8-6:水中戦
「私が先行します。城太郎さんは少し離れてついてきてください」
そう言って真理恵さんはゆっくりとしたストロークの平泳ぎで海へと繰り出した。平泳ぎを選択したのはスピードよりも周辺を警戒するための視界確保を優先したからだろう。他の泳法だと周りが良く見えないからね。
露払い役をしてもらうなら、俺が追い付き追い越してはいけない。進路付近にいる雑魚モンスターの反応範囲に先に入るのは真理恵さんが先でなくてはならないからだ。と言う訳で、速度を合わせるべく俺も平泳ぎ。正直、平泳ぎは苦手なのだが、今は『水泳』スキルのシステムアシストがあるので大丈夫。未だに良く判っていない足の動かし方も意識せずに再現できている。
泳ぎに不安が無ければ周りを見る精神的な余裕が生まれる。
そしてこの海は周りがとても良く見える。
まず、海中にあっても普通に目を開けていられる。海水が目に染みないのだ。
海水=塩水なのは地球の常識。異界に存在するダンジョンの“海”は地球の海とは違う――という可能性もあるが、しかし匂いも味も俺の記憶にある海のものと合致する。水中戦があるのに「海水が沁みて目を開けてられない」ではゲームにならないという単純な理由から排除された“無用なリアリティ”なのだろう。逆に塩気を含ませているのは海を実感させるための“有用なリアリティ”だ。
同じく水中戦時の視界を得るためだろう、透明度がもの凄く高い。
以前ネットで見た画像にこんなのがある。絵面としては水深の浅い入り江のような場所にボートが一艘浮かんでいるというだけのものなのだが、水があまりにも透明過ぎて存在感が無く、海底までくっきりはっきり写っているせいであたかもボートが空中に浮かんでいる様に見えてしまっていた。
この海もそれに匹敵する透明度なのだ。少なくとも普通に戦闘で立ち回る範囲の視界に困る事は一切無いだろう。
……さて。
説明が長くなったが、要するにここの海では水中でも“良く見える”。
でもって、前を向けば先行する真理恵さんがやっぱり“良く見える”のだ。
うん、本当に良く見える。
水を蹴る度にかぱっ、かぱっ、と足が左右に開くのが良く見える。
こういうアングルから見るのは初めてだ。
モンスターの行動を予測するために観察癖がついたのだろうか。彼女の足の動きに目が引き寄せられる。真理恵さん、足もきれいなんだな……。
「城太郎さん! 近過ぎます!」
「え!? あ、ごめん!」
引き寄せられていたのは目だけじゃなかった。
どおりで良く見える筈だ。いつの間にか真後ろを泳いでいた。いけないいけない。これでは雑魚モンスの反応範囲にほぼ同時に入ってしまい、どちらがターゲットになるかが運任せになってしまう。
十分な間隔を空けて再び泳ぐことしばし。
「そこで止まって下さい。右の方から来ます」
真理恵さんに制止されて立ち泳ぎに移行。その場に留まる。
右前方に目を向ければ海面の僅かな盛り上がりを徴として噴流貝が接近してきている。すいー、すいー、との断続的で緩慢な動きに油断してはいけない。噴流貝の真価は名に冠する噴流推進を用いた急加速にある。
大きく息を吸い込み、真理恵さんが海中に没する。
いくら水の透明度が高くても海上から海中を見ようとすれば水面に反射する陽光が邪魔をする。戦闘は完全に水中で行うようだ。
俺もまた息を止めて海中へ。
今後の参考にする為、噴流貝との水中戦を観察するのだ。
真理恵さんの装備はビキニアーマーと『噴流貝の細巻貝』製の刺突剣。大盾は「あんなに重くて大きいものを持っていては泳げません」とのもっともな理由で装備していない。『水泳』スキルのレベルを上げれば大盾だけでなく重鎧を装備していても泳げるようになるのだろうけど。
まあ、水中戦をあるていどこなしているらしいから、あの装備での対処法を確立しているのだろうと思う。
ちなみに地上での対処法は飛んでくる噴流貝を落とすところから始まる。武器で叩き落すなり盾で受けるなりしてまず落とすのだ。この部分、野球が得意な奴は上手そうだ。特にバント巧者なら。野球は素人でもバッティングセンター好きならタイミングを合わせやすいだろう。飛んでくる噴流貝を叩くのはそんな感じだ。
で、その時に当たるのは貝の部分だから大したダメージにはならない。
本番はその後。
落とされた後の噴流貝の行動は、
1、噴流推進で再度の攻撃。
2、噴流用の水を補給。
3、中身が出てきてうにうにと這いずり移動。
この三択となる。
1だと至近距離からなので結構危険。推進用の水が不足しているのか最初程の勢いがないのは救い。この場合はもう一度叩き落す。そうすれば攻撃チャンスである2か3になる。2ならその場から動かないし、3でも移動速度はそれほど速くない。落ち着いて中身を攻撃すれば良い。
これが水中だとどうなるのか。
しっかり見定めてやろう。
接近中の噴流貝は貝がボクシンググローブみたいに丸っこい打撃属性タイプ。ギザギザなエッジを持つ斬撃タイプや細長く尖った刺突タイプよりはやり易い相手だ。
噴流貝が急激に加速した。浅瀬で飛んでくるのより遅く感じるのは水の抵抗があるからだろう。剛速球と速球くらいの違いはある。が、それでもプレイヤーの行動速度は圧倒的に上回っている。正面からまっすぐに突っ込んでくるから盾があれば防御するのは簡単だと思うが、真理恵さんは盾を装備していない。突進系の攻撃は回避した後に次の突進までの隙を狙うのがセオリーだけど……あれ? この位置関係でそれをやられると次のターゲットは俺にならないか? やばい。俺、今、丸腰。
せめて武器だけでも装備を、と慌ててウィンドウを開いたのは、しかし無駄になった。真理恵さん、回避しなかったのだ。子供がやるドッジボールでお腹に抱え込むようにボールを受け止めるのがあるだろ? まんまあんな感じで噴流貝の突進を受け止め、推進力に押し込まれながらもガッチリとホールド。そして貝の開口部に刺突剣をこじ入れてグサグサと突き刺す。中身を直接攻撃できれば真理恵さんの高STRがものをいう。あっという間に噴流貝のHPは砕け散った。
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「……真理恵さん、いまの戦い方についてちょっと訊きたいんだけど。いつもああいうやり方なの? それとも俺が後ろにいたから?」
水面に上がって、移動を再開するより先に確かめておきたかった。
雑魚モンスターにもヘイトの概念はある。真理恵さんが突進してきた噴流貝をただ避けた場合、ヘイトがフラットなままの噴流貝が次に狙うのは一番近くにいる俺だっただろう。だから回避せずに敢えて受けたのか?
「ええ、いつもああしてます」
真理恵さんによれば、ああするのが一番簡単であるそうだ。
浅瀬における三択のセオリーは真理恵さんも承知しており、当初はそれを水中に応用しようとした。が、水の抵抗で動きが制限されるのはプレイヤーも同じで、陸上と同じようには動けない。水中だと推進用の水を補給するのに不自由せず、再突撃までの隙が少ないそうで、他の突進系攻撃みたいな対応も難しい。
この辺り、普通にゲーマー思考なら『水泳』スキルのレベルを上げて水中行動の自由度を確保するのだろうが真理恵さんは違った。不自由な中で手の届く範囲に噴流貝を留めるべく、自らの体で受け止める方法を選択したのだ。ゲーマー思考から外れている真理恵さんならではだが、痛覚のあるこの世界では常識的思考に基づいているとも言い難い。
変態思考……いや、変態嗜好か。
戦闘方法を説明しながらも表情が僅かに緩んでいるのは、まあ、そういうことなのだろうし。
そして一つ、確かに言えるのは、装備しているのがビキニアーマーなのにお腹で受け止めたら、防具の意味が無いだろうって事だ。
明日の18時と21時、明後日の18時と21時にも投稿します。