(5)ヒューバートの事情
ヒューバートたちが帰ったあと、エルナはポムと一緒に焚き火を囲んでいた。
もうすっかり日は落ちて、森は静寂の中だ。パチパチと薪がはぜる音だけが聞こえる。
エルナが火にかざした串からは、肉の美味しそうな匂いが漂う。キャンプ気分で食事をするのを楽しみにしていたにも拘わらず、彼女はぼんやりと考え事をしていた。
(あの方、瞳は氷のような色だけれど、とても温かな手をしていたわ)
その温もりを思い出して、エルナは頬を染めた。
大きくて、ゴツゴツとした手のひらの感触がよみがえる。毎日のように剣を握り、人々のために魔獣と戦っている手だ。
社交界にデビューさせてもらえなかったエルナは、大人の男性に手を取られるのは初めてで、ひどく動揺してしまった。
(でも嫌じゃなかった)
驚きはしたけれど、きちんと非礼を詫びてくれたことに、誠実さを感じた。
半ば勢いで、彼の食事を作ることを承知してしまったが、後悔はない。
「エルナ、この力は人を助けるために使うのよ」
頭の中で懐かしい母の声が聞こえた。繰り返し聞かされてきた母の教えだ。
味覚障害に苦しんでいる彼の役に立つのなら、引き受けるのが正しいことのはずだ。
(でも……)
理由はそれだけではないと、エルナはまた顔を赤くする。彼の喜ぶ顔をまた見たいと思ってしまったのだ。
初めは、怖くて冷たい感じの人だと思った。なのに、焼きたてのパンにかじりつく姿を見たら、なんだか胸のあたりがほっこりとなってしまった。
「きゅ、きゅうううう!!」
「あっ、ごめん、肉が焦げちゃうね」
切羽詰まった鳴き声とともに、ポムがエルナの袖をつかんで揺すった。小さなハート形の鼻がヒクヒクと動いている。
ショーユーで味をつけた鶏肉からは香ばしい匂いが漂い、皮から出た脂がぽたぽたと地面に垂れていた。
「熱いから気を付けて」
「キュー!」
エルナが串を渡すと、ポムは熱さをものともせず、肉を口いっぱいに頬張った。丸い目を細めて、肉汁あふれる肉をモグモグと味わう。
「ふふふ、美味しい?」
その幸せそうな顔を見て、エルナは胸のあたりがほっこり温かくなった。
そして気づく。
(そうか!美味しい料理で喜んでもらえることが、私の幸せなんだわ!)
騎士さまを見て胸が温かくなったのはそういうことかと、エルナは心のなかで手を打った。
胸のつかえが取れたような気がして、自分も鶏の串を手に取る。口のなかにジュワッと肉汁があふれて、幸せな気持ちになった。
その晩、執務室でひとり食事をとるヒューバートの元へ、若い見習い騎士が夕食を運んできた。
そのトレイに乗っているのは、皿に盛られたサンドイッチとカボチャのスープ。
サンドイッチの鶏肉は柔らかく蒸され、タルタルソースがたっぷり挟んである。
味の分からない自分にも食べやすいようにと、料理長が工夫してくれているのだろう。見た目も美味しそうだ。
(……やっぱり味がないな)
一抹の期待を込めてサンドイッチを口にしたものの、それはすぐに失望へと変わった。
口のなかがモサモサとして、まるで綿を食べているようだ。
それを無理に飲み込もうとしても、喉が拒絶してしまう。無理やり水で流し込めば、胃の中に石でも詰め込んでいる心持ちがした。
味を感じないと唾液が出ないので、何を食べてもこんな感じになる。
(やはり、あの娘の料理でないとダメか)
ヒューバートは肩を落とした。
生きるためだけに食べ物を口に運び、それを水とともに無理やり飲み下す。もう四年も続いている日々に、彼の体と心は限界を迎えていたのである。
その苦しさを少しでも忘れられるように、剣と魔法の修練に打ち込み、騎士団長の仕事に全力を傾けていた。
そんな彼のことを、周囲はやがて「冷徹」と恐れるようになる。淑やかな令嬢など、彼と目を合わせるのさえ怖がった。
(だが、それでいい)
ヒューバートは自嘲気味に笑った。
(味の分からない夫など、妻を失望させるだけだからな)
そのような結婚生活が、うまくいくはずがない。彼は時々持ち込まれる縁談も、すべて断っていた。
彼が今のような体になったのは、四年前に起こった事件が発端だ。20歳になったばかりの頃、何者かに毒殺されかけたのである。
毒を盛られたヒューバートは、ひと月ものあいだ生死の境をさまよった。助かったのは、鍛えられた肉体のおかげだ。
だがそれ以降、何を食べても味を感じられなくなってしまった。
医師に診てもらっても、味覚障害はいっこうに良くならなかった。そもそも毒の後遺症なのか、精神的な問題なのかさえ分からないという。
「ゆっくりとご静養なさるのがよろしいかと」
「それは……治療法はないということか?」
父が派遣してくれた国一番の名医は、彼の質問に答えることなく深々と頭をさげた。
絶望で目の前が真っ暗になる。
(ずっと、このままで生きろと言うのか?)
彼は初めて自分の身分を呪った。
ヒューバートがこんな目にあったのは、その高貴な生まれのせいだ。
彼の本当の名前はヒューバート・オルネ。この国の第三王子である。身分を隠したいときに名乗るアルスターは、母の実家の家名だ。
現在のオルネ国王には、三人の王子がいる。第一、第二王子は正妃の産んだ王子で、ヒューバートを産んだ母は側妃だ。
毒殺未遂事件が起きた当時は、王太子を誰に決めるかで、王宮とその周囲がざわついていた。きっと、優秀なヒューバートを警戒した者の仕業なのだろう。
現在は王太子が第一王子に決まったことで、周囲は落ち着きを取り戻している。
だが、事件の犯人は未だに分からずじまいだ。
それ以来、彼は王宮とは距離を置き、政治とはあまり関わらない魔獣討伐騎士団の団長を務めていた。
彼には国王になりたいという野心はないし、その器でもないと思っている。いずれ父の許可が下りれば、王族の身分を離れて臣下となり、影から国を支えるつもりだ。
(うん?このスープは?)
モサモサするサンドイッチを諦め、スープで喉を潤そうとしたところで、ヒューバートは異変に気がついた。
(魔力が含まれているぞ)
エルナのではない。恐らく小屋にいた「何か」のものだ。
試しにスープを一口飲んでみたが、味は感じない。
(そう言えば、昼間オリバーがおかしな話をしていたな)
彼はアイスブルーの瞳を、隅に控えている騎士に向けた。
「おい、もしかしてこのスープのカボチャ、バカみたいに大きなやつか?」
待機していた見習い騎士は、びくりと体を震わせた。入団して間もない彼は、「冷徹」と噂されるヒューバートのことが怖かったのである。
「はい、そうだと思います!今朝、私ともうひとりの騎士で、大きなカボチャを厨房に運びましたから」
「ふむ」
直立不動で答える騎士の言葉を聞いて、ヒューバートは顎に手をやる。オルネ王家の特徴である銀髪が、額にハラリと落ちた。
その脳裏に、あの新緑の瞳が浮かんだ。
(……ウソだろう?)
ひらめいたその考えが、自分でも信じられない。しかし、人々が「おとぎ話」とする物語が真実であることを、王族である彼は知っているのだ。
(いや、もっと良く調べてみないと)
自分の推測が当たっているなら、これは大変なことだ。あの娘にかかる負担も測り知れない。
(これは人に知られないように、慎重に進めなければならないな)
ヒューバートはそう決意を固めた。




