4.封印の秘宝(1)
ミラは無理やり体を起こし、鈍痛のする頭に手を添える。
どうやら魔術によって強制的に夢を見せられていたらしい。ミラは数秒の思考ののち、そんな結論に至った。次第に頭がクリアになっていく。
信じられないことがいくつもある。まず、闇魔術の使い手がこれほど身近にいたという事実。闇の魔力をもつ人間は、大陸中でもそうそういない。
またよりにもよって剣奴ガラオールが、その珍しい魔力の保持者だとは驚きである。
いや……むしろ当然と言っていいのかもしれない。
一般的な学説によれば闇の魔力は、遺伝ではなく、「死」を身近に感じるような、非常に過酷な環境に生きてきた人間に備わるという。
もし、夢で見たあの風景、幼い剣奴の記憶がガラオールのものだとするなら――
闇の神ハーデスが力を与えるのも、もっともだ。
ガラオールの生涯は、死に満ち溢れていた。
「つ……」
「『辛かったのね』か? いいや、そんな同情を求めんがために、お前を魔術にかけたつもりはない」
きっぱりと、ガラオールは否定する。
「俺は誰にも同情してもらいたくない。特にお前にはな。プロテジェール」
プロテジェール。その呼びかけに込められた冷たい憎悪。ミラはいまなら理解できた。
王国には大陸最大級の闘技場がある。幼いころ、そこでガラオールは酷い目に遭わされていた。
何も知らない自分は、無感動にそれを傍観していたのだった。
「俺はお前たち王侯に償いをさせようとか、そういう感情をもっているわけでもない。この世から貴族だとか奴隷だとか、理不尽な身分差がなくなればいいなどという理想論を語るつもりもない」
「……」
「支配だ。勝利だ。俺の根底にあるのは、お前たちと同じものだ。勝つべくして勝つ。奪うべくして奪う。俺は、俺の人生からあらゆるものを奪った連中を、打ち負かし、支配し、一切合切を略奪してやる。それだけが望みだ」
そのために学園に入学したのだ。学園にはそのための道具がある。
ガラオールはそう語り、部屋を去っていった。
去り際に一言、
「アルミス子爵との決闘は、当然俺が勝った。奴も俺が闇魔術を操るとは予想していなかったらしいな。……というわけだから、お前は依然として俺の奴隷だ」
と言い残していった。
ひとりになったミラは、ベッドの天蓋を眺めながら思う。
――本当にガラオールが、ただただ王侯たちを決闘で打ち負かし、貴族社会をめちゃくちゃにして一財産作ろうとしか考えていないのなら。
どうして自分たちに、あんな夢を見せたのだろう。
封印しておきたいほど辛い過去を披歴する必要は、はたしてあるのだろうか?
「……たぶん、知っておいて欲しかったのね」
さもそれが当たり前であるかのように、先祖から強大な力を受け継ぎ、支配者として君臨するであろう次代の王たちに。
死と陰惨にまみれた生のあることを。
血と残虐に汚れた生のあることを。
そしてガラオールは宣言したのだ。
お前たち貴族を、同じ目に遭わせてやる、地獄に叩き落してやるぞ、と。
「――悲しい人」
ミラは素直にそう思った。
入学式、衆人環視のなかで恥をかかされ、奴隷にまで貶められて――なお。
ミラはガラオールを憐れんだ。
きっと、似たような境遇に生きてきたアマリリスのことをも想った。
ミラは闇魔術の悪夢で、ガラオールの過去を追体験している。だからこそ、復讐をせずにはいられない激情もよくわかる。
自分には止められないし、止める資格もない。止める理由もよくわからない。
ただ、奴隷が貴族を堕とし、貴族が奴隷を堕とし――そんな風に進んでいくであろう歴史、人間存在そのものが、たまらないほど悲しいのだった。
*
「と、どこまでもチョロい奴隷ミラちゃんでした。めでたしめでたし」
「それでいい。勝手に感動させておけ。これからの仕事がやりやすくなる。それに俺たちの真の目的を、まだ察知されるわけにはいかないしな」
「学園の最深部に行くには、プロテジェール家クラスの駒が必要。だね?」
「ああ。絶対に気付かれないようにしながら、あいつを調教していくとしよう」
「調教……! なんとエロスなワード。下半身に、こう、ビビっとクるものがあるね」
「お前は……もう少し貴族を見習って上品にしゃべれないのか?」
「貴族のマネをしろっての? 冗談キツイよ」
「……まあいい。話が逸れた。とにかくアマリリス、決闘で勝ち取ったアルミス子爵の土地は、ぜんぶ現金に換えておけ。借りた金の返済に使う」
「りょーかい!」
*
数日後。
決闘に敗れたスフェルチェ公の子息アルミス子爵の末路は、哀れなものだった。
貴族は決して決闘前の取り決めを破らないのだ。
アルミス子爵は、ガラオールとの戦いの際、「財産と領地」を賭けた。
と、いうことは。
「奴はすっからかんになって、一文無しで故郷へ逃げていったってわけだ」
シャンパン酒のグラスを傾けながら、ガラオールは上機嫌に語る。
「おー! さすがはガルだよ! 貴族から奪った金で飲む酒はうまいね!」
アマリリスもぐいぐいと驚異的なペースで瓶を空にしていく。
「まったくだな。……おい、グラスが空になったぞ。注げ」
「……はい」
給仕をさせられているのは、元プロテジェール王女にして現ガラオール所有の奴隷、ミラーフィールことミラである。
ただしいまだけは、奴隷というより、メイドといったほうが正しいかもしれない。
どこからもってきたのやら、アマリリスが調達したメイド服を着せられたミラは、それはそれで非の打ちどころのない美しさを発揮していた。
腰まで伸びる黄金の髪を揺らしながら、料理を運び、皿を下げ、酒を注ぐ。
そこはかとなく口惜しさに歪む端正な顔もまた、ミラの魅力に一振りのスパイスのような効果を添えていた。
「で、どうして俺の奴隷は、こんな妙な格好をしているんだ」
いまさらになって、ガラオールはアマリリスに問う。
「だってー。一度メイドにご奉仕されてみたかったんだもん。長年の夢だもん」
「俺の奴隷で遊ぶな」
「奴隷なんて遊んでなんぼでしょ。……ほらメイド、スカートをたくしあげてパンツを見せなさい。見せなさいったら見せなさい」
「……うぅ……!」
ミラは酒瓶を手にしたまま、真っ赤になってガラオールを見つめる。アマリリスの命令に従うべきか否か、目で問いかけている。
「面白い。よし奴隷、やってみろ」
「――!」
ミラはびくりと身体を震わせて、瓶を床に落とした。東洋の高級な絨毯が、酒をどんどん吸い取っていく。
「あ……あ……!」
震えながら、手をスカートの裾に伸ばしていくミラ。何度もさんざんな目に遭わされてきたために、もはやガラオールとアマリリスの二人に抵抗する、という発想は頭から完全に消え去っているのだ。
「クックック……冗談だ。奴隷のパンツなど見たくもない」
ガラオールのその言葉で、やっとミラは息を吐いて脱力した。それから慌てて床の掃除に取り掛かる。もうすっかり奴隷……というかメイドっぷりが板についている。
「えー。つまんない。ガルは見たくなくても、アタシは見たいのに!」
「知るか。自分の下着でも見てろ」
「……わかった。じゃあ出血大サービス。きょうは特別にアタシが脱ぐから、ガル、ちゃんと見ててね」
「どうしてそうなる」
アマリリスは立ち上がり、なまめかしく腰をくねらせながら自分の服に手をかけた。
服といっても、腰と胸を隠しているだけの、露出度の高い革の軽鎧だ。盗賊にして暗殺者であるアマリリスは、「風の流れ」を読むために皮膚をなるべく露出することを好む。
「お前、相当酔ってるだろ」
これからはじまろうとしている痴態を見かねて、ガラオールはアマリリスの銀髪をたたえた頭頂部をチョップする。
アマリリスは床にぐったりと崩れた。
「……ぐー」
そのまま寝息を立てはじめた。