2-28.転調
『アユミチの方がやらしい顔になっちゃってたよ』
「うるせ」
ファニアの頼みで治癒魔法を受けるのに付き合った。
彼女の脹脛の傷痕にどきりとして、離さないよう頼まれていた手に力が入ったのは仕方がない。
集落に来たジルボン師は、集落の主だった怪我人を治癒した後、ファニアの治癒を快諾してくれた。
一人で受けるのは怖い。
甘えるような目で訴えるファニア。可愛い女性にそんな風に言われて放っておけるわけもない。
過去の経緯も聞いているのだからなおさら。
一度塞がってしまった傷だからと、刃物で傷痕を開いた。
くうぅって声を漏らすのも倒錯的な色っぽさがあったし、その後に変な光を発する左手で治癒を受けるファニアの様子は――
『ちょーえっちだったわね。あの顔』
ノクサの言う通り、治癒中のファニアの表情は煽情的だった。
急激に傷が治っていくのが、気持ちいい痛みに感じてしまうらしい。
癖になってまた治癒を受ける為に怪我をしてくる人もいるとか。依存症か。
「治癒魔法ってあんななんだ」
『あれはエクピキだけでしょ。普通の治癒魔法は違うはずよ』
普通の治癒魔法使いはこの国にはいないそうだ。
治癒を独占する為に排除されている。
快楽を伴う治癒を独占して請け負うエクピキ教団。麻薬の元締めのよう。
国外の富裕層の中にもこの治癒を望む者がいるとか。
『ま、あれは普通の治癒魔法じゃ簡単に治せなかったと思うけど』
「右側に全然力が入ってなかった」
治す前に症状を確認した際、足首を軽くひねると、腱が切れている側だけほとんど抵抗がなかった。
気持ち悪いくらいにくにゃりと、糸の切れた人形みたいという表現がしっくりとくる。
膝から上は普通なので気づかなかった。踏ん張りも踏み込みもほとんど効かない。
「あんな足で働かせてたなんて」
『あの子が意地っ張りなのよ。それで戦えちゃうのがいいんだか悪いんだか』
「強いと思う?」
『病気明けであれでしょ。元気ならあの野盗団くらい返り討ちでしょうね』
十数人の武装集団を相手に一人で?
その見立てだと、ノクサの力を借りたアユミチより強そうだ。
『でもまあ、素直になったみたいだしぃ?』
「……なんだよ」
『ヤっちゃってもいいと思うの。ちょっとノクサお出かけした方がいい?』
「うるせ」
まだ頬の赤いファニアが眠っている。
アユミチの目の前で。
アユミチが子供たちと一緒に使わせてもらっている小屋で、他に誰もいない。
イサヤとメッソはババ様の小屋の方だ。
大怪我の治癒は体力を使う。
普通なら全治数週間の怪我を短時間で治すのだから当然と言えば当然。
本来なら繋がらない切れた腱も、エクピキの奇跡で元通り。
失った体力を補うために、濃厚な果実汁を飲んでぐっすりと眠っている。
ジルボン師の方も今は寝ている。
治癒の奇跡は使い手の脳を疲れさせるらしい。東から西への移動の疲労もあっただろうが。
ファニアを治癒したらぱったりと寝てしまった。
『だってこの子、交換条件なしで治してくれるって言われてモジモジしてたじゃない』
「それがなに?」
『エッチさせろって言われたら、その前にアユミチに処女をもらってほしいって言おうとか考えてたんだよ。きっと』
「バカ言え」
『バカはアユミチだと思うなぁ』
ファニアが好いてくれているのは感じている。
死病から救った。
窮地から救った。
それからアユミチを見る目が恋する女の子になっているのはわかっている。
「今はそんな気分になれないよ」
『ま、そうでしょうね』
弱った女の子につけこむのは最低だと思うし、今のファニアは冷静ではない。
エッチしたい気持ちはあっても、卑怯なやり方はしたくない。
そもそも、利用する為に助けた子供が意味もなく殺されてしまって、アユミチも冷静ではないのだ。
利用する為に助けた。
助けた中で、レーマ様に捧げる第一候補とみたメッソが残っていてよかった。
よかった。
よかった。
「……」
そんなわけがあるか。ふざけるな。
ケントロもコーダも、ただの普通の男の子だった。
アユミチがあのくらいの年齢の時、何を考えて生きていたか。
遊んでいても三食用意されて、かっこいい自転車を買ってもらって、学校からの連絡を親に伝えなくて怒られて。来月発売の任天度ソフトを買って欲しいって言ったり。
何も考えていない甘ったれのクソガキ。それが当たり前だった。
ロクに味付けもない食事を、お腹いっぱい食べられて嬉しいとか。
ジュースが美味しいから兄ちゃんの言うこと守るとか。
兄ちゃんの為に兎肉獲ってきてあげるとか。
そんなケントロやコーダが、意味もなく理不尽に死んでいいはずがない。
もっと生きてほしかった。もっとうまいものを食って、楽しい人生を送ってもらいたかった。
そんなことも叶わない世界。
「メッソとイサヤ、カヨウも。レーマ様のところに連れていく」
『カヨウも?』
「どんな危険があるかわからない。保護してもらうように頼んでみる」
『ふぅん? ま、言ってみるのはいいんじゃない』
もうすぐ期日だ。
残っている子供のうち、母親のいるプレヴラ以外は神域に連れていこう。
アユミチの手は万能ではなく、見えなくて届かないことは多い。
レーマ様の神域なら安全だ。男児が多い分には怒られないのではないか。カヨウのことは煙たがられるだろうが。
「どなたとお話しなのです?」
「ゼラ」
皆がおそらく遠慮して席を外しているのだろうが、ゼラは遠慮がない。
ずけずけと入ってきて、床に敷かれた古びた毛布に横たわるファニアを見下ろして頷いた。
「眠る娘にお声がけを?」
「……」
「従者にお優しい良人を責めたりはしませんわ」
出会い方の問題だったのだろうが、ゼラはファニアを従者と見做している。
アユミチの妻を名乗って危地を逆転させた登場シーンだった。印象に残る。
ファニアの方にも格付けめいた意識が植え付けられたようで、夫婦というのは誤解と説明した後もなんとなく気後れする様子がある。
「また変な誤解を広めるのはやめてくれ。まだ半分くらい君を俺の奥さんだと信じてる人がいる」
「あんな姿を盗み見ておいて、わたくしに他に嫁に行けとおっしゃるのですか?」
「不可抗力だろ、あれは」
「アユミチの妻でないのなら、あの娼婦のように男たちに欲情の目で見られてしまうでしょうね」
「アスパーサをそんな風に呼ぶな」
「良人がそうおっしゃるなら、ゼラは従います。その従者を愛妾にするのも構いません」
理解があるような言い方をするが意思疎通が難しい。
「ゼラ様。お喋りはそれくらいにして下さい」
ドアの向こうからカヨウに声をかけられ、ちらりと流し目を送るゼラ。
ここ最近、よく一緒にいる。
カヨウの方がゼラから目を離さないという雰囲気だ。
森で逃げ回っていたカヨウを助けてくれたのがゼラだというから、無表情ながらゼラを慕っているのかもしれない。
「ファニア様がお休みです。お話なら外でお願いします」
「怒られてしまいましたわね、良人」
『ふふっ、怖い怖い』
ぴりっとしたカヨウの声にノクサが含み笑いを漏らす。
アユミチも怒られていたのか。
釈然としないながら、眠るファニアを置いて小屋を出た。
いつまでも二人きりというのもまた余計な誤解を広めるだろう。
「何かあったのか?」
「娼婦さんからお話をさせてもらってもいいかしら」
小屋を出てカヨウに話しかけたら、脇から声を掛けられた。
壁に背を持たれたまま紫煙をまとわせたアスパーサ。
一緒に待っていたらしい。
「……」
じろ、とゼラを睨む。
アスパーサが外にいるのを知っていて娼婦呼ばわりしたのか。
「あらぁ、あたしの為に争わなくていいのよ。センセ」
嫣然と微笑みながら俺の肩に手をかけるアスパーサ。
「愛される女が、愛されない女に嫉妬されるのには慣れているもの」
「……」
ぎら、ぎら。
視線が火花を散らしているのが見えるわけではないが。
ただすごく居心地が悪い。
ゼラとアスパーサの毒気に中てられたせいだろう。カヨウまで人を呪い殺しそうな目をしている。
「ごめん、アスパーサ。用件を話してくれ」
「占いを立てたのだけど、まだ嫌な空気が消えていないのよねぇ」
ふっと俺の耳元に息を残してから離れて、煙管を吸ってもう一度息を吐いた。
紫煙が宙に漂う。
「男どもが言うには、やっぱり虚穴の霧が広がっているような気がするって。トバならもっとはっきりわかったんでしょうけど」
「それはおそらく事実です」
アスパーサの占いに出る悪い予兆。
意外なことにゼラがそれを肯定する。
「朝夕の霧もわずかですが濃くなっています。季節的なものでないのなら、虚穴の霧に何か変化があるのではないかと」
「一年半ここにいるけど季節で変わるものじゃないわね」
捨て森の魔獣嘔息ヘレボルゼ。
死体を食らう霧の魔獣。
わりと平穏な環境だからあまり気にしていなかったが、何か異変があるのかもしれない。
異変のきっかけがあるとすれば。
アユミチの存在なのではないか。
レーマ・ルジアの使徒。神の使い。異世界からの転生者。
アスパーサの予言に、ここでレーマ・ルジアの使徒と出会う未来があったのだとすれば、魔獣の方にも何かあったりしないか。
ただの偶然なのかもしれないが、今までにない変調があるとすれば関連を疑う。
「ババ様に聞いてみよう。捨て森のことなら一番詳しいはずだ」
最も長く捨て森で寝起きしてきたババ様なら、霧の異変について何か知っているかもしれない。
ヘレボルゼを駆除討伐しなければならないとしても正体がわからない。
少しでも情報を得ようと、ババ様の丸太小屋に――
小屋には誰もいなかった。
子供たちも、ババ様も。
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