2-15.無頼
トバは、ここでは善い奴だと言われる。
捨て森の集落の中では頼られやすいのは事実だ。
体質的に斑徂症の進行が遅く、捨て森に来てから数年を過ごしている。
それより長く暮らしていてまともに動けるのは、奇跡的に病を克服したババ様くらい。
多くの人間の死に触れたことでトバは変わった。
生きる希望がなくても死ぬのは怖い。死にたくないし腹は減る。
自分で食い物を用意できない病人のためにトバが用意してやった。
トバがそうしていると、病人の中には同じようにする者も出てくる。ぽつり、ぽつりと。
死にきれず身動きが取れなくなった者を、背負って虚穴まで運ぶこともあった。
虚穴の霧にかかる辺りに寝かせると数日のうちに死体は消える。
他にしてやれることはない。
ありがとう、と。
感謝の言葉を聞くと、トバの痛みが和らぐ気がした。
気のせいと言えばその程度なのだが、心地いい。
何をしているわけでもない。自分ができる簡単なことをしているだけなのに。
病になる前には気にも止めなかった言葉。
何が得られるわけでもない感謝を聞くのが、嫌いではないと気づいた。
少しばかりマシな死に方ができそうだ。そんな胸中を誰に話すわけでもないが。
病を治すと言ってきた若い男に冷淡な態度をとってしまったのは、トバの生きがい――死に場所を踏みにじられると感じたから。
やっと見つけたトバの居場所を、わけのわからない話で荒らされたくない。
トバは善い奴などではなかった。
自分の為に、自分が救われたい為だけにやっていただけ。
本心で誰かを助けたいという気持ちで親切にしてきたわけではない。
女神の使いに救われる人々を見て、素直に喜べなかった。
治してもらっておきながらその恩人の財産を奪おうとする連中は最低だが、トバのさもしい品性も大差ない。俺がもらうべき感謝を横取りされた、などと。
ただ無邪気に感謝する子供たちの顔を見て、
顔を見て……
◆ ◇ ◆
後手に回ったのはどうしようもないとはいえ、ファニアの胸中に苦い思いが湧く。
外部の襲撃者と呼応した集落内の三人。
ファニアの隙を突いたと思ったのだろう裏切り者の不意打ちを、返り討ちにしたところまではよかった。
すぐに三人とも切り捨ててしまえばよかったのに。
「おら、出てこいや!」
どん、と壁が蹴られる。
丸太小屋が揺れる。崩れるまでではないが不安にはなる。
集落で一番大きな丸太小屋には、普段ならババ様と子供たちと幼いプレヴラの母がいるのだが。
今はプレヴラ母娘と、二十を過ぎた女が一人だけ。
イサヤ、カヨウ、メッソ、コーダの四人はババ様と一緒に食料を採りに出てしまっていた。
タイミングが悪いのか、それを狙っていたのか。
「ひっ」
「心配ない。造りだけは頑丈だ。簡単に倒れたりしない」
小さな悲鳴を上げたプレヴラの母に声をかけつつ、漏れそうになる悪態を飲み込む。
「素直に出てくりゃ悪いようにはしねえよ。女だろ?」
「イイようにしてやるって、へへっ」
クズどもが。
なぜか一人で一軒を使っているアスパーサ以外の若い女は、この建物にしかいない。
中年の女が二人ほど別にいるけれど、若い女はここに……カヨウは屋外で無事なのだろうか。
警戒はしていたのだ。
この捨て森の集落は普通の村などとは違う。共に生まれ育った共同体ではない。
流行り病に冒され流れ着いた吹き溜まりというだけで、たまたま同じ場所にいるだけの集団。
死病からアユミチに助けられたという共通点はあっても、その助かった命をどう使うか価値観はバラバラだ。
助かったからこそ。
次の身の振り方を考えなければならない。
町に戻るにしても生きていく基盤がない。このままここで暮らすのも不便すぎる。
今、この捨て森に明らかに金になるものがあるとすれば、死病を治せるアユミチの存在と彼の酒瓶。うまくやればひと財産どころではない価値があるはず。
彼を恩人と思う気持ちが強い者もいれば、己の利得ばかりが大事な者もいる。
天秤は揺れる。
真っ先に目先の欲に走った愚か者はムンジィが叩きのめして追い出したが、他の者も多少は似たような考えがあっただろう。
ファニアだって、アユミチを利用すれば鬼巫の下に返り咲けるかもしれないと思うのだから。
また、侘びしい捨て森の生活で鬱憤も溜まっていたこともある。
男の鬱憤を若い女で晴らしたいと思う男もいる。卑しく身勝手な考え。
いびつな集団生活という環境で、警戒はしていたのに。
先日のカヨウのこともあり、排泄などの小用も単独で出ないように釘を刺した。
五歳のプレヴラと母コニーのそれにファニアが付き添い、戻ってきたところで入れ替わりにババ様が他の子供を連れて出た。
複数人が固まっていれば手出しをしにくい。
大声を上げられれば困るのだから。
耳を澄ます。
森の中は動植物の物音や集落の生活音が混ざり、いつも雑然としている。
そのはずが……妙に整然と、ひっそりと。
足音を潜めて丸太小屋のドアに近づく者に悪意がないとは考えられない。
このタイミングで?
なんとも言えない違和感はあったが、悪事を企む人間の考えなど思いもしないほど浅はかだったりもする。
アユミチは十日以内に必ず戻ると言って出て行った。今日明日にでも戻ってくるはずだが。
彼が戻るまでは、ファニアには子供たちを守る義務がある。
まずはこの小屋にいるプレヴラと、外に出ているカヨウたちを。
間違いかもしれない。なんにしてもただの男三人程度を制するのにファニアの戦闘力は十分すぎる。過剰と言ってもいい。
入り口の引き戸に手をかけた瞬間、内側からファニアが勢いよく引いた。
「おわっ!」
「っ」
戸のスライドにつられて大きく体が開いた男の腹に、深く左の掌底を叩き込む。
そのまま侵入者を建物から突き放し、もう一人。
一人目が突き飛ばされたのを見て、慌てて手にした大きめの石で殴りかかってきた男。
振り下ろされるより早く、ファニアの右拳がその男の脇腹に突き刺さった。
「でぶぇ」
握っていた石を落として、脇腹を押さえ転がりながら逃げていく。
ファニアが病で体力を落としていなければ、一撃で殺していただろう。
どちらにしてももう動けないはず。残るは――
「っ!?」
矢が飛び込んできたのには完全に虚を突かれた。
続けて二本、三本。
ファニアの立つ建物入り口に向けて矢が放たれ、慌てて戸を閉ざした。
集落の人間ではない。武装した敵がいる。
矢の扱いにも慣れていて素人ではない。
「ちっ! 役立たずが」
「扉ごとぶち破ってやれ!」
「ここを拠点にすんならできるだけ壊すなよ」
野盗。盗賊。外部から捨て森に入ってくるような命知らずが?
「ガキは殺すんじゃねえぞ!」
「薬師の奴のお気に入りだ、探せ!」
賊の声に混じって聞き覚えのある声もあった。
アユミチの酒瓶を奪おうとしてムンジィに追い出された男の声。
追い出された男が、町から外れたならず者集団にここの情報を流した。
変なタイミングで仕掛けてきた気がしたが、野盗の襲撃準備が整ったからだったのだろう。集落内の三人組は彼らと通じていたのだ。
アユミチの身柄を押さえる為に子供たちを人質にするつもりか。ついでに拠点も確保して女も手に入れる、と。
敵の数がわからない。
捨て森に外から戦力が入ってくるとは考えなかった。普通は誰も立ち入らないのだから思いもよらない。
病み上がりの素人相手なら集落の男全員を相手にしても勝てる目算だったが、最悪と想定していた前提条件が崩れる。
普通なら野盗も近づかない捨て森に敵を呼び込んだクズと、それに付き合うクズども。
助けるべき相手を選んでほしかった。
丸太小屋の引き戸の内側につっかえ棒を立て掛けながら、初めてアユミチに文句を言いたくなった。
ああ、出会った日には文句ばかり言っていたから初めてでもなかったか。
◆ ◇ ◆




