ロバートの涙 その2
ロバートは腹部をベッドに固定されたまま、仰向きに寝かされていた。
何故か脱力感が強く、声を出すことも出来ない。
僅かに「あー、おぉ」等と、音を発せられる程度だ。
(筋弛緩剤を使われたか? 何故一思いに殺らない?
まさか、本当に俺を被験体にする気なのか?)
広いフロアーにベッドは一つ。
自分だけが寝かされている恐怖。
その代わりとばかりに、ベッド周囲にはラボ並みの実験道具が配置してあった。
大きな画面のコンピュータも複数台並べられ、入力と解析が進められるように準備がなされているようだ。
品揃えは人目で最新鋭の物と解り、資金力に眩暈がする。
(本気なんだな、マローニ。仲間の俺を裏切って、ビアンルーシュに寝返ったんだな! くそぉ!)
目が覚めても動かせない体に苛立ちながら、ビアンルーシュよりもマローニに怒りが沸くロバート。
最早逃げることも叶わない。
コツコツ、コツと静寂に響く足音に目を向けると、怒りの対象がそこに現れた。
「先輩……これで最期かもしれないので、少しお喋りに付き合って下さいね」
「あがっ、ふっ、」
罵声を浴びせたいがそれも叶わず、憎悪の瞳だけで彼女を捉えた。無理に声を出そうと力めば、ヨダレばかりが口角に垂れる。
白い手袋をはめたマローニは、彼の左手の血管に生理食塩水の点滴を繋ぎ、右腕の血管には少量の赤い液体を注射した。
「うあぁ」
苦痛に顔を歪めるロバートの様子を観察し、コンピュータに入力するマローニ。
「時間もありますから、聞いてくださいよ。
まあ、勝手に喋りますけどね」
身動き出来ない状態で、耳も塞げない。
憤りながらもマローニの言葉が耳に入る為、諦めて閉眼した。
「私って頭が良いでしょ? だけどそれにずっと気付かなくて、家族とも話が噛み合わなくて。
ずっと孤独だった。
兄や姉が両親と屈託なく話していると、阻害されている気がして。
なんだか落ち着かなくて、居場所がないように感じてました。
でも……蔑ろにはされていなかったみたいです。
……今考えればですけどね。
それでも当時は寂しくて。
それに気付かれていたみたいで、両親が子犬をプレゼントしてくれたの。
そう、シベリアンハスキーのガロウよ。
いつも一緒で話も聞いてくれて、幸せだった。
けれど犬の寿命は人間ほど長くないから、考えるだけで怖くなって。
だから飛び級を繰り返し大学院を卒業して、軍にスカウトされて研究ラボに入ったの。ガロウが少しでも長生き出来るような研究をする為に。
でもね、家族とも同い年ともあまり話が噛み合わない私が、大人と上手く話せることもなくて。
軍のラボに移ってもそう。
いつも命令口調になっちゃうの。
そんな私の生活も、先輩の弟のロゼフが部下になってから、いろいろと変わってきて。
私が敵を作らないようにサポートしてくれて、みんなと話せるようになって。
思えば私の研究は、軍事利用する為に以前から目を付けられていたのよね。
まさかそのキメラ計画が、直接的に人間に使われるとは思わなかったけど。
最初は終身刑の犯罪者。
『こいつらは、たくさんの人を殺めた人の心がない悪鬼、テロで空港を爆破した政治犯、病原菌をばらまいた狂った科学者達だ。
罪悪感なんて持たなくて良いんだ。
罪を償わせる方が、彼らの幸せなんだよ』
そんな風に所長からは実験倫理の境界線を下げるような発言があって、人体実験が行われるようになったの。
けど実験が進むたびに、人の人相が変わっていった。
どうみても、怯えた一般人にしか見えない人もいたわ。
その時にはもう戻れなかった。
軍上層部の命令だし、既に手を引けないところまで来ていたし。
でもロゼフはそれに我慢できず、子供達を逃がしたの。所長の機転でその子達は、実験により死亡として処理されたけど、軍上層部は知っていたようなの。
◇◇◇
その数年前ーーーー。
前国王が毒殺されて、ベスタエート様が国王となり、隣国の出身のプランネーゼ王太后から実権を奪還する戦いがありましたよね。
シエラ様もまた、ベスタエート様が寵愛することで目を付けられ、王太后のお茶会で彼女に毒殺されそうになって。
その時に通りがかった先輩が、彼女をお救いして。
将軍に抜擢されたのも、その頃ですよね。
元々先輩はベスタエート様の従兄で、海洋生物の研究員だった。
海の状態に詳しい人物として軍に引き抜かれ、机上の空論だった理論を現実に行って、人魚の作成を開始した。
隣国ジンダームルには、先輩の生物兵器(刺されたら96時間で重症化する蚊)を予防注射をした諜報に依頼して、隣国の王宮にばら蒔き、
謎の病気が一時期王宮貴族に流行って数人が死亡。
老齢であった隣国の国王もそのせいで亡くなり、後継者争いで揉め出し、
そのどさくさに多くの諜報員を潜入させることに成功し、次期国王にもハニートラップをかけて重要機密と多額の資金を奪い取った。
そんなことがあって、ガハウェム国の支配を目論んだジンダームル国は沈黙し、プランネーゼ王太后の権力も削ぎ落として。
◇◇◇
隣国を追い落とした時期と同じくして、
ロゼフの母親デライト、先輩の義母でもある彼女が事故で亡くなり、ロゼフは寝たきりになって。
後ろ楯の大公は汚職が摘発されて、多額の罰金を徴収され発言力を失くした。
王国派は次々に粛清されたわ。
それでも反発する派閥があって、その勢力を黙らせる為にもベスタエート様は軍に力を注ぎ、他国への征服を続けた。
ロゼフ様はベスタエート様に、反旗を翻すと思われて殺されたのでしょう。彼がいると先輩が公爵家を継げないし、ラボでも被験体を逃がす裏切り行為をしたから。
でも彼は、ずっと先輩を慕っていました。
少し気の弱い彼は、大人で国王の右腕である先輩を自慢に思っていたんです。
関わる時間は少なかったけど、自分には出来ないことをやって、隣国との争いを収めた英雄だと言って。
彼が先輩を裏切ることは、きっとなかった。
生体実験のことは辛そうでしたが、この国を守る為には必要悪なんだと呟いて。
でも子供だけは助けて欲しいと、逃がしていた。
所長も同じ意見で、彼の報告は軍上層部にあげていなかった。
恐らく諜報員が、研究員の中に潜んでいたんですね。
彼は平和を望んでいました。
隣国との衝突がなくなって、ベスタエート様の寵妃シエラ様が安全に過ごせるようになって、良かったと病床で話していました。
彼は死ぬ時、これからはガハウェム国が穏やかに暮らせると、微笑んでさえいたんです。
人魚の生体実験はまだ公にはなっておらず、私も先輩が蚊の生物兵器を行っていることしか知らない時期でした。
先輩と合流したのは、それからずっと後でしたよね。
私、嬉しかったんです。
あの山の廃屋で、ロゼフの死に先輩が関わっていないと知って。
ああ、ロゼフが裏切られなかったんだなって。
だから先輩の実験は、なるべく苦痛を減らしながら行おうって思って。
痛み具合は解らないですが、麻酔や弛緩薬、時には眠剤を使いますから。
先輩の実験が終了したら、私も自分の実験を身に宿します。
先輩は、以前私が手がけていたベニクラゲの不老不死現象に興味を持っていましたよね。
死んだように見えてもポリプ(ポリプはクラゲの前の状態)という若い状態に戻り、再びクラゲとして成長を繰り返すことができるというループ。
この若返りのメカニズムは、細胞の分化と再分化を繰り返すことで、老化を遅らせ、事実上寿命を延長していると言われていますよね。
弱点としては紫外線、一部の捕食者。
クラゲは透明な体のため紫外線を吸収せず、細胞にダメージを受ける可能性があり、魚や亀に食べられれば
復活はほぼ不可能です。
海中では不死身でも、環境が変わってしまえば、死んでしまう可能性があるのですよね。
私は海洋生物に詳しい先輩にベニクラゲの研究を任せて、先輩の研究していたクマムシの方を私が専攻していきました。
だからこそ二人の情熱を注いだベニクラゲを、最期の実験として進めたいと思うのです。
たぶん、人間からベニクラゲの転身は難しいと思います。
ただ先輩が亡くなったら、私がちゃんと弔いますから。
それだけは安心してください。
私もすぐ後を追いますから。
だから少しの間だけさよならです。
ロバート先輩」
マローニは言い切ったとばかりに、微笑みを浮かべていた。
閉眼していたロバートは、静かに涙を流した。
弛緩薬も、痛みを和らげる為のものだったのだ。
どうしてこうなったのか?
それを止めることは出来なかったのか?
彼女の作業は、監視カメラと観察カメラが捉えている。
薬剤の調合は5階に上がり、協力者が行ってくれていた。
彼女の仮眠は、自らの翼で翔んできたガロウが、マローニを包み込んで行われている。
シベリアンハスキーの巨体は、ずっと彼女を守っていた。
ロバートの足元に絨毯を敷き、ずっと2人と1匹は一緒だった。
時おり意識が浮上し、マローニとガロウを見るロバートは心が和んだ。
思えば家族とも疎遠な彼が、母親の死後にこんなに近くに誰かといることは初めてのことだった。
(疲れたんだな、マローニもガロウも。
それにしても、ガロウは傷だらけじゃないか。
マローニのにおいを辿りながら、探し回ったんだな。
家族だもんな…………うっ……)
あどけない寝顔に息が詰まる。
マローニはまだ16才だ。
(こいつはまだ子供じゃないか。
俺はもう良いが、こいつだけは助けてくれないかな?
ビアンルーシュはここに来ないから、頼むことも出来ないし…………。
俺に頼まれたら、余計に罪が重くなるだろうか?
なんで、こうなったんだろうな…………。
公爵家なんてどうでも良いから、昔に帰りたい。
ロゼフもマローニも生きて、笑える世界に…………)
ロバートが注射されたのは、ベニクラゲの核が入った細胞だ。
その後も、彼の研究の通りに投与されていく。
注入時の痛みは患部をむしり取りたい程の激痛だった。
融和剤を混合した特製品は、拒絶反応を和らげるが痛みは格別だった。
彼の理論によれば、ベニクラゲ優位の細胞に置き換わるはずなのだ。
人間がクラゲになるなんて、想像も出来ないが。
◇◇◇
何度も何度も痙攣と、身の置けない全身に針を刺されるような苦痛が繰り返す。
鎮痛剤や眠剤の切れる合間に、周囲を僅かに見る生活。
全身に管が入れられ、心電図が乱れると強心剤を注入して改善を図る。
ロバートはベニクラゲの細胞の他に、人魚の脳漿も素材にしていた。
ビアンルーシュのものを培養したその脳漿の影響で、生き延びていた可能性が高い。
まさか敵認定しているビアンルーシュの細胞が、自分の身に宿るとは思っていなかっただろう。
普通の人間ならば、何度も死んでいるような瀕死状態を何度も何度も繰り返す。
ただ生き返っても、それが幸せではないことだけは確かだった。
ロバートはもう視力もなくなり、聴力だけで周囲を探っている状態だ。
(俺が死ねば、次はマローニが死ぬことになる。
できる限り長く生き延びれば、その間はマローニもガロウと居られる。
何となく解るが、ガロウの寿命はあと僅かあと思う。
だからこそ、まだ2人を離したくないんだ。
せめてマローニの未練が残らないように、俺がもう少し頑張るか………………)
そうした状態が、もう半年続いていた。
ロバートの口から、言葉が漏れることはなくなり、閉眼したままの状態だ。
心音は1分間で20回を切るが、生体反応は続いている。
体は浮腫のように水っぽく、脂肪は見られない。
寧ろ皮膚の下は濁った水で満たされ、水風船のようだ。
瞳も白くなり瞳孔も開いたままで、何も映してはいないよう。
そしてある朝、ロバートの体は消えており、ベッドの中央に一匹のベニクラゲを発見した。
「まさか、これが先輩なの? 早く容器に入れなきゃ。
海水がないから、取り合えず生理食塩水で良いかな?」
マローニは慌てて、ベニクラゲを拾い上げビーカーに入れた。
そのクラゲは楽しそうに、その中を泳いでいる。
「まさか、実験が成功したの? 本当に?」
衝撃で疑問が尽きないマローニだが、そこにずっとロバートを見に来なかったアンシーが訪れた。
じっとベニクラゲを見ていたアンシーは、ふうと息を吐いた。
「今、テレパシーで話しかけた。これは確かにロバートだったよ。
ベニクラゲに知能はないと言うけど、思考は人間の時と同じだね。
マローニに、ずっと訴えてる。
“俺は生きているから、観察を続けてくれ”って。
マローニが見てくれないと、俺の変化は誰にも解らないぞって言ってる。
被験体になるのは、俺が死んでからにしてくれって。
私にはマローニを許してくれって、ずっと叫んでるわ。
取りあえず、このベニクラゲの観察を続けてマローニ。このクラゲってば、後100年は生きるって煩いのよ」
1センチくらいの体長になったロバートは、元気に動き回っている。
アンシーは毒気を抜かれ、マローニは泣いていた。
「なんで今さら格好良いのよ。……こんな姿になってまで、人の心配なんてして……うっ、あぁぁ……」
「クゥン、クゥゥン……」
ガロウが宥め、今までこの階に来なかった者達も集まった。
それはロバートと、マローニの時間を邪魔しない配慮だったのだ。
特にアンシーがいれば、心が騒ついただろうから。
それでもずっと、アンシーやレイテスト、ラウスらはモニターでロバート達を見ていた。
人魚達の苦しみや悲しみを、全てではないがロバートも感じていたことを、テレパシーを持つ者達は感じ取っていた。
アンシーはずっと憎んできたロバートを、少しだけ許せたのだった。
※ベニクラゲの脳について。
エサを追いかけるなど、ある程度の複雑な動きをするためには脳が必要ですが、ベニクラゲは散在神経によって、そのような複雑な動きが出来ない。
※散在神経系とは、神経細胞が体全体に散らばって存在し、網目状に連結している神経系のこと。脳や神経節のような中枢神経を持たない、より原始的な神経系のこと。
そんな訳でロバートは人間の意識を持った、『この世で一匹の知能のあるベニクラゲ』となったのだ。




