後に騎士は語る。「魔王だと思った」
「赤子! こ、これが勇者だと!?」
「いや、否定するのはまだ早い。まずは能力を調べるのだ。赤子であるにも拘らず異世界一の強者とあらば、むしろ期待が持てるというもの!」
響いた混乱と期待の声、その言語を、正しく彼は聞き取った。
ハッ、と小さなお鼻で嗤う赤子の様子は、周囲の目には留まらなかったようだ。
いや、一人だけ、戸惑うような様子を見せた騎士がいた。従属に抵抗出来そうな「意志のある人間」はあの騎士一人だけ。とはいえ魔力量の差で、それでも不可能ではない。やまんちゅは素早く辺りを確認し、即座に魔力を練り上げる。
(ほぅらみろ、勇者召喚など碌なものではない。かような可愛らしい赤子を兵器として使うつもりか。そもそも、この私を使役しようなどとは片腹痛いことだ。愚かなり、凡愚共)
格の違いは、出会い頭に叩き込むべき。
風を操り、相手方の手の届かぬ高さまで素早く飛翔する。窓もなく薄暗いながらも幸いにも天井は高く、円形の場は見下ろし易い。
範囲の指定も簡単だ。既に放つ魔法の準備は終えた。
「何だ! 赤子の手が光って…」
「うわぁっ、馬鹿な、もう魔法が使え…!?」
(言葉も話せぬ赤子は獣と変わらぬ。そう思えば、私をあのお人好しから引き離し…あやつに怪我を負わせたこやつらも所詮は獣に過ぎぬ。獣なれば調教魔法が効くのも経験済みだ。私はまだ、言葉を話すことができないからな)
意思疎通の術に加えるのは、こちらに危害を加えることが出来ないというだけの、従魔調教に於いては基本の術。しかし、この場の人間に効くようにと一手間を加えて発動。通常ならば獣にしか効かないはずの調教魔法は、圧倒的な魔力量の差を以て場に満ち、全員を下位の獣として縛った。
『…ふむ。おい、そこの。今は何年で、ここは何という名の地か』
壁際の男に声を掛ける。
他と違って浮足立っておらず、剣を構えて冷静にこちらを窺っているところから、話ができそうだと思ったのだ。
(逆に…あの緋色の襟立外套は王族であろうが、こいつは駄目だな。動揺で言葉もないようだ。隣の老いた魔法使いも駄目だ、無能者め。私ならば、赤子であろうと、まずはすぐ捕らえて地に張り付けたであろうよ)
他には…倒れている魔法使い数人の、息はある。召喚陣の起動に魔力を持っていかれて昏倒したのだろう。
周りの騎士達も慌てて剣を構えているものの、自分の身を守ることしか考えていない。これならいつでもそこの王族(仮)を殺せる。やまんちゅはそう判断した。
(魔法使いを前に、甘すぎるな。今は平和な時分なのだろうか。危機意識が低い。切羽詰まる訳でもないのに勇者召喚の陣を使うとは…八割、愚物)
『答えられんのか? 魔法は正しく発動したはずだが』
「……お前は、魔王、なのか?」
『いいや、私は人間だ。しかしお前達の都合など顧みてはやらぬ。なぜならこれは異世界より人間を拉致する召喚陣であるからな。拉致犯の言う事など聞く耳を持つわけもないであろうよ。…さぁ、ここまではサービスだぞ、先の私の問いに答えよ。今は何年で、この国は、この場所は何処か』
うみんちゅに散々知識を叩き込まれたのだ。特に、帰り道を用意せぬ拉致犯達の言い訳には、余程平和ボケしていなければ丸め込まれようもない。
見も知らぬ怪しい人間に突然持ち上げられて、心底己を特別な勇者だと信じ込めるほど、やまんちゅは純粋ではなかった。
やまんちゅとしては、召喚しておきながら送還する術がないというのはあまりに無能と感じる。未完成のまま使用するなら、せめて相応の理由が必要だ。
適量ならば薬になる毒があるが解毒剤はないよ、だって代々そうなんだもん、と言う医者のようなものだ。それはまず、プロが使うなと言いたい。なぜ研究しない。矜持はないのか。
「ここはファルグラント王国、ラザトヤ神殿遺跡で、今は神与暦1546年だが…」
響いた赤子の、甲高い哄笑。
無邪気に聞こえそうな声なのに、隠しもしない嘲りの質を大いに含んでいたそれ。どこから聞こえたものかと探しかけ、周囲の怯えたような空気と目線に、ようやくこれが自分の笑い声なのだと理解した。
今生、こんな風に声を出して笑ったことはなかったので気付くのが遅れてしまった。
『それにしても、あぁ、愚かな、愚かな…こやつは兄らの子孫なのかな。私の今の身体は日本製だから、血族であるかどうかは既存の魔法では判じられぬなぁ…』
クツクツと嗤う赤子の異様な姿に、見上げる誰もの目に恐怖の色が強くなっていく。
やまんちゅは考える前に零れ出ていく言葉と、裏腹に少しも胸の内が冷えてはいないことを不思議に思った。
『我が名はイリヤトーレ・ラア・ガデル・カムルリヤ・ファルグラント…没年は1203…だったか4だったか…。私の兄二人は政略争いの末、味方にならぬのならばと私を殺したのだ。…そんな王の子孫…当代はお前かな? 殺された私の魂を引き戻したのだ…愚王なれば…私に殺されても文句はあるまいな?』
「…ひ、ひいっ」
「殿下! お、おのれ、魔のものめ、我が魔術の…なんとぉッ!?」
老いた魔法使いが放とうとした魔法を瞬時に掻き消す。身の内にこれだけ豊潤な魔力があれば、場の魔力を支配するのも容易だ。内にも外にも潤沢な魔力があり、誰より早くそれを扱えるのならば、幾ら剣を向けられようとも敵ではないと思えた。
国一番等と言われていい気になっていたあの頃の自分は、まだまだ未熟だったのだと彼は思い知る。
とはいえあったのは魔法に対する興味であって、国イチを目指す上昇志向ではなかったので、仕方がないのかもしれない。
『魔のものではない。きっちりと人間の母親から生まれ、今生の兄とささやかな暮らしをしていた私を、お前達が無理やりにこちらへ引きずり出したのだぞ』
話す間にも至る所でビキビキと凍り付く音が鳴り、吐息は白く凍えていく。この部屋にいる全ての人間の脚は瞬く間に氷漬けとなり、もほや動くことはできない。
彼には自分の力が過去一番漲っていることがわかった。当初は世界に漂う魔力濃度の差かとも思ったが…そんなものではない。
これこそが、界渡りの恩恵だった。
手に入れた事実に高揚し、非人道な行為へと溺れても良いくらいの強大なチカラだ。
だが、どれ程の力を手に入れたところで…それを羨みつつも喜んでくれるだろう片割れがいない。ポンコツな魔力を必死に伸ばそうと涙ぐましい努力をする兄は、ここにはいないのだ。
表情ばかりは取り繕えるが、その事実は不安や焦燥といった言葉を超え、もはや臓腑が凍えるような思いを齎した。
(何に囲まれているかも理解できず、育児放棄され、明日の糧すら知れぬ身ながらも…私は片割れのいるあちらへ戻りたい)
馬鹿げた会話と行動を繰り返し、不満と不安を分かち合い、それでも弟のために前途を切り開かんとした片割れ。慣れた世界に独りになると理解した瞬間、簡単に己の運命への抵抗を諦めてしまった兄。
あれを残したままには、どうしてもしておけない。
(…よもや魔王や勇者の気持ちがわかる日が来ようとはなぁ…。望まぬ異界渡りをさせたこの部屋の者どもを一瞬で殺し尽くすこともできようが、私は魔王になりたいわけではない。所詮は勇者も魔王も、ただ時の権力者に都合が良いか悪いかによる名称でしかない。無駄な称号は不要だ)
魔法で幾らでも対処できたとしても、赤子の身体能力で万物に敵対し続けるのは、分が悪い。意思疎通のための魔法を、対応する相手ごとに掛け直すのも面倒だった。
となれば、一時的な成長魔法を使うべきだと彼は頷く。
もちろん、兄に掛けたものそのままではない。あちらではそもそもの魔素の少なさから、うみんちゅには苦労を強いた。
しかしこれだけ使える魔力が満ちていればどうにでもなると、術式に手を加えていく。そのうち魔石でも使って身代りの術を組めば、解いた術の反動すらある程度は肩代わりさせることも可能になるだろう。
そうそう動けない赤子の身へ戻る気もなかったが、これならある程度は成長した身体を維持できそうだ。
判断出来たなら、手早く組み替えた成長の魔法を発動…する前にとベビー服を脱ぎかけて気が付く。
(服ばかりはどうしようもないので、その辺の人間から奪おうと考えていたのだが…なんと、過去に使っていた収納魔法が使えるな。中身も失われていない。成程、成程。これがうみの言っていた転生チートというわけだな)
あちらでこの魔法が発動しなかったのは、漂う魔力が薄すぎて収納の出入り口すらも形成出来なかったのが敗因だったらしい。空間干渉の術だけに、場にもある程度の魔力が必要だったのだ。
知ったつもりでいた既知の魔法にさえ、解明の余地が出る。その事実に、気分が上向いた。
着ていた服をヒョイと収納へしまう。誰も動くことが出来ない状況を再確認してから、床へと降り立った。床が冷たい。
自分の使う範囲だけ適温へ変え、取り出した服へゆっくりと着替えることにした。
…なぜか、手足が少し不器用な気がする。
ちょっぴり、兄の説教する顔がよぎった。運動もしなさいって言ったでしょうが!
(…むぅ、袖が長い。折るか。…裾もか! もしかして今生は短足なのか? 格好はつかぬが全裸よりはマシだ。致し方あるまい。私はうみんちゅとは違い、文明人なのだ)
たっぷりと時間をかけてボタンを嵌め、靴の紐を結ぶ。
元王子様は、下々が凍えて待っていても気にならない。ようやく身支度を整えて、辺りを見回した。
「この姿なれば言葉も操れる故、直答を許す。そこな愚か者共か、不肖の王家子孫か。誰でも良いぞ、我が問いに答えるがいい。過去に法で禁じられた程に危険である、この召喚陣を完成させた言い訳を聞こうではないか」
しかし首謀者と思しき者をはじめ、青褪めた相手方の口からは、意味のない呻きが零れ落ちるだけ。時折「ごめんなさい」「助けて」等の言葉がどこからか聞こえる。
なんて気弱な騎士達なのか…と思ったら、床に程近いせいで顔の半分近くが霜に覆われた魔法使い達だった。昏倒していた一部の目が覚めたらしい。
やまんちゅは眉を寄せた。倒れていた者達へは余波しか浴びせていないし、他の者達もブーツが凍ったくらいで死にはしないはずだ。凍傷まで面倒をみてはやらないが、まだまだ話せないほどのダメージを負ってはいない。
だと言うのに周囲を見回してみても、まともに会話ができそうなのはほんの数人。そしてそれらが良い装備の者へチラチラ目線を向けるところを見ると、話を纏める権限は持っていなさそうである。
(数百年程度で人間などそうそう変わるまい。彼らの口を閉ざすのは「恐怖」だが…しかし手早く口を割る術もまた「恐怖」であろう。私は経験豊富な方ではないが、うみがペラペラと色んな話を聞かせてくれたからな…どうすれば良いかはわかる)
彼らの足元の氷を目に見えて大きく育て、ゆっくりと少しずつ上へと上らせると、あちこちで悲鳴が上がった。加減を知らない暴君やまんちゅ、敵を氷像に変えてブチ割っても特に良心は痛まない。
が、ここで上階から勢いよく駆け下りてくる多数を感知。
少し様子を見るかと氷の浸食を止める。そちらも会話ができそうになければ、一人二人はあっさり犠牲にする腹積りだ。




