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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
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1-17.鬼の花札



 数日のうちに集落の人々の症状は劇的に改善した。

 イサヤもカヨウもまだ薄っすら斑点が残っているが、おそらく十日もすればすっかり消えてくれそうだ。

 顔中に斑点が瘡蓋(かさぶた)のように浮き上がっていたトバも、元の精悍な顔つきを取り戻しつつある。同い年くらいかと思っていたらアユミチよりだいぶ年上だった。




「心より感謝を申し上げる。アユミチ殿」


 回復した女性の一人が、アユミチの前に膝を着き、頭を下げて礼を述べる。


 皮鎧。この世界で初めてしっかりとした造りの衣類だと感じたのが彼女の皮鎧だった。

 きちんとサイズを合わせて裁断し、縁を折り返して細かく縫い込んである。所々に金属のリングで紐を通せるようにしていて、動きの柔軟性を損ねない。

 茶色の革の胸当てに胴巻き。きめ細かい縫製の布を鎧下に着たオレンジ髪の女性は、片膝をついて頭を下げた。


「誇りを汚され名を失い、このまま命も尽きると諦めていた」


 巻き付けるだけの布や、乾かした獣の皮を適当に縫い合わせて服にしているわけではない。それだけで彼女の出身が確かなものだと理解できた。

 日本で言えば高級スーツだろうか。スーツの布地なんてぱっと見で見分けられないが。


 二人で話したいと言われて集落から森に少し入った場所で、膝を着いて礼を受けた。

 頭を下げるところを他人に見られたくなかったのかもしれない。それなりの身分の生まれならそういうこともあるのだろう。



「情けない姿も見せた。無礼な雑言も言ってしまった。伏して詫びたい」

「気にしなくていいですって。なんとなく事情も聞いたんで」

「私の事情は私の問題だ。アユミチ殿に非があることではない。このファニア・イア・イオルテ……家名は剥奪され、ただのファニア。心から謝罪と感謝を伝えたい」


 立派な家柄の人なんだろう。

 短めのオレンジ色の髪が凛々しい印象のファニアさん。

 女性なのに戦士なんだと言ったら、ムンジィに注意を受けた。戦士に男が多いのが当然だが、そんな中で戦う女は並みの男より数段強いのだと。

 同等ではなく数段上。甘く見てはいけない。


「卑劣な罠で都を追われ、鬼巫(おにみこ)様に合わせる顔もない。ただここで朽ちていくものと思っていた」

「元気になったならよかった、ファニアさん」


 正直、この集落で一番苦労させられたのが彼女だ。

 斑徂症に侵された中でも特に、元の生活との落差が大きかったせいなのか、死だけが尊厳を守るという姿勢で非常に頑なだった。



 ――私に構うな。放っておけ。

 ――薬などない。怪しげな邪法にすがるものか。

 ――魂まで貶められると思うな。下衆が!

 ――死にたくない……見ないで……


 門番トバが心配していたのは彼女のような人のことだ。

 みじめな気持ちで苦しみと相対しながら、避けられない死を恐れてすすり泣く。

 ファニア以外にも似たような人が何人かいた。ファニアは一定の教育を受けていたせいでよけいに頑なだった。


 死にたくない。

 だけど甘い言葉に誘い出されてまた絶望するのは嫌だ。

 助かるかもしれない。そんなの嘘だ。

 自分を罠にかけ死病に汚れさせた連中が、さらに惨めな笑いものにする為に薬などとありもしないものを。


 悪い形で凝り固まってしまった彼女に、一口だけでも飲んでと説得したのはイサヤとカヨウの二人だった。

 薬にはならないかもしれない。治らないかもしれない。

 だけどおいしい飲み物だから飲んで、と。

 アユミチのことは詐欺師だとか外道とか拒絶していたファニアだが、子供の勧めを無下(むげ)にするのは気がとがめたらしい。


 ビストニダの恵み様々だ。神様も満足させる至上の飲み物。

 捨て森の湧き水は苦い。麻酔的な薬効もあるらしいが、とりあえず苦い。

 神様の酒瓶から注がれた果実酒を一口、また一口と。

 翌日には無言で飲んでくれるようになり、二日後には泣いていた。泣きながら飲んで、またすすり泣いた。


 その翌日、(よそお)いを整えた彼女が、膝を着いて謝意を伝えてきた。



「都の聖職者は金銀を食うばかりの亡者。あさましいあの豚どもとアユミチ殿を同じなどと」

「他の人も言っていたけど本当にそうなんだ」

「治癒魔法は奴らの金儲けの道具に過ぎない。金銭だけでなく……」


 ぎゅっと。膝をついたままのファニアが自分の体を守るように腕を体に密着させる。

 アユミチと同じくらいの背丈の彼女が、身を小さくする。


「あー……あぁ」


 なんとなく察した。

 怪我を治してほしければ金を。もしくは、若い体を。

 なるほど、治癒魔法を独占していれば色々な要求も可能だろう。


「……」


 なんならアユミチだって、病気を治してほしいならと要求することも不可能ではなかった。

 いや、やらないけれど。

 子供たちの目もあるし、人として当然。


「治癒魔法、ね」


 ノクサも使えないと言っていた。

 便利そうな力だ。


鬼巫(おにみこ)様の任務中、不覚を取り手傷を負った」


 アユミチの関心を察してかファニアが続ける。


「治癒を拒んだ私は別の命令を受けた。下町の不法民取り締まりの巡回と……奴らの根回しだったのだと思う。怪我を庇いながらの単独任務の中、暗がりで襲ってきたのは斑徂症にかかった少年たちだった」

「……」

「暗がりで接近を許したのも私の手落ちだ。斬り捨て、返り血を浴びて……」


 ババ様が言っていた病人を戦場で利用する奴がいるという実例がこのファニアか。

 治癒魔法に批判的な立場を取る彼女に、その連中が卑怯な罠をしかけた。


「死病にかかったとなれば高位の貴族家でもなければ特例などない。私は家名を失い都を追放された」

「家族がその聖職者を訴えるとかできない?」

「私が跡取りであったなら、わずかだがその可能性も考えられる。私が家名を許されていたのは、鬼巫(おにみこ)様の花札……近衛に選ばれていたからです。死病にかかった私には何の価値もない」


 ドライな家族関係なのは、この世界が殺伐としているせいなのか、地球でも上流階級は似たようなものだったのか。

 ファニアの口から経緯を聞かせてくれたのは、彼女なりの謝罪なのだと思う。

 ムンジィなどが知らない社会の情報を垣間見ることができたのも悪くない。

 ここの社会で聖職者が現在どんな立場なのか知っておいて損はないだろう。



「とにかくファニアさんが元気になってよかった。都のこと、もっと教えてもらえると助かる」

「ファニアと呼び捨ててもらえれば」

「そう? えっと、ファニア……さん」

「……呼びやすいようでいい」


 斑徂症の斑点が消えかけた彼女は、元の凛々しい顔立ちを取り戻しつつある。

 すすり泣いていたのは、死病のせいもあっただろうけど、顔に浮かぶ病魔の痕を嘆いたのかもしれない。

 女の子なら顔に吹き出物など嫌って当然。

 見ないで、と泣いていた彼女の胸中を思えば、嫌がらせ目的でこんなことを仕掛けた連中に反吐が出る。間違いなく存分に傷つける結果になっている


「今さら鬼巫様の下には戻れない。私が役に立てるのであれば、アユミチ殿に尽くさせてほしい」

「うん、助かる……ファニア」

「あぁ」


 なんだかいい感じ。

 たかが数日で……なんて考えるのは恋愛弱者――つまり童貞の考え方だと前に読んだハウツー本に書いてあった。

 男女の仲の進展はきっかけがあれば劇的に動くもの。第一印象や最初に作られた関係性によるところも大きい。

 結局は、出会ってすぐ恋に落ちるみたいなケースはかなり多いのだとか。恋愛は電撃戦だ。たぶん。


 ファニアの尽くすという言葉にぐっとくる。

 死と絶望から救われたファニアは、普通以上の気持ちを預けてくれそうな雰囲気だけれど。

 だからといって弱みに付け込むみたいな真似は――



「こんなところにいたのぉ、あたしの愛しいセンセ」

「うぁっ?」


 しなだれかかる。かかられる。

 背中から、柔らかな腕が両肩に回されて、ぴっとりとしっとりと布越しでも体形がわかるようにできるだけ擦り付けるように。

 猫が体を擦りつけてくるみたいに、ただ大きさが猫ではない。


「今日のあたしの分、ねぇ。センセイのそれ、飲ませてぇ」


 ファニアと同じく、劇的に症状が改善した妖艶な美女アスパーサだ。

 男慣れしているのか距離が近い。病気が治ってくるとボディタッチも増えた。状況によっては嬉しくないわけではないが。


「や、アスパーサさんっちょっ……」

「……」


 後ろから抱き着いてきたアスパーサと反対に、膝を着いていたファニアは立ち上がり背中を向けた。

 ふん、と。



「私の方の話は済んだ。時間を取らせてすまなかったな」

「や、その……」

「センセイ、あたしが元気になったら、ね? センセのことも元気にしてあげちゃいたいなって」

「……」


 背中を向けたはずのファニアが、首を少しだけ回して細い目でこちらを睨んだ。

 違う、誤解だ。

 何が誤解とか言うのか、とにかく違う。そうじゃない。


「センセイが約束してくれた通り、あたし後悔しなかったもの。だからセンセイにも後悔させないつもりよ」

「あー、うん……俺はほら、女神様に仕える身なんで」

「そうなの?」

「そうなんです。だからお誘いは嬉しいけど……」


 なんとか言いつくろうアユミチに冷たい視線を送るのをやめて、ファニアは歩き去っていった。

 とりあえず許されたのだろうか。何を許してもらうわけでもないが。



「女神様に操を立ててるって言うんじゃ仕方ないわねぇ。ざんねん」

「……」


 あ、いや。

 あんなのに操を立ててるわけじゃないんだけど。立てても無駄だと思うし。アユミチの操なんて求められてないし。



「……」


 撤回するのは恰好が悪いだろうか。


 これ以上よけいなことを言わないように口を閉ざしていたら、その日のうちにアユミチが女神に操を立てていると集落の全員に知られていた。

 今から撤回するのは、どれほど恰好が悪いだろうか。



  ◆   ◇   ◆


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