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18話上洛と・・・

スマホで書くのも限界かな~

天文22年4月

中院家に行ってから三日がたち

そろそろ美濃に帰ろうかと言う時堺の商人

ととやの田中与兵衛から内密な話しが有るから来て欲しいと連絡を受けた。

一時間もしない間に中院通為から至急来る様にと

連絡を受け、戻ったら直ぐに堺に向かうからと

清孝に伝え準備を頼んだ。

清孝は、準備を整えると三好長慶の邸に挨拶に向かった。


清秀が中院家に行くと九条稙通が来ており

稙通から帝が官位を渡す事を決めたと言って来た

通常なら各地に官使を派遣するのだが、

今回は稙通が美濃に行き纏めて渡すので

来月半ばに美濃に大名を集めておいて欲しいとの事であった。

後襲われないと思うが誰か護衛を宜しくと言う事であった。


中院家を出て隆佐の邸に戻ると清孝以外に、長慶と久秀が待っていた。

清秀は清孝に顔向けると、海の荒れが治まったから堺迄一緒に行く事になったとの事。

清秀は別にいいかと思い同行した。


後少しで堺に着く処で、顔を隠した侍が8人

天誅と叫びながら斬りかかって来た。

清秀と清孝が、長慶と久秀の前に出て斬り合いになった。

清秀達が5人斬った時に長慶が後から火縄で撃ちかけられた。

回りを警戒していた久秀が、気付いて長慶の前に立ち長慶を庇って倒れた。

清秀達は、火縄を撃った男以外を切り捨て

久秀の元に向かうと久秀は腹から血を流していた

清孝は、久秀の腹を圧迫して。

清秀に人を呼びに行かせた。

清秀が台車を引きながら戻って来たので、

久秀を乗せ診療所に向かいながら脈拍や顔色出血量等確認していく。

診療所に着くが、医者は無理だと言い出した。

清孝が自分がやるからといって、

短刀を火に炙った物と沸いたらお湯と針と糸等の用意を清秀に頼み、

長慶を少し離れた処に座らせた。

持ち歩いた、アルコールの高い酒を腹に吹き掛け

野草で作っていた麻酔薬を嗅がせていたら

準備が終わったので直ぐに久秀の撃たれた所を

小さくきり摘出手術を始めた。

幸い腸を痛めて無かったので、30分程で手術も終わり。

後は、様子見となった。

長慶は、久秀の息子久通と家臣を呼び

久秀の警備にあたらせた。

清秀は、落ち着いたのでととやに向かうと

田中与兵衛から幕府側が長慶を狙っている事を

伝える為に呼んだが遅かったと謝られた。


清秀は長慶に、今回の件は幕府が長慶を狙った事を伝えると。

長慶は激怒して将軍を討つと言い出したので、

今は未だ不味いもう少し待つ様に何とか宥めた。


久秀は、翌日には意識が戻り問題無さそうなので

長慶も完全に落ち着き安心したので四国に戻り

清孝は、化膿止めの軟膏と傷み止めの薬を久通に

渡して清秀と帰って行った。



美濃に戻り信長に、堺の商談・京での活動・中院家での事・久秀の事を報告した。

信長は、北海道組と筒井以外の連合大名に書状を出して事情説明と集合場所と日時を知らせた。



5月上旬

清秀は、九条稙通を迎えに京に向かった。

京に着くと稙通は、待っており直ぐに戻る羽目となった。


美濃に入ると民の様子がガラッと変わり稙通は、

色々と清秀に質問を投げ掛けるのである。

中でも農耕に牛や馬を使っていることに驚いていた。


予定日より早く着いた為、稙通は信長と会談した後稲葉山城下に繰り出し感心しながらも楽しんでいた。


その間に会議を開き今後の事を相談した。


上洛する際、警備対を残して全員で行く


コースは、

佐竹・伊達・上杉が越前経由若狭南下で

(対朝倉・若狭武田)

織田・武田・最上が南近江経由で

(対六角)

北畠・松平・北条が紀伊経由で

(対畠山)←存在を忘れてました。

岩田・今川が北近江経由で

(対浅井)

行く事が決まった。


金もできるだけ持って来て欲しい事も告げた。

織田家は、5万貫持って行く事になった。


京の宇治集合日程は、後日連絡来てから。

連合から通過する大名に対して連絡して返事の

上で戦になる。


具教には、伊勢神宮の式年遷宮もやるつもりだから準備を頼んだ。


後寺社で紀伊の根来寺等・興福寺・比叡山をどうするか?


根来寺は、津田家と僧に分ける

興福寺も同じ

地域の学舎としてやってもらう

一向宗と同じ


比叡山は覚恕法親王を切り離す。

その後武力を持たない寺社に抗議してもらう

坂本を取り包囲する

朝家と覚恕法親王に説得してもらい

説得に応じた者を助ける

応じ無い者は、破門してもらい犯罪者として処罰する。


等々決まり。


稙通が戻って来たので、官位叙任が始まった。


具教から始まり、信長・義元・氏康・義昭・広忠

と続き正清・清秀が呼ばれた際二人とも驚き返事が遅れてしまった。

その後は、滞りなく終わり。宴会になった。

清秀は中院家からの推薦で。正清はオマケ。

と言うのを聞いて項垂れてしまった。


稙通から再来月の7月頃に上洛してもらうと

言われ信長は、上洛の際妨害されたら、

戦っても大丈夫か確認すると

帝の命を邪魔すれば、朝敵になるので大丈夫

であるとした。

公方が妨害した場合は、捕らえて京へ護送する。


と決まり清秀が稙通を京迄送ったり届け。


稙通は、すぐさま帝に謁見し美濃を観察した結果を報告した。

山城~近江の間は、余り代わり映えしないが

美濃に入ってからは凄まじく違った事

牛や馬を使う農耕の手法や効率化

効率化に伴っての学校教育

連合の各村に大きな風呂が有り

交替で管理している事

その為清潔で幼児の死亡率が減っている事等々

稙通が見聞きした事を興奮しながら語った。


帝は、連合の異質感に少し恐怖して

ただ此が日の本全てに行き渡れば

国は豊に成戦乱の世が終るとも確信し

帝は、連合を最大限援助する事を決めた。


帝は朝義で、今の幕府は宛にならん今後は、

織田の連合を支援する。と告げると

関白である二条晴良や九条稙通らが賛成し

内大臣である近衛前久は、反対したが

帝に今の幕府に何が出来る?

連合と戦って勝てるのか?と言われ反論出来なかった。

これにより帝と織田連合は、数百年と続く関係に

なって行くのである。


この帝が言った事を、前久から聞いた義藤は、

だったら勝ってやろうと相手を理解せずに考えていた。


この頃北海道の開発も起動に乗り始めアイヌ等含めて二位従属国から一位従属国に昇格している

択捉島を南北に割って・歯舞諸島・国後島・色丹島・ウルップ島の各島を6大名に任して、

樺太をアイヌを含む残りの大名で分ける事にした。

晴宗は、北海道に送る資材や北海道から来る

品の中継地としてかなりの利益が出ており。

労力がかかり費用のかかる(現在は、鉱物等の販売でかなりの利益が出ているので織田の支援は、止まっている。)開発よりも楽だとし職務怠慢として後に二位従属国に落とされるはめとなる。


そして天文22年7月帝より上洛の勅が下り

信長は連合が通る各勢力に通行許可を求める

書状を出した


朝倉家

朝倉義景は、加賀から一向宗が来なくなった事で

国力が増しており、将軍から指示もあって。

拒否した、此を聞いた朝倉宗滴は、義景は諫めたが聞き入れられず。幽閉されてしまう。


一門の朝倉景鏡により助けられ家族や家臣を連れ

て加賀に逃げ込んでいる。


浅井家

浅井は、久政を筆頭に朝倉と一緒に戦うとして

拒否した。

息子の猿夜叉丸(8歳)は、物理的に勝てないのだがどうやって生き延びるか悩んでいた。


若狭武田家

武田義統は、義兄(義藤)からの指示で朝倉家の

支援に向かう事になった。


六角家

幕府の命令で嫌々拒否した。


畠山家

幕府から三好へ鞍替えしたばかりの為通行を許可した。


紀伊の根来寺は

津田家と寺に分ける案を了承して織田家に入った。雑賀衆が本願寺に付いており・本願寺が連合に協力している為である。

自分達の鉄砲より織田の鉄砲の方が強力な為でもあった。


興福寺

帝よりの勅により武力が入ることの出来ないエリアに成

回りの村は、筒井が管理する事になった。


比叡山

覚怒法親王は、父であり帝である後奈良天皇に呼ばれ武力の解体を言われた。

最近の一向宗を見て安全に信者が増加している

それに比べ天台宗は、信者が減少している

どちらが天台宗の為になるか明白であるとして

了承する。比叡山に戻って武力解体を宣言し

還俗する者は、仕官先の紹介。

還俗しないが、真面目に取り組む者は優遇する

還俗せず真面目に取り組まない者は、破門する

とした。六割の僧は、還俗と真面目な者であり。

残り四割が反乱を起こしたが、連合の忍び軍団

五百(伊賀・軒猿・三つの者等)に取り抑られ。

破門後連合に引き渡された。



越前では佐竹軍を大将に上杉・伊達軍が追従

兵力佐竹が3万上杉・伊達が各2万計7万である

対して朝倉軍4万と若狭武田軍1万計5万である

兵力は1.5倍鉄砲の数5万である。

負ける事はないと思うが朝倉宗滴がいるとして

警戒は解かずにいた。(宗滴・景鏡が逃げた事を知らない)


宗滴の策を警戒していたが、

始まって見れば地形を利用した力押し。

義昭は、横槍を警戒しながら鉄砲を撃ち続けた。

一時間程で若狭武田軍は、瓦解して若狭に逃げた

義昭は、最後まで冷静に指揮を取り朝倉軍を撤退させた。

主だった兜首が無かった事から若手を前に出し

自分達は後ろで隠れていたみたいであった。


城や砦に逃げた者を追いかけ徐々に一乗谷に追いたてて行った。

一乗谷に追い詰めた後朝倉家に降伏勧告をおこなうと間もなく開城した。

翌日義昭は、義景に軍の再編を命じ

更に二日後傷兵以外の全兵力を連れて若狭に向かった。

この時義景は、宗滴の話を聞き入れ通行許可を出しておけば良かった。と後悔していた。

義景や家臣を連れて越前には定満が残る事になった。


若狭に向かいながら近くの城や砦に居る者を吸収若狭に着いて陣を組もうとしたが、義統から降伏の使者が来た為義統の居城後瀬山城に入場した。

翌日義統や若狭武田家臣兵を連れて朽木谷に向かった。


北近江の浅井家碁5千に対して

岩田・今川軍5万と10倍の兵力差の為勝ち目が

無いと小谷城に籠城して六角・朝倉家の援軍を待つ事にした。


清秀が、降伏の使者として小谷城に訪れるが、

久政は、未だ朝倉・六角があるとして拒否した

清秀が「朝倉も六角も降伏したぞ、未だ知らせが来てないのか?」と聞いた為顔を青ざめさせた、

その時猿夜叉丸が入って来て久政に止められるも

無視して清秀に「次期当主として降伏すると

久政は、激怒して猿夜叉丸を殴ろうとしたが、

清秀に腕を捕まれ止められた。

猿夜叉丸は、久政に「民や兵が悲しみます。」と言ったが

久政は「民より武士の意地が大事、民等どうでもいい」と言った事により

猿夜叉丸は「私は、此より元服して浅井の家督を継ぐ皆良いな」と回りの家臣に言うと

家臣は平服して承知した。

久政が喚き散らしたが、清秀に殴られ気絶して

猿夜叉丸改め長政の命令で捕らえられた。

久政は、敗戦の将として清秀に連れていかれ

清秀は出ていく際、長政に「早いが初陣だ、全将兵を連れて朽木谷に向かえと命じた。

長政は了承して準備が整い次第岩田・今川軍に

合流して朽木谷に向かった。


紀伊方面軍は、何事もなく伏見に着いた。

北畠・松平・北条軍計8万である


南近江の六角は、甲賀を使った後方撹乱をして追い返そうとしたが、次から次えと運ばれてくる兵糧や物質に恐怖して降った。


六角軍1万と信長・武田・最上の計10万に成

連合+六角軍で伏見を目指した。


朽木谷の義藤は、恐怖していた。

朝倉・浅井・六角・若狭武田が協力すれば勝てる はずが、各個撃破され降ってしまった。

回りに勢力もなく。

比叡山・興福寺・にも書状を出したが返事が来ない

こな朽木谷を捨てて逃げるにも行き場がない

北から佐竹が東から岩田が来ている。

幕臣は少なくも兵も少ない。

討死覚悟の特攻を決意した。

ある意味永録の変が起ころうとしていた。


清秀は、特攻してくる幕臣や義藤に対して網を投げ、捕らえてしまった。

捕らえた義藤には、猿轡を噛ませ後ろ手に縛り

他の幕臣にも同じ処置をして。

長政に「すまん。呆気なさすぎた。初陣は、西国に行くときだ」と伝えたが長政の顔は、引きつっていた。(公方様の扱いが悪すぎる。下手したら自分もこうなっていたのか・・・・)

越前回りの佐竹達と合流後伏見に向かった。


伏見には30万の大軍勢が揃ったのである


伏見から下京に向け

具教を先頭に

北畠軍

信長・信勝

織田軍

清秀・正清

岩田軍

義元・氏真

今川軍

と並んで行き間に敗戦の将と兵が続きまた

連合の大名と将兵が続いた。

最後に三好軍が続いていた。

(信長は気付いていない)

下京から上京に行き御所の前迄進み全将兵が御所に一礼してから京を抜けていった。


京雀達は、

「えらい凄いね京より人多いじゃないか?」とか

「あれが連合の総大将の織田様か若いのに凄いな~」とか

「あの人が京を守ってくれはる北畠具教様らしいで~」とか好意的であった。


公卿達は

「織田が牙を向いたのでおじゃるか?」とか

「公方さんようこんなんと戦いはったな~」とか

「織田に逆らったら殺されるんちゃうか」とか

「あれ公方さんやん捕まってもうてんな~」とか

一応の威圧はできた。


京を抜けて宇治に戻ると

信長も兵が増えている事に気付き

三好の旗印を見付けた。


長慶の元に向かい思わず

「何であんたらが居るんだ!」と叫んでしまった

長慶は「イヤー清秀殿から「信長殿に黙って参加したらあいつ驚くよ!」って言われたので驚かしに来た。清秀殿曰くどっきり大・成・功と言うやつだ」と言われ。

信長は、清秀に対して切れかけていた。

長慶の横で久秀は、かなり恐縮していが

そこに清秀が表れ「あらっもう話しちゃた?」

と言った為、信長が切れて清秀に殴りかかった

長慶と久秀は、殴りあいを続ける二人を見て

(君主を殴る家臣とか有り得ない。)と思いながら

(信長が暴走する事はないと)考えている



その後主だった者と工兵3万を残して解散させ

信長は本能寺を拠点としてその日は休んだ




にしても北海道組除いても後ろに敵がいない為

出来る全兵力集結、ある意味帝に対しての威圧

上昇した国力だからできた兵力凄いね(笑)




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