(2)予期せぬ訪問者
コンコンコン!
小屋のドアをノックする音に、エルナは真っ青になった。
ここに自分がいることを知るのは、伯爵家の人間しかいない。父や従僕が、自分を連れ戻しに来たのだろうか?
(嫌よ、あんな家に帰りたくない!)
エルナの胸に、屋敷で受けた罵倒や嫌がらせの数々がよみがえる。
彼女は、家族からも使用人たちからも孤立して、ひとりでそのつらさに耐えていたのだ。心を支えてくれたのは、母との思い出だけ。
ポムとの平和で楽しい生活を送る今、そんな場所には戻りたくない。
だが、どうすればいいのだろう?
父のことだから、エルナが嫌だと言っても無理やり連れていかれるに違いない。
コン、コン、コン!
オロオロするうちに二度目のノックが響いて、エルナは飛び上がった。
(と、とにかく、ポムを隠さなきゃ!)
ポムは作業台の上で、ドアの方を警戒するように見つめていた。尻尾をピンと立てて、鼻をヒクヒクさせている。
「ちょっと隠れていてね」
エルナはポムを抱き上げると急いで寝室へ行き、クローゼットに置かれたフタ付きのカゴにポムを入れた。
それは予備のタオルなどを入れるカゴだ。半分くらいしか物が入っていないので、ポムが入る余裕があった。
「絶対に出てきちゃダメよ、声を出してもダメ……分かった?」
小声で告げると、ポムは両手で口を押さえてうなずく。エルナはカゴのフタをそっと閉めると、震える足で戸口へと向かった。
「どちらさまですか!」
エルナは震えを抑えるように足を踏ん張ると、大きな声で聞いた。
緊張のあまり怒ったような声になってしまったが、今はそれを気にする余裕もなかった。
「どちらさまですか!」
なかから返ってきた声に、ヒューバートとオリバーは顔を見合わせた。
魔力を感じた方向に進むうちに小屋が見えたので、森番がいると思ってドアをノックしたのだ。
だが、予想外に若い女性の声がして戸惑う。平民であろうと、こんな森の中に娘が住んでいるはずがないのに。
「魔獣討伐騎士団の者だ」
オリバーはヒューバートをかばうように前に出ると、そう答えた。
しばらくの沈黙の後に、ドアが少しだけ開いて、美しい娘が顔をのぞかせる。愛らしい唇をキュッと引き結んではいるが、その瞳には怯えが見えた。
「やあ、急にすまないね。我々は魔獣の調査にやってきたのだが、ちょっと道に迷ってしまってね」
オリバーは娘の警戒心を解くように笑顔で話しかけ、制服の胸の刺繍を見せた。
それには王家直属の騎士団の証である、王を象徴する獅子と剣の図柄が描かれている。
娘はそれを見て少し安心したらしく、肩の力を抜いた。
「それは、ご苦労様です」
そう言ってドアをもう少しだけ開くと、ハニーブロンドの髪が日の光を受けてキラキラと輝いた。その美しさに、二人はほんの少しだけ見とれてしまう。
しかし、「こんな所」に「こんな娘」がいるのは、場違い過ぎてさらに怪しい。
「申し訳ないのだけれど、少しここで休憩させてもらえないだろうか?」
目でヒューバートにお伺いを立てた後、オリバーは丁寧に言った。
やはり、この辺りに例の魔力を感じるらしい。色々と想定外だが、ここで帰るわけにはいかないとその目が言っている。
「あ、あの、そこの焚き火のところでよければ」
「もちろんだ」
オリバーはいつもの人の好さそうな顔でうなずく。
小屋のなかに娘以外の人気は感じられない。ならば、男の自分たちが無理に入れてもらうわけにはいかないだろう。
彼らがベンチ代わりの丸太に腰掛けると、「お茶を淹れて参ります」と言って、娘は粗末な木のドアを閉めた。
「なあ、あの娘、どう思う?」
娘の姿が見えなくなると、オリバーはヒューバートに話しかけた。
容姿や立ち居振る舞いは、どうみても貴族の令嬢だ。
(だが、貴族の令嬢がこんな場所にいる理由はなんだ?)
もしかして、表に出せない庶子だろうか?貴族と平民の間に、子が生まれることは時々ある。
だが、その場合は資金援助して市中に住まわせるか、どこかに養子に出すのが普通だ。
(こんな小屋に放置する貴族がいるものか)
平民相手でも、さすがにそこまで無責任になれる貴族はいない……いないと思いたい。
オリバーの「常識」から考えると、娘はまったく理解できない存在だ。
だが、頭を悩ませる彼に返ってきた答えは、さらに理解できないものだった。
「……新緑の瞳が美しいな」
「は?」
オリバーは振り返って友の顔を凝視した。ヒューバートは考え事をしているような、ぼんやりとした瞳を小屋のドアへと向けている。
「まさか……気に入ったのか!?」
「ば、バカを言え!聖なる乙女のようだと思っただけだ!」
ヒューバートは慌てて否定したが、その言い訳にもオリバーは呆れるばかりだ。
(普段、令嬢にお愛想のひとつも言わないコイツが、「聖なる乙女のようだ」だと?)
彼の白い目に気づいたヒューバートは、表情を取り繕って続けた。
「おい、勘違いするな!私は役目としてあの娘に興味があるのだ」
そのアイスブルーの瞳に小さな灯が宿っているのを、オリバーは見逃さなかった。彼が何かに興味を示すのは、本当に久しぶりだ。
それが本人の言うように職業的な興味なのか、それともほのかな恋心なのかは、まだ分からない。
(だが、今はその変化を歓迎しよう)
この変化は、生きる希望を失くしたような友に、何をもたらしてくれるのだろうか?オリバーは事の成り行きを見守る決意を固めた。




