(4)約束
エルナがお茶のおかわりを持って出てくると、二人の騎士は焚き火パンを食べていた。火に当ててあったので、ちょうど焼きあがったようだ。
「見よう見まねで作ったもので、お口に合うと良いんですけれど」
「最高だ!こんなに美味い焚き火パンは食べたことがない」
エルナが心配そうに尋ねると、ヒューバートが機嫌良く答えた。オリバーもこちらを見てうなずいたが、こちらは何かが納得いかないような、複雑そうな顔をしている。
(あれ?どうしたんだろう?)
彼女は首をかしげた。ほんの少しの間に、二人の機嫌が入れ替わってしまったように見えたからだ。
「パンの塩加減がちょうど良いし、赤い果実が良いアクセントになっている」
エルナの困惑を気にも留めず、銀髪の騎士は焚き火パンを褒めちぎった。
「それは果物ではなくて、オイル漬けのドライトマトです」
「ドライトマトか、いいアイディアだな!」
「あ、ありがとうございます」
喜んでもらえて嬉しいが、銀髪の騎士が急に饒舌になった理由が分からない。
戸惑う彼女の脳裏に、ふと、食べることが大好きなもふもふの姿が浮かんだ。
小屋の方へちらりと目をやる。
(もしかしてこの方……ポムと同じ、食いしん坊……?)
ここへ来た時に機嫌が悪そうに見えたのは、きっとお腹が空いていたからに違いない。
体調が悪いうえに、お腹を空かせて森をさまよっていたら、確かに機嫌も悪くなるだろう。
空腹はつらいものだと、彼女は騎士に同情を覚えた。
「あの、まだお肉やチーズもあるんですけれど、召し上がりますか?」
本当はポムのことがあるから、早く帰って欲しい。でも、お腹を空かせた人が目の前にいるのを放っておけない。
実際、その言葉を聞いたヒューバートの顔がパアッと明るくなった。
(やっぱりポムみたい!)
エルナは納得してうなずく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ、娘さん」
だが、そこにオリバーが割って入った。
ヒューバートの肩を抱いてエルナから少し離れると、二人はゴソゴソと話し始めた。なにやらもめているようにも見えて、余計なことを言ってしまったかと、エルナはまた不安になる。
「……残念だが、もうすぐ日が暮れてしまうので……我々は……帰らなければならない」
そうしてしばらく話し込んだあと、ヒューバートが残念そうに、本当に残念そうに言った。
後に立つオリバーは、眉尻を下げてその様子を見守っている。
「それで、あなたにちょっと、その……図々しいお願いがあるのだが」
「どのようなことでしょうか?」
ヒューバートがなぜか言いにくそうにしているので、エルナは首をかしげる。騎士さまの役に立てることなど、自分にあるだろうか?
「実は、私はここ数年、味覚障害を患っていてね。食べ物の味が分からなかったのだ」
「まあ!それはお気の毒です」
その告白にエルナはとても驚いた。
そういう病気があると聞いたことはあるが、本当にそんな人がいるとは。
(食べ物の味が分からないなんて、すごくつらいに決まっているわ)
エルナは心から同情した。
ヒューバートは上半身を乗り出すようにして続ける。
「だが、今日、あなたが出してくれたお茶とパンは美味しかった!久しぶりに食べ物の味を感じることができたのだ!!」
「そ、そうなのですか」
相手の勢いに圧倒され、やっとそれだけを返した。
きっと秘伝のスパイスの効果だろう。母のスパイスは本当にすごいと、エルナはあらためて思う。
「本当にありがとう!」
ヒューバートはエルナに近づいてその手を取り、両手で包み込むように握った。
温かくて、大きな手。
手のひらから伝わったその熱は、エルナの全身へと一気に駆け巡る。心臓の鼓動が、うるさいほどに高鳴り始めた。
(ど、ど、どうしよう……!)
落ち着かなければと思うのに、心臓はいっこうに鳴りやまない。こんな風に男の人に手を握られたことなどないので、ひどく動揺してしまっていた。
「だからお願いだ、また私に食事を作ってもらえないだろうか?もちろん材料費と手間賃は払う」
エルナは顔を真っ赤にしたまま、こくこくとうなずいた。もう何でもいいから、早く手を離して欲しい。
「おい、手を離してやれ」
「あっ、すまない!」
ひとり冷静でいるオリバーがヒューバートの肩に手を置くと、彼はようやく気づいて手を離した。首まで赤くしたエルナに、慌てて謝罪する。
「無作法に触れてしまって、大変失礼をした」
「だ、だい、大丈夫です」
エルナはしどろもどろに答えた。心臓はまだ早鐘を打っていて、彼の顔をまともに見ることができない。
「では、また明後日に!」
次は明後日のお昼に来るという約束をして、彼らは去っていった。 エルナは小屋の前に佇んで、馬に乗った背を見送る。
「本当に、不思議なこともあるものだな」
夕日に照らされた街道には、彼らの影が長く伸びている。馬を急がせながら、オリバーはひとり言のように呟いた。
これまで何をしても治らなかった症状が突然治ったと言われても、すぐには納得できないでいるのだ。
「ああ、自分でも信じられない」
心も体も軽くなったヒューバートは、快活に答える。
彼は気づいていた。
来る時とは打って変わって体調が良くなったのは、久々に美味しい食事ができた事だけが理由ではないと。
「お前、いつもより体が軽いように感じないか?」
「確かに」
オリバーはうなずく。ほぼ一日中森を探索していたのに、いつもより疲れていない気がする。体だけでなく、心も軽いのだ。
日頃は明るく振舞っている彼だが、実は気苦労が絶えない生活を送っていた。騎士団の副団長であるだけでなく、ヒューバートの護衛の役も担っているからだ。
「それはたぶん、あの娘のもつ魔力のせいだ」
「何だって!?」
「私たちが追っていた魔力の正体のひとつは、あの娘のものだと思う。お茶とパンからも同じような魔力を感じた」
「そ、そんなもの食うなよ!」
彼が無謀な行動に出ていたことを知って、オリバーは顔を引きつらせた。
正体不明の魔力が入った食べ物など、毒より質が悪いではないか。
「悪いものではないのは分かっていた。実際に私は味を感じることができたし、お前も体調が良くなったろう?」
ヒューバートの胸にはまだ、清らかで温かな魔力の名残が残っている。それは、安らぎと心強さを彼に与えていた。
「しかし、そんな魔法の話は聞いたことがないぞ」
魔法はその性質から「火、水、風、土」の四つに分類される。ヒューバートは風と水の両方が使えた。
だが、体調を整えたり、病気を回復させたりする魔法の話など、聞いたことがない。
「ああ、それについては、まだ調査が必要だな。過去にそんな事例がないか、王宮の資料を調べてみよう」
そんな魔力を持つ者がいれば、王宮の資料に必ず残されているはずである。悪いものではないと分かっていても、彼の立場で放っておくわけにはいかない。
いや、そんな建前より何より、「もっと知りたい」という気持ちが、彼を追い立てていたのだ。
「なら俺は、あの娘の素性について調べてみる」
オリバーは引き受けた。エルナのことがずっと気にかかっていたのだ。
(あの娘の容姿や言葉遣いには、気品があった)
平民では絶対にないはずなのだが、なぜあんな小屋にいるのだろう? 本当にひとりで暮らしているのであれば、危険でもある。
(気丈に振舞っていたが、本当は助けが必要なのかもしれない)
ドアを開けた時の、新緑の瞳ににじんでいた怯え。
その姿は、彼の世話焼きな性質を刺激するのに、十分すぎるほどだった。
「うむ、本人たちに気づかれないように、毎日騎士に巡回させてくれ」
彼の表情から察したヒューバートは、そう命じた。
「了解……って、おい!『本人たち』って何だ!?」
オリバーは目を剥く。
娘のほかには誰もいないと思っていたが、誰か隠れていたのだろうか?
「小屋の中にまだいたんだよ。娘の魔力と似ているが、少し性質の違う何かが」
驚くオリバーに、ヒューバートはさらりと告げた。
森で探索中、急に魔力が大きくなったように感じたのは、きっとソレが魔力を放出したせいだ。その魔力は娘よりずっと強く、熟練していた。
(あれは人のものとは違う)
人とは思えず、かといって魔獣でもないその正体を、彼はどうしても確かめたかった。
(そのためにも、しばらくあの娘の元へ通う必要がある)
「これは任務なのだ」と自分に言い聞かせる彼の胸には、なぜか頬を赤く染めた愛らしい顔が浮かんでいた。




