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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
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2-25.生きる機会


 苦しい。

 苦しいよう。


 ずっと痛くて苦しくて、寝ていても体の内側から引っ掻かれているみたいで。

 ゆっくり眠った日は思い出せないくらいに遠い。


 病気になる前も、いつもひもじくて。

 空っぽのお腹のことを考えないように、何も考えないように体を丸めていた。

 父ちゃんはいない。母ちゃんは村の人の手伝いをして暮らしているけど母子で食べていくので精いっぱい。


 たまに、夜遅くまで村長のところでお仕事がある。

 村はずれのボロ小屋で待っているのは寂しかったけれど、桶の半分くらいの米と食べ物を持って帰ってくるのが嬉しかった。


 父ちゃんはいない。

 だけど母ちゃんのお腹が大きくなって、なんでだか村人からほとんど仕事をもらえなくなった。

 村人たちの便が流れ着く溜め池。溝が詰まらないよう掘る仕事をしていたら、母子ともに病にかかった。

 すぐに村を追い出された。



 南の捨て森に行けば楽になるから。

 そう言っていた母ちゃんは、森に着いた翌日に死んだ。

 自分もいずれ死ぬんだと思った。


 捨て森の人たちは、村人より優しかった。

 (かゆ)を分けてくれたし、痛みが和らぐ薬も煎じてくれた。

 ここじゃ死ぬまでの間、みんな兄弟だって。


 死ぬまで。

 死にたくない。

 死にたくないけど、たぶん死ぬ。もう間もなく。



 そう思っていたら、助けられた。

 甘酸っぱい果実の汁を飲んだら、体の中で暴れていた何かが薄まって、消えていった。

 助かるんだ。

 泣いた。泣いた。


 友達もできた。

 一緒に病気で苦しんでいた年の近い子。

 助かるんだ。

 泣いた。声を殺して泣いた。こらえきれずに泣いた。

 生きられる。もっと生きていられる。


 だけど。

 それなら母ちゃんも助けてほしかった。母ちゃんにも飲ませてやりたかった。


 そんな風に考えたから、罰が当たったんだ。



 苦しい。

 苦しいよう。母ちゃん。

 俺、死にたくない……



  ◆   ◇   ◆



「ムンジィ!」

「旦那。助かりやしたぜ」


 へへっと笑うムンジィの顔を見て、安心してしまった。

 後ろのメッソも無事だ。

 アユミチが置いていった荷物も一緒に。



「助かったって、お前……」


 ムンジィの前には野盗のリーダーエギルの死体が転がっている。

 アユミチが駆け付けた時にはこれだった。


 他二人ほど逃げていく背中が見えるが、既にその姿は小さい。普通に走っても追いつきそうにない。

 追うか迷ったが、アユミチの体力もかなりきつい。深追いは危険だと諦めた。

 連中は社交的な人間ではないだろう。他の人間を集めて再度襲撃の可能性は高くない。



「……お前、意外と強いんだな」

「どうでしょうね。奴さん、走り疲れてヘロヘロでしたんで……そいつ(・・・)は?」

「こいつの手下だ。ああ、酒瓶がいる」


 集落に走った時に酒瓶もムンジィに預けていた。

 ムンジィにメッソと一緒に預けたわけだが、それが必要になった。



 ムンジィが尋ねたのは、アユミチの前を走らされていた野盗の一人。

 片腕が折れ、顔に痣を作った男だ。


「こいつも病に?」

「ここまで来る途中、横から出てきた灰息病の患者に引っかかったんだ。顔の怪我は俺じゃない」

「頼む、助けてくれ……なんでもする……」



 捨て森には集落に住む以外の病人もいる。

 騒がしい様子が気になったのか、木陰から這い出してきた病人にぶつかって転がった一人を捕らえた。

 その間にエギル達は先に逃げてしまったわけだ。


「薬を……薬があるって言っただろ、あんた……」


 灰息病患者に接触した男は、自分も病気に感染したと大騒ぎだった。恥を知らないのかみっともなく泣き喚く。

 森の外に荷物と薬があると言って走らせた。

 捕らえる時に折った腕を抱えて、泣きながら必死に走ったと思う。


「ああ、言ったな」


 這い出してきた灰息病の患者に、薬があるから待つように言った。


「お前に飲ませてやるとは言ってないだろ」

「な……う、ひでえ……あんまりだぁ」

「しばらく様子見だよ。お前が本気で反省したかどうか」


 誰も彼も治してやることはない。

 救えないクズもいる。

 当分は病気で苦しんでもらうのもいい。助けるも助けないもアユミチの心ひとつ。

 途中で待たせている灰息病の患者も、少し話して人柄を見極めてからにするか。

 人命を測るのは傲慢かもしれないが、こんな野盗くずれのクズかもしれないのだから。



「集落の方は片付いたと思う。戻ろう、メッソ」

「うん……」

「おら、てめえは前歩けよ」


 ムンジィに軽く蹴られて、ぐずぐずと鼻を鳴らしながら歩き出す捕虜。

 惨めで哀れだが、今までこの男は多くの人にそんな顔をさせてきたのだろう。

 余計な同情心を払うように頭を振った。




 帰り道。

 前を歩くムンジィに、


「……ひとつ謝らせてくれ、ムンジィ」

「はえ? 急になんですかい?」


 唐突なアユミチの言葉に頓狂な声を上げて振り向くムンジィに、苦笑いを返す。

 メッソも不思議そうにアユミチを見上げた。


「お前が俺の荷物を持ち逃げしてないかとか考えた。この辺を走りながら」

「あ、あぁ……なるほど、そいつぁ仕方ねえや」


 おそらく考えもしなかったのだろう。言われてみて初めてといった風に頷いて、やはりムンジィも苦笑い。


「旦那と俺の関係じゃあ仕方ねえ。そんくらい警戒しといてもらった方が気が楽ですぜ」

「悪かった。今はなんていうか……けっこう信頼してる。よろしく頼む」

「旦那は人がわりい。ガキの前で小恥ずかしいこと言われちゃ困りやす」



 出会いは最悪な状況だったけれど、ムンジィの性根は腐っていない。

 十数日を一緒に過ごせば少しはわかる。

 子供たちに対しても捨て森の病人に対しても、ムンジィは無意味に暴力的な姿勢を取る様子がない。短気だが、わりと道理を通す性質だ。

 前を向いたムンジィが、鼻を擦ったのか目尻を拭ったのかは知らない。見えない。


 腐った社会だから、荒れた世界だから悪事に手を染める人間もいる。

 捕らえた野盗の男も、心を入れ替えてやり直す見込みがあるのなら治してやってもいいだろう。

 恨みつらみと文句ばかりが態度に出てくるようなら救えないが。




 どうしようもないこともある。

 間の悪さで死ぬ奴もいる。



 森の中で(くび)り殺された少年コーダの死体が見つからなければ。

 この捕虜は、生きる機会があったのかもしれない。



  ◆   ◇   ◆


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