弟を異世界に帰した
『右手の奥だ。…ふむ、魔法陣か。やはり、この向こうは私のいた世界だと思う。よくよく見覚えのある文字だ』
果たして辿り着いた先は神社本殿ではなく、その脇で蜘蛛の巣が張り巡らされた壊れた祠のようなもの。
周囲を背の高い雑草に囲まれているが、辛うじて道と祠の周りは埋もれきってはいない。
そして…祠の少し上の空間にヒビが走り、ヒビの向こう側には光の線で描かれた記号のような文字のようなものが、二重の円の中に収められていた。
「おお。これが…繋がってる、のか? 別の世界に…って、ちょっと待て、なに、メッチャ吸い込まれそうなんだけど!! お前、お前が吸い込まれそう!」
『やはり呼ばれている。…まずいな』
「冷静じゃん! なんでお前呼ばれてんの!?」
慌てた声でギュウギュウと抱き締められ、表情こそ取り繕っているものの、自らも小さなおててで掴まり返すやまんちゅ。
うみんちゅ必死の抵抗も虚しく、靴底がズリズリと音を立て始めた。もはや赤子に縋るような形で引き留めている状態だ。
やまんちゅが近付くにつれ、勢い付くかのように宙のヒビは広がり、明確に風が吹き荒れ、木の葉も何もかもが魔法陣に吸い込まれて…いくかに見せかけて陣の背後へ抜けていく。
魔法陣は、やまんちゅただ一人だけに狙いを定めているのだ。
『私にわかるものかよ。世界を超えて私を召喚しようなどと…』
あっ、と思い付いたような声はどちらのものだったのか。思い当たったのは同時。
勇者召喚。
互いの理解を深めようと声なき話し合いを重ねたあの頃。異世界人であると確信した互いが、持ち寄った知識の欠片。
異世界とは何かと問えば…あくまでもフィクションでなら知っていると伝えたうみんちゅと、伝説があり過去に研究はされていたと答えたやまんちゅ。
『完成したのか…だが、なぜ私を…』
「ヤバイヤバイ、くっつけ、お前の頭もっと引っ込めろ! 伏せ、伏せェ!」
『吸引力が強すぎて抗いきれぬ』
「悠長に考え事してっからだろ…ってぇ!」
バンッ!と空間が弾け、魔法陣は輝きを増した。
咄嗟に弟の頭を守るために後頭部を支えた、うみんちゅの手の甲が裂ける。思わず呻いて地に膝を付いた兄は、それでも力強く抱いた赤子を離さない。
ボタボタと流れた血が、あっという間に服と地面を染め上げていく。それはうみんちゅの手から指先へ、そしてやまんちゅの頬へと流れ落ちた。
『うみ! 血が…! くっ、世界が接すると、こうも魔力が乱れるかッ…』
視界の端で赤い雫に気が付くと同時に、回復魔法を放つ。しかし適正な効果が出ず、一度では完治の手応えが得られなかったやまんちゅは、傷が綺麗に治るまで魔法をかけ続けた。
患部は自分の後頭部より後ろにあるが、見えずとも回復を放てる技量の高さが幸いした。程なくして傷は塞がる。
痛みの治まったうみんちゅは礼を呟きながらも、この現状に確信を持った。
異世界へ続く、召喚の魔法陣。だというのに。
…呼ばれては、いない。むしろ…
「アレだわ、俺これ拒否られてる。俺は行けない。クッソー、なんでだよ、どー考えても俺のが絶対行きたいはずよ異世界! チクショウめ!」
差し出した訳でもない手を振り払われ、また、魔法陣が完全にこちらの世界へ繋がったがために、明確に吸引しているのが腕の中の弟だけだと気が付いてしまった。
思わず悔しさから愚痴は飛び出たものの、そう気付いた瞬間には素早く脳内で結論を出していた。
判断の速さと的確さが、いつだって彼を守ってきたのだ。
日本での暮らしは、やまんちゅには酷だ。一時は食い繋いだが、この先はどうなるかわからない。
特に、正に今魔法が解けミシミシと赤子に戻ろうとする身体。
うっかり時刻の確認を怠っていたが、この間違えようもない痛みは時間切れのサインだ。
成長魔法が切れかかっている…痛みに負けて、いや、それよりも先にサイズ的な問題が生じて、直に弟からは手を離してしまうだろう。
ならば、不安定に放り出すより、送り出した方が良い。
更には大っぴらに上げていた悲鳴のせいか。異変に気付いた誰かが通報したのか、徐々に近付いてくるサイレンと赤いランプが日常の終わりを告げていた。
誰かが辿り着いた時、ここには転がっている赤子を発見することになるだろう。それが一人か二人かは小さな差だ。
公的に保護されたならば、身元不明の赤子は然るべき施設へと預けられることになる。
わかっていたことだ。保護者を失った以上…いつまでも二人共に居られる保証はない。
「…いいさ。どうせいつかお前が帰れる手段も探すつもりだった。俺が行けないのは残念だけど」
『何を諦める、うみ、私はっ……いや、もういい、放して良い! 何、慣れた世界ならば私に勝てる者もない!』
言いかけた言葉を飲み込み、異世界への放流を希望するやまんちゅ。乱れた魔力と兄の表情を見れば、行かないとゴネるほどに兄の苦痛が長引くだけだとわかる。
魔法陣が停止しない限りは吸引力が落ちることはなく、その停止よりも、うみんちゅが元の姿に戻るほうが早いのはどう見ても明らかだった。
「…ははっ。くれぐれも勇者召喚のお約束を忘れるなよ。向こうでなら、お前は魔法を使い放題だし…前世は国で一番の魔法使いだって言ってたよな? 全く、王子で魔法使いで国イチとか何なの。心配はしてないよ、お前は出来る子だからな。…こっちも、慣れたフィールドだよ。だから、お前も心配するなよ」
先の見えた二周目をこなすだけだ、大丈夫。そう兄が呟いた途端に、やまんちゅは歯を食いしばった。
…連れていきたい。口には出来ないが、叶うのならばそうしてやりたいと強く思っていた。
こんなわけのわからぬ異世界でなければ、更には元いた世界だというならば、自分の方が役に立つのだ。
潤沢な魔力に満ちた世界であるのなら、例え赤子の身であろうとも、この兄一人くらいどうにだって養えるはずだった。
それくらい、魔法の扱いには自信があったのに。
だが、召喚陣が拒否していた。
予期せぬ要素が混ざり込めば、ただでさえ不確定な召喚にどんな影響が起こるかわからない。だから、明確に一人だけを通す。そういう術式が紡がれている。
欠けのない魔法陣を素早く流し見れば、条件付けはいつか見たものと変わらず「魔素の吸収率が高い者」となっていた。
…世界を渡る際に、強大な力を得る可能性のある、その芽を持つ者。それを飲み込むことで、この召喚魔法は完成する。
潜在能力を持つ者自身の力を引き出すことで異物の界渡りという大事を成し、引きずり出された力もまた、その身が魔力を行使したという事実を以て定着するのだ。
確実に超えられる。自分ならば。
確信を持ったやまんちゅは片割れの顔をひたと見据える。
前世の記憶があればこそ、兄など要らぬと思っていた。血の繋がる存在を嫌悪すらしていた。
長く王座を争い、魔法に長けた末弟を味方にした方が勝てると思い込み…結果、自分の駒にならぬならばと殺した…やたらと気の合っていた長兄と次兄。どちらも等しく愚物であるが故、どちらが玉座に座ろうと、特に国は発展などしないだろう。何なら衰退すらしたかもしれない。
しかし今ではもう兄達には何の感情もない。
彼にとって、兄とはもう、うみんちゅを指す言葉になってしまったから。
全く頼りなくも、妙に頼れるうみんちゅという生き物。これを見捨てることはしないと、言葉にはせずとも思っていた。
けれども今、成長魔法は解け始め…うみんちゅはもはや痛みで立ち上がれない。
だからこそ、決意を言葉にせねばならない。
『戻るぞ。私は必ず戻る。そしてお前の望みの通り、お前をあちらへ連れて行こう。忘れるな。数年かかるやもしれぬが、必ず』
諦めたわけでは、ないと。
伝えねばならない。
「…うーん、期待し、てる…」
言い切らぬうち、急速に縮む手足。痛みと吐き気を堪え、それでもうみんちゅは笑ってみせた。弟がバランスを崩さぬよう手放したのは、兄としての最後の意地だったのかもしれない。
が、あっという間に着ていた服に埋もれ、その姿は見えなくなってしまう。
支えを失い浮き上がる身体を、軽く魔法でバランスを取るやまんちゅ。まばたきする間も惜しんで心残りを見つめ続けた彼は…魔法陣に吸い込まれるその寸前まで、己が手を兄へ差し出したままであることに気が付かなかった。
『何の因果で双子に生まれたのだろう』
『何という不様か』
『見捨てることは、ないと思っていたのに…』
…そして、暗転。
双子は互いを見失った。




