2-16.馬鹿の話
「悪い冗談だぜ、ノッド」
死んだはずの顔馴染みに槍を向けた。
穂先が震えるのを抑える為に両手で握り直す。
「近寄るんじゃねえ。てめえの血なんざ見たくもねえぞ」
「わかってらぁ。落ち着けよエギル、見ての通り俺は治った。生きてんだ」
バカな仲間の中でも飛びぬけてバカ野郎なノッド。我慢ができない、自制できない。
西港町デイサイ近隣から捨て森方向に向かう者など、ほとんど病気持ちに決まっているのに。
好みの女を見かけて犯して斑徂症にかかったのが半年ほど前のこと。どこまでバカなのか。
クソ迷惑なクズの中のクズ野郎。松明を手に仲間十数人で追い払った。二度と顔は合わせないはずだった。
エギルは野盗のリーダーだ。
バカどもの中では多少は頭が回るのと、実力が頭ひとつ抜けているから。
それでも死病は怖い。
西港町デイサイ周辺にはいくつも村がある。
多くの人間を食わせるのに田畑は必要で、農地に適した土地に村が作られる。
村長が治め、村々を郷司が取りまとめ、それらを管轄する県令の上に領主がいる。だいたいそんな感じだ。
野盗は社会のあぶれ者。村や商人を襲って食い扶持を稼ぐ。
やりすぎない。おとなしく要求に従えば殺さない。村娘や若妻を攫って犯すのは当然の権利として。孕んだら村に返してやる。
農民や商人は野盗から見ても働き手だ。汗を掻いて働いた成果を分けてもらえばいい。死んだら働けない。
やりすぎれば逆襲もありえる。泣き寝入りする程度の加減が必要で、エギルのさじ加減でうまくやってきた。
捨て森に近い地域を根城にしているのは、衛兵なども滅多にこないからだ。
誰も病気などもらいたくない。
根城と言っても簡易な野営道具で転々とする。転々とするが、野営しやすい場所は決まっていて、半年前に追放したノッドも知っている。
「治ったぁ?」
治らないから死病。
近くにいれば感染する死病に冒された。だから追放した。
それが治ったから帰ってきた?
「バズモズの野郎みてえなことを」
ノッドに突き付けた槍は下ろさず、気分の悪い名前を吐き捨てる。
兵士の巡回がない地域で暮らす無法者はエギルたちだけではない。
他にも大小いくつか野盗のグループもあれば一人二人で徘徊する者もいる。
そういう中でもバズモズは異常だった。
バズモズは斑徂症にかかっていながら死なない。無駄にしぶとい。体中の斑点は残っているが治ったという。
実際、病気とは思えないほど力強く暴れる。
斑徂症が進行すれば痛みと疼きでろくに眠れず、また高熱で体力を奪われて朦朧とする。そうした様子はない。治ったのは本当か。
もう病気にかかっているからか、斑徂症の相手でも平気で襲って殺す。
そうでない相手でも襲う。腹が減れば野盗の集団相手でも関係がない。
バズモズは異常だ。
エギルも見たことがある。右手と左手で掴んだ人間の頭をそれぞれ握り潰すのを見た。
こめかみが軋み、耳と目から血を溢れさせて殺していた。
筋力も異常だが、何より厄介なのは瞬発力。
少し屈んだ姿勢から、矢でも放つかのような速度で飛び出す。
岩のような巨体がそのスピードで迫るのだから、まともな人間が対応できるわけがない。あれは化け物だ。
生き方が少し違えば英雄と呼ばれていたかもしれない。
だがバズモズは頭が悪く、損得の計算はできなかった。情動だけがバズモズを動かす。
集団生活ができる男ではなかった。
バズモズが町に近づけば、軍が出動して油壷と火矢で殺そうとするだろう。
だからバズモズは捨て森から禁域辺りを徘徊して暮らしていた。迷惑なことに。
幸いなことは、あれが一人しか存在しないこと。運悪く出くわさなければそれでいい。
「違うんだぜエギル。バズモズとは違う、治してもらったんだよ」
「何言ってんだ? 頭もおかしく……」
もともとおかしいような頭だ。
病気でさらにイカれたのか。
「薬師がきたんだ。禁域の女神の使いとかで、神の酒を持ってきた薬師だ。そいつで治ったのさ」
斑徂症を治せる薬師なんているわけがない。
いるわけがないが、ノッドの馬鹿は実際に治っている。馬鹿は治っていないだろうが、病気は。
バズモズとは違って体中の斑点もほとんど見えないくらいに、本当に治っているように見えた。
「エギル、こいつぁ金になるんだ。わかるだろ?」
「……マジなのか」
「斑徂症だけじゃねえ、灰息病のやつも治ってやがった。万能薬の酒瓶で、いくらでも湧いて出てくるんだ。ありゃ神の遺産だ」
「おい、エギル……」
ノッドの与太話を遠巻きに聞いていた他の連中もざわざわと騒ぎ始めた。
禁域には神の遺物があると言われる。
渇きの王蠍――大サソリの縄張りで近づいたらだいたい死ぬ。
そんな場所からきた神の使い。
捨て森に好き好んでくる阿呆がいるわけがない。
わけがないが、そんなことがなければノッドが生きて戻るはずもない。
「ノッド……あぁ」
疑うと同時にわかってしまう。
ノッドは馬鹿野郎だ。まあそんなことを言えば野盗なんてみんな馬鹿だが、中でも特に。
筋の通った作り話ができるほどの知能がない。
生きて戻った事実と今の話が本当だと考えた方が辻褄が合う。
「そいつは金になるなんてもんじゃねえぞ」
死病を治し、無限に湧き出る神の酒瓶。
手にすれば金儲けというレベルではない栄華が望める。
ノッドには想像もできないのだろうと思えば、やはりエギルの知っている馬鹿なノッドで間違いない。
「……本当にお前みてえだな。ノッド」
「他に何に見えんだよ」
構え続けていた槍を下ろして溜息をついた。
エギルに向けて笑うノッドは、確かに本人だ。化けて出たわけではないらしい。
「薬師の野郎は全然大したことはねえ。ちっと腕の立つ護衛がいやがるが」
「何人だ?」
「一人だ。ずっと寝ててナマってなけりゃ俺でもやれた」
どうだか。
その辺は話半分に聞いておくとして。
「病気さえなけりゃ捨て森の集落はいい拠点になるぜ。若い女だっているんだ」
「お前にしちゃ上出来だ」
悪い考えではない。
病気が怖いから捨て森に近づかないのだ。
ノッドの言う通り、その心配さえないのならいい拠点になる。
「まずはお前の言う話が本当か確認だな」
「俺がお前を騙すわけがねえだろ。それとよ、ゼンボの子分だった奴らもあの中にいるんだ。うまく使えば……」
どんな馬鹿でも拾っておけば役に立つこともあるようだ。
今日ほどノッドを褒めてやりたいと思ったことはない。
前回の別れの際の悪態を忘れて、よく帰った兄弟と笑い返した。
◆ ◇ ◆
エギルの率いる総勢十七人で捨て森の集落を半円に囲み、手はずを整えた。
聞いていた護衛とは別に、王都から落ちてきた女騎士が集落の警備をしているらしい。
たいそうな美女だとか。
落ちた女騎士。実にそそる。
だが女騎士ということは実力はかなりのものなはず。油断はできない。
アユミチとか言う薬師は不在だと内通者から聞いた。
だが、連れてきた年若い姉弟は女騎士に預けているとか。
アユミチという男はそれらをずいぶんと気にかけ、大事にしていたそうだ。人質とするには十分。
先に村を落とし、その薬師が戻るのを待とう。待ち伏せの方がやりやすい。
ろくな武器もない集落。住民は病から治って日も浅い。
好条件が揃った。
始めろ、と。
ガラス片の反射板で合図を送るが、丸太小屋近くの内通者たちが迷うような様子を見せた。
ここにきて怖気づいたのか。馬鹿が。
さっさと押し入って女騎士を確保するか殺せ。できれば捕らえろ。
お前らが殺されている時間でも、エギルたちが他の村人を襲うだけの猶予はできる。
さっさとしろと、急かすように弓に矢をつがえた。
丸太小屋の入り口の戸が勢いよく開かれて。
内通者の男を殴り飛ばした女騎士は、確かに殺すのが惜しくなるだけの美女だった。
あれを捕えたら、泣いてエギルのものをせびるようになるまで可愛がってやろう。
許しを乞う女騎士の姿を妄想しながら、女の足を狙って矢を放った。
◆ ◇ ◆




