(3)美味いな!
一方のエルナは、小屋の中でお茶の用意をしていた。今は屋敷からの迎えではなかったことに、心底ホッとしている。
あの紋章も、魔獣討伐騎士団のことも、貴族令嬢であるエルナは知っていた。
彼らは恐ろしい魔獣から国民を守る盾だ。騎士たちは誇りを持って任務にあたり、貴族の子息も多い。
(あの方たちは貴族ね)
見た目や振る舞いからそう察した。
エルナはかまどに水を入れたやかんをかけた。ティーポットのハーブティーに、心を落ち着かせる効果があるムーンライトのスパイスを混ぜる。
(銀髪の騎士さまは、お疲れのようだったわ)
人の好さそうな騎士の後でずっとこちらを伺っていたが、彼は明らかに疲れていた。
その疲れは、恐らくは精神的な緊張からくるものだろう。
エルナは子供の頃から周囲の人の体調を気遣うクセがついていたため、見ただけでもピンとくるものがあった。
(ポムは大丈夫かな?)
お茶を淹れる前に、エルナはポムの入ったバスケットの中をそっと覗いた。タオルの上で気持ちよさそうに眠っていたので安心する。
彼女はキッチンに戻ると、木のカップにお茶を注ぐ。
(食べるものもあった方がいいかしら?)
ふと気づいて、手を止めた。
夕方が近いから、騎士さまはお腹が空いているのではないだろうか。
少し迷ったあと、彼女はカップを乗せたトレイに、「焚き火パンもどき」の串を三本追加する。
こんな粗末なもので恥ずかしいが、なかのオイル漬けトマトにはヒールシャワーが含まれている。きっと彼らの疲労回復に役立つはずだ。
「お待たせしました」
エルナはお茶を外へと運んで、丸太に腰かける彼らにカップを手渡した。
「ありがとう。私はオリバー・ゴードンと言う」
「私はヒューバート・アルスターだ」
二人とも家名があるので、やはり貴族なのだ。この国では平民は家名を持たない。
騎士がそれぞれに名乗ったので、エルナも名乗らないわけにはいかなくなった。
「私は……エルナと申します」
家名を伏せて、名前だけを告げる。
屋敷を追い出されて森の小屋で暮らしているなど、自分にとっても家にとっても恥でしかない。人に知られるわけにはいかなかった。
(それに、「可哀そう」なんて思われるのは嫌よ)
エルナはうつむいて、パンの串を焚き火の周りに刺していく。
思いに沈んでいた彼女は、気づかなかった。
騎士たちが、一瞬鋭い視線を交わし、互いのカップをそっと交換したことを。
そして、オリバーが試すように一口飲んで目配せをするまで、ヒューバートがそれに口をつけなかったことにも。
「それは焚き火パンかい?」
何ごともなかったかのように、自然な調子でオリバーが聞いた。
「はい、少しでもお腹の足しになればと思いまして。初めて作ったので美味しいか分かりませんが」
エルナは少し恥ずかしそうに答えた。
「いや、俺は好きだよ。気を使ってくれてありがとう」
騎士は野営することが多いので、貴族でもこういったものを食べる。香ばしさと小麦の素朴な風味が味わえるので、彼はけっこう好きだった。
(何か事情を抱えているのだろうが、なかなか良い娘のようだ)
オリバーがそんな風に思っていると、ここまで黙ってお茶を飲んでいたヒューバートが、突然口を開いた。
「このお茶はハーブティーか!?」
まるで尋問をするような鋭い口調に、オリバーは額を押さえた。
(相手は若い娘なんだから、もう少し優しく話せよ)
「は、はい、この森でとれる薬草をブレンドしたものですけど」
案の定、娘は怯えたように答えた。
ヒューバートは返事もせずに、娘を凝視している。本人にそのつもりはないのだろうが、にらみつけているようにしか見えない。
「おい、もう少し……」
「す、す、すみません!」
オリバーがヒューバートを嗜める声と、エルナの謝罪の声が重なった。
貴族であろう方に粗末なお茶を出してしまって、この騎士さまは気分を害したのだと彼女は思ったのだ。
「すごく美味いな!」
ヒューバートはそう言ってカップを傾けると、最後の一滴まで飲み干した。
「「え??」」
オリバーとエルナは、間の抜けた顔でそれを眺める。
「素晴らしい!薬草の自然な甘みとほのかな苦味が感じられる、絶妙なブレンドだ!」
美味しいだけではない。飲んだとたん、いつも感じている苛立ちや悩みが、スーッとどこかに消えていく感覚がしたのだ。
陽だまりのような温もりが、胸の中心から体全体へと広がっていく。
それは、とても心地のいい体験だった。
「悪いが、おかわりをくれないか?」
ヒューバートはエルナにカップを差し出した。
(う、嘘だろう……)
彼の言葉を聞いたオリバーは、信じられないというように目を見開いた。
「お気に召して良かったです」
エルナはぽかんと口を開いていたが、そう言って花のような笑顔を浮かべた。騎士からカップを受け取ると、いそいそと小屋へ戻っていく。
(きっとムーンライトが効いたんだわ)
騎士さまが元気になったのが、とても嬉しい。エルナの胸に母の笑顔が浮かんだ。
「おい、美味いって言ってたけど、本当に味を感じたのか!?」
エルナが小屋へ戻ると、オリバーはヒューバートの両肩をつかんで揺さぶった。
彼はもう何年もの間、何を食べても味を感じないという、味覚障害に苦しんでいたのだ。
「ああ、本当だ」
答えるヒューバートの顔には、長い間浮かべることがなかった、心からの笑みが浮かんでいた。
「だけど……いったい、どうして?」
困惑する友をよそに、ヒューバートの視線は焚き火の方へと移った。
「いい香りがするな」
焚き火の周囲に刺した串からは、小麦の香ばしい香りが立ち上っていた。ヒューバートは抗いがたい誘惑を感じて、キツネ色に焼けたパンに手を伸ばす。
「せっかくだから、これもいただこうじゃないか」
「おい!」
止める間もなく、彼は串をひとつ手に取って、程よく焼けたパンを口へと運んだ。
「ああ美味い!」
ヒューバートは目を閉じて、素朴なパンをじっくりと味わった。
焚き火で燻された小麦の素朴な味わいと、フレッシュなオリーブオイルの風味。生地に練り込まれた赤い実からは、噛めば噛むほど甘みと旨みが染み出てくる。
久々の味のある食事に、体全体が歓喜の声をあげているようだ。
(なんだ?何がどうなってるんだ?)
彼が食事を楽しむその姿を、オリバーはぽかんとして見つめていた。自分が見ているものが、どうしても信じられない。
「美味いぞ!お前も食べろよ」
そんな彼の困惑をよそに、ヒューバートは屈託もなく勧めてくる。
(毒見なしで食べ物を口にするなど、あの事件以降は絶対になかったのに!)
オリバーは複雑な思いで、焚き火パンにかぶりつく親友をながめた。
「お前、それ……」
毒が入っていたらどうするんだと叱りたい気持ちはあったが、素朴なパンの味を心から楽しんでいるその顔を見れば、それもできなかった。




