(14)伯爵邸に吹き荒れる嵐
この日、ブルック伯爵家のアガサの部屋では、ドレスの試着が行われていた。
数日後に見合いを控えているアガサは、自分を華やかに見せるための一着を選ぶのに、執念を燃やしていた。
「ちょっと!私に全然合わないじゃない!!」
金切り声を上げる彼女が今身につけているのは、上質なシルクで作られた真っ赤なドレス。胸を飾るフリルが、アガサを太った金魚のように見せていた。
そのうえ、背後の金具がどうしてもはまらず、むちむちした背中が丸出しの状態だ。
「あんたたち、ドレスもまともに着付けられないの!?」
アガサは地団駄を踏んだ。
その周囲に散らばるのは、鮮やかな原色のドレスの数々。どれもたっぷりのフリルで飾られていて、南国の花のように絨毯の上を彩っている。
それらは全て、アガサの好みに合わせて特注されたものだ。
だが、今の彼女には一つとして合わない……サイズが。
侍女たちがコルセットをどんなにきつく締めても、豊満な体をドレスの下に押し込もうと頑張っても、どこからか肉がはみ出てしまう。
「アガサお嬢さま、こちらのドレスはいかがでしょう?」
侍女の一人が、びくびくしながら真っ黄色のドレスを差し出す。
「そんなもの着ないわよ!」
「あっ!」
アガサはその手からドレスをむしり取り、床に投げつけた。
どうせこのドレスも着られやしないのだ。
それは侍女たちのせいではないと分かっているのに、イライラがどうしても抑えきれない。
「まったく!どいつもこいつも役立たずね!!」
そう叫んだアガサの周囲に、不格好なつむじ風が巻き起こる。それは感情のままに振り回すだけの、制御のできない、生ぬるい風だ。
「お、お止めください!」
「アガサお嬢さま、落ち着いて下さいませ」
侍女たちの制止の声は、すぐに悲鳴に変わる。
部屋に嵐が巻き起こり、床に散らばったドレスが宙を舞い、テーブルランプや花瓶が倒れて床に転がる。天井のシャンデリアがゆらゆらと揺れ、ベッドの天蓋を囲む布がはためいた。
侍女たちは寄り添って床に屈みこみ、頭を下げて嵐が過ぎ去るのを待った。
アガサの魔力量など、たかが知れている。ほんの少し我慢していればすぐに収まることを、侍女たちは分かっていた。
やがて、風の勢いは弱くなり、宙に浮いていたドレスが音もなく床に落ちた。侍女たちはホッとして顔を上げる。
「はあ、はあ、はあ!」
魔力を使い切ったアガサは、肩で大きく息をしている。赤らんだその頬には、化粧で隠しきれない吹き出物がいくつも出来ていた。
「お茶にするから、着替えさせて!」
「か、かしこまりました」
侍女たちがいっせいに立ち上がり、床に散乱する物を避けながらアガサに近づく。震える手で背中の開いたドレスを脱がせ、楽な普段着のドレスに着替えさせた。
「ふん!」
アガサは鼻を鳴らし、鏡の中の自分をにらみつける。最近作ったウエストの緩いドレスを着た自分は、以前よりもずっと太って見えた。
(違う。太って見えるんじゃなくて、太ったのよ!)
現実を直視せざるを得なくなって、彼女は唇を噛む。
最近は何もかもが悪い方向に向かっている。どんどん肉付きが良くなるし、肌は荒れるし、体はいつもだるくて重い。
食の好みも食べる量も以前と変わらないのに、どうしてだろう?
アガサは昨夜の食事風景を思い出す。
「あのコックはどうも、脂っこい料理ばかり出し過ぎるな」
父のアーサーが、胃のあたりをさすりながらそう言った。大好きなはずの脂ののったステーキは、まだ半分ほど残っている。
彼が最近は胃薬を手放せなくなったのを、アガサは知っていた。
「あら、どれもあなたの好物じゃないですか」
母のジャネットは相変わらず食欲旺盛だが、ナイフを握る指は以前にも増して太い。ドレスもピチピチで、今にもはちきれそうだ。
肉を咀嚼するたびに、たるんだ顎が揺れる。そこに並んでいるのは、ブツブツとした吹き出物の跡。
アガサは急に食欲をなくして、好物のポテトフライを残した。
(ちょっとおやつを食べ過ぎたかな?)
最近はなにを食べても美味しいと感じられない。
以前は楽しかった食卓。それが今では、正体の分からない重い空気に支配され始めていた。
(これってみんな、お姉さまを追い出してからじゃない?)
散らかった自室で、アガサは鏡のなかの自分に問いかける。以前と変わったことと言えば、それくらいしか思いつかない。
エルナは家族の健康に気を配って、食事の用意をしていた。母の言うように、「くだらない」と思ってきたけれど、結局は姉が正しかったのかもしれない。
両親はまだ、エルナを屋敷に入れる気はなさそうだが、自分が頼めば呼び戻すことが出来るだろう。
(今頃はきっと、みじめな生活を送っているんでしょうね)
あのオンボロ小屋で、食べるものもなくて震えている姉を想像し、アガサは口元に笑みを浮かべた。
自分が手を差し伸べてやれば、きっと泣いて喜ぶに違いない。恩を着せて連れ戻し、今まで以上に姉をこき使ってやろう。
(奴隷のように、ね)
エルナが自分の前にひれ伏す姿を想像し、アガサの口角はさらに上がった。
自分のために膝をつき、あかぎれだらけの手でドレスの裾を捧げ持つ姉。その屈辱に満ちた表情を想像するだけで、イライラがすっと消えていくようだ。
「部屋を片付けておいてね!」
アガサは侍女たちに言い放って、廊下へと続くドアに足を向ける。
お茶のために居間へ向かうのではない。あの赤毛の騎士を探しに行くのだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
次章から物語は大きく動いていきます。
ここまで読んで面白いと思っていただきましたら、リアクションや評価、感想をいただけますと励みになります。




