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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
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2-4.バスタイム



 集落から少し外れて一人で暮らしている女がいると聞いていた。人付き合いを嫌う気質のようだった。


 捨て森の木は大半が太陽に背を向けて伸びる。

 ざっと見渡して梢が垂れている方が北。反対が南。それを目印に、集落から東南東に二時間ほど歩けばいるはずだと。

 アユミチはなんとなくレーマ様の住む場所の位置を感じられる。自分の現在位置を把握する基準になって助かっている。


 女の足で歩けそうなところを進めば自然と着くと言われていたが、本当だった。

 帰り道はノクサが教えてくれるというのでそれも安心。

 探しに行くかどうか少し悩んだが。


 アスパーサがこっそりと耳打ちした。とても美人だったと。

 だからってわけじゃないけど。

 病気を治せる確信を得た今のアユミチなら助けになれるはず。助けられるなら助けたい。美人ならなおさら。



『この先近づくことを禁ず。破った者は呪われ目から腐れ落ちる、ですって。子供たちを置いてきて正解ね』


 変わり者で警戒心が強い相手に大勢で押しかけるのはよくないかと、とりあえず単独で来た。

 病人たちの手作り集落ではプライベート空間などなく、人目を気にせずノクサと話せる時間もほしかった。


 アユミチの事情を知っているノクサの存在はありがたい。なんでも話せる相手。

 可愛いペットみたいな感覚もある。一人になって猫を可愛がりたいみたいな。

 ノクサの方も解放感からか、うーんと両手を伸ばしたりしていた。



「呪うってこの世界だと強い言い方?」

『殺した後も魂を肉体に留めて、目玉とか喉とかに尖った木の枝刺して腐って朽ちるまで苦しめるってところかな』

「そりゃ怖い……ただの脅しじゃないのか?」

『できる人はできるはずよ。場所によって死体が腐らずに半年以上ずっと苦悶の声が続いたりしていて……ふふっ』


 何を思い出したのかノクサが笑いを漏らす。

 ぶっ殺すより上の実行可能な脅し文句らしい。強い警告を提示する変わり者の美人。

 ファニアも綺麗だが、彼女は一本気とかお堅い性格だ。変わり者とは違う。



『魔法使いっぽい。警告文の書き方が』

「癖がある?」

『禁止ルールと結果みたいな言い回ししてるから。ん……アユミチ、あっちみたいよ』


 魔法使いと聞けば興味は湧く。見てみたい。

 同時に、魔法使いなら本当に呪う方法を持っているのかもしれないと不安も増す。


『アユミチが呪われたら早く腐らせてあげようか?』

「ご親切にどうも。その前に呪いから守ってほしいけど」

『残念。ノクサにそういう力はないって言ってるでしょ』


 あくまで契約者の寿命とか時間を食べるだけ。

 頼りになるのかどうかいまいちわからない黒妖精と一緒に、水音と呻き声が聞こえてくる方角を目指して慎重に進んだ。



  ◆   ◇   ◆



「……」

『あら、本当に美人さんね』


 美人さん。

 白い痩身に細く真っ直ぐな銀髪。

 銀の糸のような髪が水に濡れて、背中から尻の辺りまで下がり、揺れている。小刻みに。


 越えてきた獣道から少し下った先、水場の中。

 股の辺りまで泉に沈めている。

 全裸で、湧き水の泉に浸かり、両手を下腹の辺りに集めて震えながら、切ない吐息を漏らしていた。


「……」


 まずい。

 事故だが、水浴び風景を覗いてしまっている罪悪感はある。彼女がどうもただ水浴びをしているだけではなさそうな色っぽさに動揺もしている。色気。色情。


 黙って立ち去るべき。だけど今動けば、気配で気づかれてしまうかもしれない。

 目を逸らそうかと悩むアユミチに、ノクサが軽く顎で指した。彼女の方を見るように。



「赤紫の……」


 色白な肌だからよくわかる。赤紫色の斑点が全身のあちこちに浮き上がっている。

 斑徂症か。

 捨て森に送られる半数以上が斑徂症、あとは灰息病がほとんど。このどちらかだ。



「んっ……ん、くぅぅっ!」


 ひときわ大きく声を上げ、背中を反らして震えた。

 艶っぽい声……というかあれだ。あれ。見ちゃいけなかった。

 全裸の彼女の両手が自身の下腹の方に当てられていたから、たぶん間違いない。恥ずかしい行為に。


 つい元気になってしまってもよさそうなアユミチの息子さんだが、緊張のせいか全くそういう気配はない。それはそれでいい。

 やばい。まずい。

 助けに来たとか言いたいはずが、これじゃただの覗き魔だ。事故だけれど。



「はぁ、ふう……少しは、抜けました、か……」


 アユミチに背中を向けたまま、彼女は下腹の辺りをぎゅっと押さえていた手を解き、右手に持った欠片をつまらなそうに眺めた。

 木の棒のようなもの。

 赤黒く焦げたような色をしている。やけになめらかな質感なのは、肌に当てても痛くないようになめした物に見える。


「……このまま惨めに死んでいくのですね。私」


 寂しそうな言葉を吐いた彼女に気を取られた。

 ぽいっと、その赤黒い塊を投げ捨てると思わなかったので。



「あだっ!」

「っ!」


 投げ捨てられた赤黒い木片は、水とか彼女の何かを吸って適度な重さでアユミチの頭の上に落ちた。



「……」

「や……」


 体に浮かぶ斑点とは違う、鮮やかな紅玉のような瞳がアユミチを映す。

 時間が止まる。

 なにか言わなければ。敵意はない。害意はないと。

 とりあえず片手を上げ、口を開きかけ――


「みっ……あぁ誰でもいいですわ殺す殺します。死になさい今すぐ死ぬのです汚らわしいあぁ汚らわしい腐れ人が!」

「ごめんなさい見てない見てない何も見てないです殺さないで!」


 ざばっと水しぶきを上げながら赤い目でアユミチを睨みつけ、全裸の肌を隠しもせずに数歩近づき、そこらで拾い上げた石を投げつけた。

 どさりとアユミチの足元に落ちた石。重い。当たれば足の甲が潰れたかも。

 続けてまた石を拾い上げた女の目は爛々と力強く、そこに映るだけで呪われそうな気配がある。



「死病の人間が私に近づくことを許さないと言ったはずです! 永遠に呪われるか立ち去るか選びなさい!」

「いや、死病じゃない。俺はあなたの病気を治せる。助けようと思ってきたんだ」

「何を……? 確かに病人ではないようですが……なんですかその蝶は?」


 アユミチの顔を見て、灰息病でも斑徂症でもないことに少し疑問を抱いたようで、瞳に迷いが生じた。


 彼女をよく見ようと思ったのか、ノクサがアユミチと女の間をヒラヒラと飛んでいる。アユミチ以外には妖精ではなく蝶に見えるようだ。

 黒アゲハをまとう怪しい男に、とりあえず攻撃の手は止まった。


「蝶……この子はその、神様の言葉を俺に伝えてくれる。俺は禁域の女神から捨て森の病人を助けるように言われてきた。神の使いだ」

「黒蝶が告げるのは凶兆、訃告(ふこく)。古くそう伝わるはずです」

『あら、この子物知りだわ』


 アユミチの周りで時々黒い蝶が舞うと、捨て森の住人にも見られていた。

 それに対して今のような説明をしてきたが、誰も古い言い伝えなど持ち出す者はいなかった。

 物知りな魔法使いか。



「近くの集落の人たちはもうほとんど完治した。あなたのその斑徂症も治せる、から」


 投げようと構えていた石を握りしめ、彼女は目を逸らさない。

 魔法使いなのに攻撃手段が投石なのか。ファイアボールとかで焼かれるよりはマシだからいいけど。


「斑徂症を治したなど世迷言を……本当だとしても私には関係ありません」

「?」


 病人の捨て森に来て怪しげな希望の糸を垂らす詐欺師。

 そんな扱いなら既に経験してきた。

 だが、何か違う。



「斑徂症じゃない……点魔鋲(てんまびょう)、かな?」

「物を知らないわけではないようです。薬師ですか……それがなぜ捨て森に?」


 イサヤとカヨウと出会った時、ノクサが言っていた。カヨウは斑徂症と似た症状だが別の点魔鋲という病気だと。

 その時、二人の病状を見比べたから覚えていた。

 瘡蓋(かさぶた)のように表面が赤黒くなる斑徂症と、肌の内側から赤紫の腫れが浮き出てくる点魔鋲。


 世間ではほぼ認知されていない点魔鋲を知っていたことで、どうやら病気を治す話が全てデタラメではないと一定の理解はしてもらえたようだ。

 少し落ち着き、けれど失意に沈んだ顔で首を振る。


「言う通り、私は点魔鋲です。たとえ斑徂症の薬があったとしても――」

「点魔鋲も治せる。もう一人治したから」

「そう、点魔鋲も……はい?」


 とりあえず、服を着て話さないかな。

 会話ができそうだと思って安心したら、つい。体中に浮き出る赤い斑点より、薄い桃色のふくらみが気になってしまって。


 アユミチが顔を伏せてから数秒後、どぼんと石が落ちる水音が響いた。



  ◆   ◇   ◆


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