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法失き世界の人の道  作者: 大洲やとこ
第一幕 凡人の歩幅で
16/56

1-16.煙(けぶ)る村



「兄ちゃんの薬、めっちゃうまい」

「そうか」


 埋葬の翌日には、イサヤもカヨウも目に見えて元気になっていた。

 体の斑点はどちらもまだ残っている。カヨウの方が治りが遅いように感じた。違う病気だからだろうか。


「おかわり」

「まあゆっくり、な」


 他に食べ物もない。とりあえず栄養のある飲み物というだけで酒瓶――ノクサの呼び方だとビストニダの恵み――は助かる。

 とはいえずっとこのままでもいられない。

 捨て森に向かおうという頃にはイサヤはだいぶ元気な、快活な声で笑って、つい(こぼ)れた涙を慌てて(ぬぐ)っていた。

 イサヤの空元気(からげんき)に救われたのは俺の方だろう。




 川を渡った正面は高低差が険しく進めない。向かって左に森を数時間ほど迂回(うかい)した辺りに道があった。

 舗装されているわけではないが、踏み(なら)した跡が道っぽくなっている。

 ちょうど西の町の方角から森に向かってくると行き当たる地点らしい。


 頻繁に町から人が出入りしているというわけではない。

 どうやら森に先着の病人が入り口だとわかるように行き来しているようだ。それで道が残る。

 ただ一言に森といっても広い。流行病隔離の僻地(へきち)。まさか国が道路整備をしてくれるわけもない。


「一人で死ぬのを待つだけってのはたぶん寂しいんでしょうよ」


 ムンジィの言い分になんとなく納得した。

 同じ境遇の人間が来やすいように。死ぬまでの話し相手くらいにはなる。


 朝夕に漂うやや眠くなる霧は、それがたぶん麻薬的な効果をもたらしているのだと思った。

 痛みが薄れた病人が散歩がてら道を踏み歩く。

 森の入り口から、少し分け入った奥の集落まで。


 イサヤとカヨウを連れて、アユミチもその死病の村に入った。ムンジィもおっかなびっくりの様子でついてきた。

 ムンジィが先頭に立ち草木を盗賊から拾った剣で払いながら進むと、二時間半ほどで集落に辿り着いた。



  ◆   ◇   ◆



「ここにいるのはみんな斑徂症(まだらそしょう)の患者なのか?」


 八軒の丸太小屋に暮らす人々は、今の時点では三十七人だそうだ。

 他に一人、この集落から近い場所で死を待っている女がいるとか。似たような集落が森の中にいくつか点在しているらしい。



「斑徂症の者が半分。灰息病(はいそくびょう)の者も多い」


 集落の入り口で、一人の男が道に立ち塞がった。

 新しい病人仲間ではないと見て、警戒するように。


「嘘じゃない。オレの病気、本当によくなったんだよ」


 イサヤが薄くなった腕の斑点を見せて訴える。

 懐疑的な森の民の表情は読み取れない。彼の顔には無数の赤い斑点が膨れていてわかりづらい。

 斑徂症が進行するとこうなるらしい。



「症状の出始め……じゃないのか?」

「昨日までもっと赤く腫れていた。痛いのも減った。俺が感染を心配していないのを見て信じてもらえればいいいんだけど」

「……あんた、薬師か? 医者か?」

「神様の使いだよ」


 胡散臭い以前に荒唐無稽。

 そう思うのは日本人の感覚だ。

 森に入るのを渋ったムンジィにアユミチは神の使徒だと名乗ったら、腹が据わった表情になった。

 ムンジィが信じたのは、この二日間を見てきたからという経緯はあるけれど。


 ――神の奇跡ですかい。お偉い方々だけかと思ってましたぜ。


 実在するのだ。魔法などとともに存在が周知されていて、神の力というのが曖昧ではない世界。

 日本人の受け取り方とは違う。

 信仰心などなさそうなムンジィでさえ、神の実在を疑わなかった。


 逆に、実在するからこそ胡散臭さもぬぐえない。

 日本で神の使いなんて言ったら『はいはい何言ってるの』で右から左だろうが、権力者の身内だと名乗ったら嘘か本当かわからない。そういう感覚。




「禁域で神様からお告げをもらったんだ。困っている人を助けて、代わりに神様のところに……神様の住処を賑やかにしてほしいって」

「神……どこの太陽の?」


 神と言えば太陽神というのがこの世界の定番らしい。

 人間の暮らしに最も身近で最も大きな存在だから、偉大な神は太陽の化身だとか。

 過去の神々の争いも、我こそが真なる太陽みたいないさかいが発端と伝わっていると聞いた。


「優しすぎて地上から名前を失われた神様だ。だから今は言葉にできない」

「苛烈な神ではないと……」

「たくさんの人を助けて威光を取り戻せば、自然と名も戻るらしい。だからこうして神の使いとしてきたんだ」


 もっともらしい理由付けをしてみた。ノクサと事前に打ち合わせ済みで、あり得ないことでもないとか。

 影響力の小さいまま名が広まってしまうと、矮小な存在として定着する場合もある。神格が落ちるみたいな。

 地球で言えば、宗教間の争いで土着の神様を悪神にしたり格下げした歴史に近い。



「そうでもなきゃ好き好んで捨て森になんて来ねえだろ。うだうだと――」

「ムンジィ、やめろ」


 猜疑心(さいぎしん)の強い人間もいる。

 彼らの境遇を考えればむしろ当然と言える。迫害された人間が簡単に外の人間を受け入れられるわけがない。

 同じ病気の人間を受け入れるだけの閉鎖的なコミュニティ。


「諦めて静かに過ごしてる者も、泣いて過ごしてる者もいる。あんたの実験で妙な期待を持たせるのはやめてくれ」

「疑う気持ちは理解できる。百年……もっと前から? 治せない病気と――」

「新しい家族かえ?」


 集落の入り口付近で話しているアユミチたちに、しわがれた声が奥からかけられた。

 曲がった腰で顔をこちらに突き出すように向ける小柄な老婆の姿があった。



「ばば様……」

「トバや、また新しい家族かえ?」

斑徂症(まだらそしょう)の子供が二人と、あとは……」


 神の使いと元盗賊。

 なんと説明したものか迷う男――トバと呼ばれた――は、ばば様と来訪者を見比べて首を振る。

 丸太小屋の木窓からもいくらか視線が集まった。



「ま、大方の話は聞こえてたよ。神様のお使いだって」

「そちらがここの長……でいいのかな?」

「ひっひっ、ただの死にぞこないさ。古株ってならそうさねぇ」


 しゃがれた声というか、喉が潰れたような声だった。

 さっき聞いた灰息病とやらの後遺症かもしれない。

 死にぞこない。生き残り。

 致死率の高い流行病でも絶対に全員が死ぬわけではない。そういうことだろう。


「こんなところに旅人が来るもんじゃあない。たまに妙な連中が騒がしくするもんだからね」

「騒がせて申し訳ないです。トバさんが警戒するのもわかります」


 門番のような役割をしていたトバに配慮を示してから、立場的に上の老婆に向き直った。


 いつもと様子が違うと感じたのか、丸太小屋から出て、だるそうに壁にもたれながらこちらを観察する女性の姿もある。

 首中にたくさんの赤い斑点。くわえていた小さな木筒を離すと、ゆっくりと煙を吐いて、吐いて、最後に小さく咳き込む。



「だいたい月に何人か、この森に来るんだよ。死んでいくのもおんなじくらいさ」

「……」

「ついてすぐ死ぬのもいれば、何年かのんびり死んでいくモンもおる。婆みたいにしぶといのはそうおらん」

「俺はアユミチです。ええと、お名前は?」

「死病にかかって忘れたのさ。遠慮なくばあさんと呼んどくれ」


 まず相手の話を聞いてから名乗ったが、老婆の方はとうに名前を捨ててしまったらしい。

 病を生き延びてから、この捨て森でたくさんの病人を看取ってきた老婆。

 あれこれ詮索するつもりはない。


「トバさんにも言いましたけど、俺はたぶんここの皆さんの病気を治せます」

「本当ならたいそうなことだよ。似たようなことを言って、病人を戦に送り込もうって連中もいるもんだけどね」

「アユミチの旦那をそんな奴らと一緒にするんじゃねえ。だいたいそいつらは森に入ったりしねえだろうが」

「まあそうだねぇ、元気のいい兄さんや」


 ひひっと笑う老婆と、その息から逃げるように半歩さがるムンジィ。斑徂症は接触感染だが、灰息病は空気感染と知られているのか。

 病人を戦争に利用するような非道が行われるのも事実らしい。

 長く苦しんできた人たちの心は閉鎖的だ。それを融かすような話術のないアユミチの前に、二人の子供が庇うように立った。



「本当なんだよ、婆ちゃん。アユミチ兄ちゃんの薬は本物なんだって」

「ぜったい治らないって言われたのに。悪くなるだけって……だけど」


 ぽつぽつと赤い斑点が残るイサヤと、カヨウの方は黄色く薄くなりつつある。


「私、ずっと熱くて苦しかったのが楽になったんです」

「この森の煙でも楽にはなるんだよ、嬢ちゃん」


 老婆が後ろの小屋で煙を吹かす女性を視線で指す。

 彼女が吸っているのは麻酔的な何かか。治るわけではないが苦痛はやわらぐ。


「ただまあ……血斑が薄くなってるようだね。治りかけの様子に見えんこともない」

「ばば様、信じるのか?」

「病の捨て森に入ってきてバカを言ってる兄さんたちが、本物か本物のバカかって話だよ。灰息病の方も……恐れちゃいない顔だね」


 へ、と間抜けな声を漏らすムンジィは無視してゆっくりと頷いた。

 たぶん大丈夫でしょ、というノクサの言葉を信じてのことだが。

 最悪でもアユミチは病気にならないはず。イサヤとカヨウの体調が悪化するようなら神域へ連れていく。ムンジィのことはまあ、なんとかなるんじゃないか。



「試すだけでもいい。効果があったら信じてほしい」

「期待して裏切られる気持ちがお前たちにわかるか? この森に薬があると信じて這いずってきた者もいるのだ」


 トバの表情は硬い。

 希望を聞かされて騙された人もいる。

 死病で死を待つ人間に、また助かるかもしれないと期待だけさせて失望させるのではないか。絶望させるのではないか。

 見世物にするなら悪趣味な趣向だ。

 いきなり訪ねてきたよそ者が、今まで世界に存在しなかった都合のいい奇跡を押し付けてきて、素直に信じろという方が無理がある。


「それでお前になんの得がある? ここで実験してうまくいったら町で大儲けか? 神の使いなどと言っても、祈るより金を数える時間の方が長い亡者の類が……」


 損得、利害。

 何の得にもならないことをやるといううさん臭さは拭えない。


「アユミチさんはそんなんじゃないです!」

「そうだ、兄ちゃんは違う!」


 なんの得が、と問われれば少しばかり痛い腹もあるのだが。

 レーマ様の下に連れていく少年の確保とか。打算が先にあった。

 言い返しにくいアユミチの代わりに強く抗議する少年少女と、そーだそーだと追従するムンジィについ苦笑した。



「オレはもう死ぬって言われたんだ。母ちゃんが一緒に死のうって……母ちゃん、死んじゃったけど」

「私たちはアユミチさんに助けてもらった。アユミチさんは神様のお使いで、もっと人助けしたいって」

「……お前たちを助けたのは本当らしい」


 純真な子供たちの言葉に少し罪悪感を覚えないでもないが、警戒するトバの心も少し揺らいだようだった。

 ふん、と息を吐いてばば様に頷いた。



「俺はどうせ数か月内には動けなくなる体だ。虚穴(うろあな)に入る前に試されてみるのもいいだろう」

「なら、あたしも試されてアゲルわ。神様のお使いさん」


 かすれた声で、けれど艶っぽい声音で、煙を吐いていた女が手を挙げた。

 けふっと咳き込んでから、だるそうに首の赤斑を細い指先で掻いて立ち上がる。


「いっぱい病気もってるあたしのカラダで試したいでしょ、センセイ」

「アスパーサ」


 ふらふら近寄ってくる女性――アスパーサの雰囲気にぎゅっと縮こまるイサヤとカヨウの肩に手を添え、一歩進んで入れ替わった。

 子供が相手にするような女じゃなさそうだ。女性経験のない俺にもあれだが。


「試してもらえたら助かる。後悔はさせない……つもりだ」

「あら素敵、頼もしいわぁ……かふっ、けほ、ごめんなさいねぇ」


 距離が近い。手を伸ばせば届いてしまう距離までおぼつかない足取りで近寄った彼女に、気後れを見せないよう正面から向き合う。

 アスパーサ。目鼻の筋がくっきりとした顔形をしている。肌に浮かぶ無数の赤い斑点と目元の黒い陰りが目立つせいで、不健康さと不吉な印象が強い。

 元は結構な美女だったのかもしれない。



「二人に俺の薬を飲んでもらって数日様子を見る。それで効果が確認できたら他の人たちにも」

「……いんや」


 アユミチの提案にばば様は首を振って、深く深く息を吐いた。

 疲れたというか、諦めたというか。



「よくまあアスパーサの前に平気な顔で立てるもんさ。あんたは本物だよ。本物のバカだね」

「バカな自覚はあるよ」

「損得は別として、本気でこの子らの病気を治せると思ってるようだ。どうせ死ぬ身なら試して損があるわけじゃあない。ただ、期待させといて無様なことになりゃ、呪われるくらいは覚悟してるんだろうさ」


 いや、呪われるとかは聞いていないんだけど。

 神も魔法もある世界なら呪いとかあっても不思議はない。後でノクサに詳細は聞いてみるとして、とりあえず笑って頷いてみた。


「嫌がるもん以外全員に薬を試すよう言いな。このババアの目が曇ってりゃババアに文句言っとくれ」



  ◆   ◇   ◆


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