で身を飾られたリリーは、これっぽっちも幸せそうではなかった。
(確か、側妃だったはずだ)
彼女は元々平民の出身だし、ロレンス王にはすでに正妃がいたからだろう。
リリー妃の生家は、ブルック伯爵家領の片隅にある、小さな村の村長の家系だ。
村長は飢饉のなか炊き出しで人々を救った功績と、娘であるリリーが聖獣と共に国を救ったことで、男爵位を与えられた。
しかし、平民として自由に森を駆け回っていた少女が、こんな王宮に暮らして本当に幸せだったのだろうか?
おとぎ話は「めでたし、めでたし」で終わるが、現実の人間にはその後の暮らしがあるのだ。
王の側妃になったあと、彼女は病気になって若くしてこの世を去った。
王宮の暮らしに馴染めなかったのかもしれない。実家の男爵家も、三代で血筋が絶えてしまったという。
(それにしても、エルナによく似ている)
髪や目の色だけでなく、顎の線や口元など、顔立ちにも共通点が多い。
リリー妃とエルナの間に血のつながりがあると言われても、うなずけるくらいに両者は似ている。
エルナが肖像画と重なり、彼の胸は重苦しさに覆われた。彼女にこんな表情をさせる訳にはいかないと、あらためて思う。
だが、ブルック伯爵家は聖なる乙女とどういう関係だったのだろうか?元々は領民だったのだから、男爵家の後ろ盾にはなっていただろうが……。
「リリー妃について、もっと調べる必要があるな」
ヒューバートはもう一度肖像画を見上げた。その美しく儚げな姿を目に焼き付けると、踵を返して資料室へと向かった。
(とにかく、ロレンス王の時代の資料から見ていこう)
今は伝承ではなく、その時代の記録が見たかった。
聖獣にしても聖なる乙女にしても、時が流れるにつれ、物語性を高めるために脚色されるようになってしまっているのだ。
管理人に一声かけてから、資料室の奥の奥、昔の資料を保管する狭い部屋へと入る。
彼は棚に目を向け、条件にあてはまる資料を探した。片隅の小机の上に、資料がみるみる積み上げられていく。
「……思ったよりも多いな」
全部に目を通していては、何日かかるか分からない。ヒューバートはまず、当時の飢饉の資料に目を通すことにした。
そこには、雨が全く降らず、多くの国民が飢餓に苦しんだ惨状が記されていた。彼はその資料の後半に、聖獣と乙女についての記述を見つける。
『ブルック伯爵から、飢饉を救う娘が現れたとの報告あり』
(これだ!)
ヒューバートははやる胸を抑えて、続く文字を目で追う。
それによれば、ブルック伯爵領では、枯れた麦がみるみる復活したという。信じがたい報告に、ロレンス王が自ら領内に駆けつけた。
そこで王は黄金色の麦の穂が揺れる大地を目にし、騒ぎの中心になっていた村娘に謁見を許す。
『リリーと名乗った娘は、誰も見たことがない不思議な獣を連れていた。数々の奇跡は、その獣の力によるものだ』
獣とは、聖獣のことだろう。その見た目について、もっと詳しい記述はないのだろうか?
彼は続く文字列を指でたどりながら探した。
(あった!)
『陛下は白き獣を懐に抱き、長い耳を持つその頭を撫でた』
つまり、リリーの連れていた聖獣は、白くて小さくて長い耳を持っていたのだ。
(外見の特徴は当てはまるな)
彼は顎に手をやり、あのカボチャスープに含まれていた魔力について考えた。
常識外れに大きかったというそのカボチャは、あの毛玉の魔力によって大きく育ったのだろう。
資料にも伝説にも、特大の農作物が採れたという記述はない。しかし、エルナの癒しの魔力によって毛玉の力が増大し、大きな作物ができた可能性はある。
(私もオリバーも、エルナの作ったものを食べたあとは、体の調子が良くなる)
同じ効果をあの毛玉も感じているから、エルナと一緒にいるのかもしれない。そういえば、最初に出会った時、毛玉は土産用のクロケットを全部平らげていた。
(もしかして、リリーにもそんな力があったのかもしれない)
ヒューバートは引き続き様々な資料を調べてみたが、そのような記述は見つけられなかった。
そして不思議なことに、聖獣がどうなったのかも、どこにも記録がないのだ。
まるで誰かが、意図的にその存在を隠してしまったかのように。
「これ以上は何も出てこなそうだな」
……バン!!
ヒューバートがあきらめて腰を上げようとした時、資料室のドアが勢いよく開いた。
「おい!なんで俺を置いて行くんだよ!?」
息を乱したオリバーが怒鳴った。髪にはまだ寝ぐせが残っている。昨日の疲れのせいか、今朝は少しばかり寝坊したのだ。
慌てて飛び起きたが、ヒューバートはすでに姿を消していたので、血相を変えて追いかけて来たのである。
いくら強いとはいえ、お供の一人も連れずに出歩く王子など、前代未聞だ。
「なんだ、遅かったじゃないか」
ヒューバートは時計に目をやる。王宮に来てから数時間が経過していた。
「王都の道が混んでて馬を飛ばせなかったんだよ!……って、そういう問題じゃない!」
「じゃあ、森に行くにも時間がかかるな。さっさと行くぞ」
彼の怒りを涼しい顔で受け流すと、ヒューバートはさっさと資料室を出て行ってしまう。オリバーは髪を逆立てたまま、しかたなくその後を追う。
リリー妃の寂しい笑顔を締め出すように、ヒューバートはこれから会いに行く、愛しい女性へ想いを馳せた。
(今日は何をご馳走してくれるのかな)
その胸にはもう、こげ茶のポンチョを着た愛らしい姿しか浮かんでいなかった。




