(13)ヒューバートの苛立ち
地面を彩る落葉を踏みしめながら、馬上の騎士は森の道を王都へと戻っていた。木々の間からは、時おり冷たい秋風が吹きつけてくる。
オリバーはマントのないヒューバートに冷めた視線を向けるが、彼は微塵も寒くはなさそうだ。
彼は先ほどまで、小屋の前で見送るエルナを何度も振り返っていた。
何度も、何度もだ。
未練がましく森の奥を見遣るその姿は、まるで初恋を知ったばかりの少年そのもの。
きっと、今の彼は雪の中に放り込んだとしても、寒くはないのだろう。
「で?明日の夕方にまた来るって?」
オリバーの声には、少し責めるような響きがあった。勝手にそんな約束をされては困るし、何よりなぜ夕方なのかが分からない。
「……を準備してやらないと」
「は?なんだって?」
独り言のように呟いたヒューバートの声が聞こえなくて、彼は聞き返した。
「服だ。エルナは冬に着る服を持っていないに違いない」
「ううむ……」
オリバーは唸る。確かに、あの身なりでは冬は越せまい。
先日と同じくたびれたワンピースを着ていたし、防寒できる服を持っていない可能性は高いだろう。
「だから、明日はなにか着るものを持って行ってやりたい。二度と寒さに震えることがないようにな」
その声音には、強い意志が感じられた。それが今の最優先事項だと、固く思い込んでいるに違いない。
(それで夕方って言ったのか)
急いで準備してやるつもりなのだろう。
オリバーは呆れと当惑を覚えた。
それも無理はない。これまで女性に無関心だった男が、いきなり素性の分からない娘に強い関心を示し始めたのだ。
彼女のおかげで味覚障害が治る希望ができたとはいえ、いつも冷静で慎重な彼には似つかわしくない行動だ。
(まったく、最近は珍妙なことばかり起きるな)
珍妙といえば、あの毛玉もそうだ。
ヒューバートが警戒を強めるほどの未知の魔力。一体どんな凶悪な魔物が潜んでいるのかと、身構えていたが……。
フタを開けてみれば、ウサギだかリスだか分からないような、ちんまりとした毛玉が一匹。
「ぷっ!」
オリバーはたまらずに噴き出した。小さな木のフォークでコンコンと殴られていた、ヒューバートの弱り切った姿を思い出したのだ。
「なんだ?」
「いや、あの毛玉はなかなか……ぶはっ!……強かったと思って」
怪訝そうに眉根を寄せたヒューバートに、オリバーは笑いながら答えた。
「ああ、あれか」
彼は鼻を鳴らしたが、その口元には小さな笑みが浮かんでいる。
「あれは、いったい何なんだ?」
「もう少し調べてみないと分からん」
ヒューバートは小さく首を振った。あの毛玉について、ある程度の予想はついているのだが、姿が想像とあまりにも違い過ぎる。
彼は王宮に飾られている絵画を思い浮かべた。そこに描かれた神獣は、とても大きくて雄々しい。
確証が得られるまで、彼は親友にもうかつな事を言うつもりはなかった。
ヒューバートはオリバーを振り返る。
「そんなことより、エルナの素性は分かったのか?」
「帰ったら部下の報告を聞くことになっている」
オリバーも部下を急かしていたのだ。ヒューバートに希望の光を灯した娘が何者なのか、早めに知っておきたかった。
「そうか、なら急いで帰ろう!」
ヒューバートは馬の腹を蹴って、加速させる。
(まったく、最近のアイツときたら!)
みるみる遠ざかる馬の背を追いながら、オリバーは心の中でボヤいた。だが、その表情は明るい。
色々と心配事は絶えないが、昔の……毒を盛られる前の生き生きとした友が帰ってきたようで、嬉しくもあったのだ。
「父親はいったい何をしているんだ!!」
ヒューバートは怒りを露わにして、拳で机をドンと叩く。
魔力が漏れ出て風が巻き起こり、机上の書類が切り刻まれて、紙吹雪のように室内を舞った。
ここは騎士団の執務室。彼はオリバーと一緒に、エルナについての調査結果の報告を受けているところだ。
「ひっ!」
あまりの剣幕に、報告していた部下は小さく悲鳴をあげた。
魔獣と正面から対峙する、肝の据わった騎士でさえ震えあがらせる。それほどの怒りの熱量が、今のヒューバートからは発せられていた。
「落ち着いてください、隊長」
部下の手前ヒューバートを諫めたものの、オリバーも腹の中が煮えくり返っていた。胸の前で筋肉の盛り上がった腕を組み、鬼の形相で虚空をにらみつけている。
部下の調べたところでは、あのエルナという娘は、なんとブルック伯爵家の令嬢である可能性が高いという。
(確かにあの森は、ブルック伯爵家の所有ではあるが)
ブルック伯爵家といえば、建国以来続く古い家柄で、名門中の名門。
その令嬢が森の粗末な小屋で暮らしているなど、信頼できる部下からの報告でなければ、とうてい信じられないところだ。
「本当に間違いないんだな?」
「貴族名簿にも、長女の名はエルナと記されております。年齢や特徴も一致しますし、同一人物と見て間違いないかと」
念を押すオリバーに、部下は淀みなく答えた。
聞けば、エルナは17歳にも拘わらず、社交界にデビューしていないという。一方で、一歳年下の妹であるアガサは、派手に着飾ってあちらこちらの社交場に出入りしているらしい。
「それに、小屋の周囲を見回っている際に、若い赤毛の騎士を見かけました。後をつけたところ、ブルック伯爵邸へ入るのを見届けております」
優秀な部下は、小屋の周囲にもその騎士のものらしきブーツの跡を見つけたという。
「うむ」
伯爵家の騎士が見回っているなら、もう間違いはないだろう。恐らく父親が娘の身を案じて、騎士を巡回させているのだ。
そんなオリバーの考えを見透かしたように、ヒューバートが毒づく。
「ふん!後をつけられているのにも気づかぬ馬鹿が、何の役に立つ!」
彼は指先でトントンと机を叩いた。イライラしている時の彼の癖だ。
直立不動で立つ部下に、ピリリと緊張が走る。だが、眉間に刻まれた深いシワを見れば、彼もこの現状に怒りを感じているようだ。
外に愛人や子供を作るのも、妻を亡くしたあとに再婚するのも、貴族には珍しくない。
そして、後妻と先妻の子がうまくいかないことも。
だが、娘をあんなボロ小屋に追いやるなど、聞いたことがない。何があったにせよ、だ。
オリバーは深いため息をつくと、部下に確認した。
「現当主が婿養子ってことは、エルナ嬢を産んだ母親は、先代ブルック伯爵の娘ってことだろう?」
「はい」
「だったらエルナ嬢は、ブルック伯爵家の血を引く、唯一の人間だよな?」
部下は黙ってうなずく。
「それでは伯爵家の乗っ取りではないか!」
ヒューバートが再び吠えた。今度は魔力が漏れないように堪えているが、握られた拳はプルプルと震えている。
「だから落ち着けって。たとえそうだとしても、法律上問題がないなら、王家だって口は出せない」
私情で他家の内情に口を出せば、ブルック伯爵に逆手を取られて、彼の王族としての立場を危うくする恐れもあるのだ。
「……くっ!」
ヒューバートは血が滲むほど唇を噛みしめる。
そして、地獄の底から聞こえてくるような、それはそれは低い声で部下に命じた。
「現当主と、その隣国の貴族だとかいう、伯爵夫人の素性を調べろ」
必ず何かあるはずだ。
ヒューバートの騎士としての勘が、しきりにそう告げていた。




