(12)美しい魔法
「エルナ」
ヒューバートに名前を呼ばれて、エルナの心臓がトクンと跳ねる。胸の内がほんわり温かくなるのを感じながら、彼女は背の高い銀髪の騎士を見上げた。
「お詫びの代わりと言ってはなんだが、何か手伝えることはないか?」
「い、いえ、そんなお詫びなんて……」
エルナは首を横に振った。昼食を用意した手間賃は先日もらっていたので、これ以上のことをしてもらう気など、毛頭なかったのだ。
「遠慮することはないぞ、エルナちゃん。我々は力仕事ならお手のものだし、風魔法だって使えるんだからな!」
「我々にお任せを!」と、たくましい腕を誇示するようにポーズを決め、オリバーは楽しげにおどけて見せた。
(うーん、どうしよう?)
無下に断るのも悪い気がしてきた。エルナは首をかしげて、しばし考える。
(あっ、そうだ!)
ひらめいた彼女は、二人に向かって聞いた。
「あの、私、薪が足りるか心配してまして。今あるだけで冬を越せそうか、ちょっと見ていただけませんか?」
足りなさそうなら、秋のうちに確保しておきたい。イグニッションを使えば、なんとか自分で薪割りが出来るのではないか。
「薪か。たくさんあっても困るわけじゃないから、心配なら作っておこう」
ヒューバートはそう言って、小屋を囲んでいる森の木々に視線を巡らせる。隣に並ぶオリバーも、一緒に木の品定めを始めた。
(え?今から薪を作るの?)
戸惑いながら二人を見ていると、オリバーが一本の木を指さす。
「あれなんかどうだ?」
それはクヌギの木で、薪にするには手ごろな大きさだった。クヌギは長く燃えるので、調理に使うのに向いている。
「よし、俺に任せろ!」
オリバーは一歩前に出ると、エルナにニッと笑いかけた。
……ヒュン!
右手を下から上に大きく振り上げると、一陣の風がクヌギに向かって飛んでいく。
彼が風魔法を使ったのだと気づいて、エルナは目を見張った。
ヒュン!ヒュン!ヒュン!
見えない刃が、あっと言う間に葉の生い茂る枝を切り落とした。切られた枝が、周囲の地面へバサバサと落ちていく。
その場には、枝のそぎ落とされた幹だけが残った。
「わあ!ゴードン様、すごいです!!」
「キュ、キュウ!!」
その鮮やかな手並みに、エルナは歓声を上げ、パチパチと拍手を送った。腕のなかのポムも、興奮して鳴き声を上げている。
狙った枝だけを切り落として、周囲の木には小さな傷ひとつ付いていない。本当に見事だ。
(これだけの魔法を使えるようになるには、きっとたくさんの努力が必要だったに違いないわ)
ちょっと軽い感じの人だと思っていたけれど、きっと根は真面目なのだろう。
エルナは尊敬の眼差しをオリバーに向けた。
「いいや、見ておられん!」
突然、ヒューバートがその前に立ちふさがり、エルナの視界を遮ってしまう。
「お前の魔法は、雑すぎる」
「そりゃあ、すみませんね」
周囲を凍りつかせそうなほど怖い顔で、オリバーの魔法にダメ出しをした。言われた方はと言えば、何やら面白がっているように、へらへらと笑っている。
「魔法とは、こう使うのだ」
エルナにチラと視線を向けると、彼は腕を肩の高さまで上げた。そして空間を切り裂くように、右から左へと一閃させる。
……シュッ!
微かな空気の震えを感じた一瞬の後、クヌギの太い幹は音もなく切断されていた。
速さと圧倒的な威力に、エルナは息を呑む。
ヒューバートが手で操る風に乗って、クヌギは周囲の木々の間をゆっくりと倒れた。
完全に横になったところで、ふわりふわりとこちらへ向かってくる。大きな木が軽々と、まるで羽のようだ。
(す、すごい!)
驚いているエルナの前を横切り、クヌギは小屋横の空き地に静かに着地した。
(こんな見事な魔法は初めて見たわ)
アガサやアーサーも魔法を使うが、それは使用人を罰したり、人に自慢げに見せつけるだけの「芸」でしかない。
それに対して、騎士たちが使う魔法は魔獣から人を守るためのものだ。鍛練を積んだその魔法は力強く、洗練されている。
「さすがですね、アルスター様!」
横からオリバーが茶化す。
彼は先ほどから、ニヤニヤ笑いを抑えられないでいた。冷徹王子が女の子に「良い所」を見せようとするなど、前代未聞の珍事と言えよう。
そんな彼を無視して、ヒューバートはエルナに精悍な顔を向ける。
「さあ、次はこれを薪にしよう」
そう言って、右手の人差し指を立てる。まるでオーケストラの指揮をするように、優雅にその指を動かし始めた。
シュッ!
シュッ!
指が動くたびに、鋭い風が木を切り刻んでいく。クヌギの木は、あっと言う間に薪の大きさに切り刻まれてしまった。
できあがった大量の薪は、ヒューバートの起こした風によって、みるみる小屋の横に積み上げられた。
「どうだ?私の魔法は?」
ヒューバートが得意げにこちらを振り返るが、エルナはすぐに返事ができなかった。あまりに凄すぎて、言葉が出てこないのだ。
長さの揃った薪が規則正しく積み上がっているのを、ただぼんやりと見つめる。
「エルナ?」
「素晴らしいです……こんなに見事な魔法は、初めて見ました」
彼女はようやく口を開いた。その声には、嘘偽りのない感動と賞賛がこもっていた。
「そうか!」
ヒューバートは破顔した。その笑顔は子供のように無邪気で、抑えきれない喜びであふれている。
眩しすぎるその笑顔に、エルナは思わず見惚れてしまう。ヒューバートも目を細めて見つめ返す。
エルナの心臓がまた早鐘を打ち始めた、次の瞬間。
「クシュン!」
彼女の口からくしゃみが飛び出した。冷たい風に身を震わせ、腕のなかのポムをギュッと抱きしめる。
日が少し傾いて、森の木々が周囲に影を作っていた。まだ夕方には間があったが、森は秋の冷気に包まれつつあった。
「寒いのか?」
ヒューバートは眉根を寄せ、遠慮がちにエルナの服装に視線を走らせる。
「いえ、大丈夫です」
腕のなかのポムをぐっと抱き寄せながら、彼女は首を横に振った。本当は寒いのだけれど、十分な着替えを持っていないなどと、知られたくはなかったのだ。
……ふわり。
視界が騎士の紺青色に覆われる。
ずっしりとした上質な生地の重みとともに、彼の体温がエルナを優しく包み込んだ。温もりに混ざる微かなコロンの香りが、鼻先をくすぐる。
(ええっ!?)
ヒューバートが自分のマントを掛けてくれたのだと気づいて、エルナは頭が真っ白になった。彼の温もりと香りに、頭がクラクラする。
「あ、あの……これ」
赤い顔で口をハクハクさせているエルナに、アイスブルーの目が微笑む。その瞳の奥には、隠しきれない情熱の灯が揺れていた。
「明日まで預かっておいてくれないか?夕方に来る」
「は、はい」
エルナはようやくそれだけ答えると、熱のこもった視線から逃げるように、目を逸らした。
(……俺は何を見せられてるんだ?)
後方では、オリバーが額を押さえて天を仰いでいた。




