2-13.不安の蕾
ファニアはトローメ南東部の農村をいくつかまとめる郷司の娘だった。
トローメ王国の貴族社会では女の地位は低い。南北で比べるととくに南部では顕著に。
家督を継ぐのは原則として直系男子。男子不在の場合や問題がある場合は入り婿を取るが、通常女子は家にとってより有益な縁談に出される。
トローメに限らず政略結婚など普通のこと。
好いた惚れたなど家格の低い庶民の間の話で、それなりの家柄に生まれれば貴族の常識の中で育つ。
例外もある。
国内国外問わず争いごとが絶えない時世だ。
時に女でも、戦いに稀有な適性を示す者もいた。
飛びぬけた魔法の力を持つ鬼巫の里の女たちだけではない。
現在の海将の一人ジナミナは奴隷の身から成り上がった女傑だ。
ジナミナについては特殊だが、戦乱で身を立てた家が多く、血筋にならって強い力を発現させる女が生まれることは不思議ではない。
没落した貴族家でも、不意に強い魔法使いが産まれたりすることもある。
庶民や奴隷の中にだって、強者が無責任に強引に孕ませた子がいるのも自然なこと。
強い女には需要がある。
より強い子を求める家に迎えられることもあるし、高位貴族の娘や奥方の警護に好まれることも多い。
イオルテ家より取り分けたファニア。
地方の小官吏の家から中央へのつなぎになるかもしれないと、十五になったファニアは王都の国軍に入隊した。
すぐに縁談が望まれる――言い方を繕わなければ買い手がつくだろうと考えていた家の思惑とはズレが生じる。
ファニアは親から『これと信ずる最高の相手と結ばれなさい』と言われていて、愚直にそれを守った。
ちょっかいをかけてくるのは半端者。惰弱で軟派な男になど見向きもせず、腕力で挑まれればそれを上回った。
生家の箔でファニアに言うことを聞かせようと考えた者もいたが、下級貴族の娘相手にみっともないと笑われ、うやむやになった。
十八になる頃、鬼巫に声をかけられるまでは何も変わらず。
小柄な鬼巫アハラマはファニアを負かして、ファニアは確かに信ずるに値するアハラマの花札となった。
◆ ◇ ◆
「本当に生きた心地がしなかったぞ、カヨウ」
「ごめんなさいファニア様」
しゅんと俯くカヨウに文句も言いたい。
命の恩人アユミチに託されている少女の姿が見えず、ファニアは大声で探し回ったのだ。
大したことではない。小用というか生理現象。
カヨウと同年代の少女はいない。恥ずかしがって一人で抜け出してしまった気持ちはわからなくもないが。
集落から少し外れた木陰でこっそりと排泄行為。生きていれば仕方がない。
羞恥心。
軍属だったファニアはさほど気にしないし、貧民だってそこまで繊細な感性は持たない。
これはアユミチの影響だろう。彼はわりと潔癖なところがある。
「それにしたって遅かった。心配したんだ」
「うん、その……」
野生動物にしても人間にしても、排泄時には無防備になる。
だから手早く終わらせる。
穴を掘って、どこでも年中生えているスコピゾの柔葉を使い捨ての手拭い代わりにして。
「……ファニア様はアユミチさんの味方、ですよね?」
「当然だ。アユミチ殿には命を救われたし、彼の善性を信じている。見返りもなく見ず知らずの他人に施し、それを誇るわけでもない。彼こそまさに神の使いだろう」
疑われるのは心外だったので、つい言葉が多くなってしまった。
カヨウがアユミチを慕っているのは見ればわかるが、ファニアとて軽々にアユミチに膝を着いたのではない。
病で苦しむファニアの理不尽な八つ当たりを、彼は一度も責めなかった。
思い返せばただ優しい気遣いの言葉ばかり。途中、ムンジィは悪態をついていたがそれも諫めて。
優しい。
信頼できる。
こんな男がいるのかと、夢かと思った。
見捨てられて仕方ないはずの、なんの義理もないファニアに、アユミチはただ優しかった。
それが命の恩人なのだから、彼に恥じない心で応えたい。
付き合いはカヨウより浅くとも時間の問題ではない。ファニアはアユミチを裏切らない。
「アユミチ殿を思う気持ちは君に負けないつもりだ。カヨウ」
「それは……ちょっと困るんですけど。ファニア様は美人なので」
「自覚はないのだろうが嫌味にも受け取れるな。どちらにせよアユミチ殿の心は女神様にある」
カヨウはすっきりとした顔立ちの美少女だ。
ファニアが最後に顔を合わせた花札の白、レフカースを思い出させる。
特別際立った特徴はないが、バランスよく整えられたお人形のような美少女。
「私は二番目でも三番目でも……何番目でもいいと思っていますけど」
「カヨウの年でそんなことを言うものじゃないと言いたいが、気持ちはわかるさ」
都合のいい女になるから傍にいたい、なんて。
アユミチがもっと我欲の強い男であればカヨウもこんなことを言わなかったのではないか。
むやみに親切なくせに男女の関係には一歩引いた姿勢で、捕まえておかないと消えてしまいそう。
ファニアはもちろんカヨウくらいの年齢の少女にでも、男の獣欲は向けられる。
野盗の類は言うに及ばず。貴族が貧民の娘を捕まえて遊んだり、隣村へ略奪強姦に出かける男だっているのだから。
アユミチはカヨウを子供扱いしすぎだし、ファニアに対しては淑女扱いしすぎだ。そこがもどかしくて好ましい。
「こんな話をするために探していたわけじゃない」
「私は一度はきちんと話しておきたいと思っていましたけど」
「年若くとも女だな、君は。とにかくもう戻る――」
「アスパーサさんは怪しいです」
唐突に。
言われた言葉を頭の中で繰り返し、先ほどアユミチの味方か問われたことと繋がる。
「隠れて後をつけていたんです。だから……」
「それでなかなか見つけられなかったのか」
「アスパーサさんは男の人たちと何か企んでいるみたいです。さっきも」
小用で抜け出しただけではない。
アユミチのいない集落で、アスパーサが他の住民と密会している。何か企んでいる。
ケントロが行方不明になったのも彼女が関わっているのかもしれない。
そんな考えでカヨウはアスパーサを探っていたらしい。
「ファニア様はどう思われますか?」
「そうだな……」
魔眼持ちの美女アスパーサ。
あまり好きなタイプではない。男を利用して生きてきたのだろう匂いを隠そうともしない。
媚態。
年若いカヨウは特に相性が悪そうだ。
「何かを企んでいる、怪しいと言っても。それだけでは判断できない」
「そうですけど……」
「気に留めておく。とにかく帰ろう。ババ様たちも心配するから勝手なことはやめなさい」
「でも」
アユミチの役に立ちたいという気持ちでいっぱいのカヨウ。
いなくなってしまったケントロを、アユミチは過剰なほど心配していた。行きずりに助けただけの子供なのに。
ケントロの失踪を突き止めれば褒めてもらえると焦っている。
「カヨウに何かあればアユミチ殿が悲しむ。わからないか?」
「……はい」
今この集落で最も危険なのは自分なのだとわかってほしい。
身を守る力のない少女。
悪さをするなら真っ先に標的になる存在で、身なりに気を遣うようになり素の美しさが表に現れている。
数年もすればアスパーサに劣らぬ美貌に育つだろう。
「企んでいる、か」
アスパーサの考えが読めないのは事実だが、怪しいと思わせるほどの行動をファニアは目にしていない。
もっと怪しい連中はいるのだ。
行動に特徴がある男が三名。連れだって行動していたり、交代でファニアの様子を監視していたり。
企んでいるのなら彼らの方だと思う。
一応確認してみたが、アスパーサと接触していた男というのはまた別の男たち。
カヨウはアスパーサがアユミチに体を擦り付けるのを嫌って、無用に警戒しているのではないか。嫌いだから悪人だと思い込んでしまうこともある。
それとも、少女特有の直感めいたものか。
鬼巫の花札の役目をまっとうできなかったファニアだが、せめて小さな集落の子供くらいは守ってみせようと抜き身の曲刀を握り直した。
◆ ◇ ◆




