14話関東管領北条氏康誕生と景虎の死
長尾景虎の処遇が決まりました。
結果
1:コロコロ 5票
2:晴信助けたし助けとこうぜ 3票
3:城を枕に自刃 0票
4:特攻玉砕 3票
5:他国に逃げる 2票
1のコロコロに決定しました。
2番と5番を選んで頂いた方申し訳無い。
4番を選んで頂いた方格好いい最後ではなくて申し訳無い。
1番を選ばれた方から無残に殺して要望がありました。
皆さん結構長尾景虎嫌いなんですかね~?
信玄を降してから一月がたった
長尾景虎は、信濃から撤退せずに佐久間信盛は北信濃で意味もなく対陣させられていた。
信長は、兵の事を考え光秀に信盛との交代を命じた。
光秀には2万の兵を任した。
そして飛騨に居る勝家に森可成を連れて兵2万で越中取ってこいと命じた。越中は長尾景虎の影響を受けた国人や豪族が勢力を伸ばしていたため。神保氏が不利になっていた為援軍依頼が来たのだ。
加賀の一向宗寺に対しては証恵を通して証如経由で書状を出してもらった。
その為一向宗は動けなかった。証如が通したと言う事は、本山からの命令と同じだからだ。
一向宗さえ動かなければこの辺りは、動きやすいエリアでも有った。(信長達にとっては)
勝家は、越中に攻める準備の合間に越中国人や豪族に従うなら本領安堵、従わなければ攻めると書状を出した。
半数以上の拒否であった為従う処の救援として準備が修了次第直ぐに動ける様に順路等の確認も余念なく終わらした。
越中に攻め込んだ勝家だったが余りにも直ぐに降伏するので何故断ったのか解らなかった。
捕まえた豪族に聞くと景虎が助けに来る筈だったと言う。
景虎は、未だに信濃に居るから来ないぞと言うと。ガックリ肩を落として信用してたのにと嘆いていた。
景虎は、後で取り返してやるから問題無いと言った考えで義を掲げていた。族滅されたら取り返しても意味が無いと思うのであるが・・・。
そして半数以上の豪族達が領地を失い。逃げ出した者は、越後では無く何故か越前に向かった。勝家達にしたら意味が解らんであった。
そんなこんなで越中てに入れたが、景虎は交代した光秀と睨み合っていた。
光秀は(越中の豪族達助けてやれば良かったのにとか自分の次は誰だろ?とか)思っていた。
勝家は、越後との境に砦を作り景虎が此方に来ても良いようにしていた。
勝家は、信長に越中制圧が済んだ報告と能登はどうするのか?と送った。
信長は、勝家に越中→飛騨→美濃のルートで道を作り。飛騨の経済の向上と日本海側での貿易の拠点の整備を命じた。
飛騨には真田を入れて勝家の補佐を命じた。
能登には、畠山義続が居るので臣従してもしなくても力が無いのでどちらでも良い程度の考えていたが、義続の方から臣従の書状が届いたので、勝家に連絡して森可成を派遣する様に命じた。
勝家は、信長からの書状を見て臣従するのなら共は5百位で良いだろと思い可成を派遣した。
一方畠山義続の方は、重臣の遊佐続光と温井総貞の権力争いが絶え間なかった。そんな中越中が織田に落ちた。今や織田は4国同盟の盟主で尾張・美濃・飛騨・信濃・甲斐・越中の6国を支配する大大名だ必ず負ける同盟国迄動くと更に三河・遠江・駿河・伊豆・相模・武蔵の6国で12国相手になんて絶対無理ならば攻められる前に降伏した方がましと考えていた。その為重臣に相談せずに書状を出した。
遊佐続光は、勝手に降伏するなと文句を言い温井総貞は現状降伏は仕方無いが条件を着けるべきだったと言われた。しかし降伏しているので関係ないし当主として決めた事だ。と言って義続は、出ていった。
面白くない遊佐続光は、親長尾派に義続が勝手に降伏したので義続を捕らえて織田を攻撃しようと持ちかけた。
親長尾派の豪族達も賛成して準備を始めた。
続光達は、織田が来る前に動かなくてはいけないので行き当たりばったりの計画を立てた。
義続の捕縛に動いた続光達だったが余りにも暴れるので静にさせる為に殴ったが義続の倒れた場所が悪く勢いよく柱の角に頭をぶつけ死んでしまった。これを見た温井総貞は自分も殺されるかもしれないと思い越中に逃げ出した。
その頃何も知らない可成は、越中との境にいた豪族を見て迎えかと思い声をかけようとしたところ、粋なり切りつけられたので思わず殺してしまった。
訳も解らない状態で能登に入るのは、危険と可成は判断し越中へと退却していった。
その後を追うように温井総貞は、2日後に親族を連れて逃げたのである。
可成が越中に戻り勝家に報告したが、何かが起こってる位しか解らず。万が一を考え能登国境辺りに兵を配置することにした。
温井総貞が越中の城に着いた時、調度可成が兵5千を連れて国境目指して進軍を開始するところであった。
総貞は、近くの兵に声を掛けて一番偉い人に取り次いで貰いたいと頼んだ。
兵に不信がられたので、自分は能登から逃げて来た者だ、事情を説明したいと再度頼むと兵は了承して可成に報告しに行った。
5分程して可成が来ると、「自分は、畠山義続様が家臣温井総貞です。親長尾派の連中に義続様が殺され家族を連れ逃げて来た。」と説明した。
反長尾派の説得に自分も連れて行って欲しいと可成に願い出た。
可成は、勝家に報告した。報告を聞き勝家は、温井総貞に護衛として利家と兵10人を付けて能登に向かう様に伝えた。
勝家は、信長に現状を報告するために手紙を出したのであった。
可成は、能登国境に陣をしき。総貞達は、能登に夜を待って潜入した。
総貞の知り合いの邸に状況を聞きに行くと、「義続は臥せっている。」と言われた。
総貞は、義続が織田に降伏した為、腹を立てた続光達によって殺されている事を伝えた。
総貞は、反長尾派全員に声を掛けて明日の朝城で親長尾派を問い詰める事にした。下手すると能登を戦火に巻き込むと考えた為である。
翌朝利家達護衛を連れて総貞達は城に行った。
総貞は、織田の使者が来たので義続様に面会を求めた。
続光は、義続様は臥せっているので面会を拒否したのである。総貞は、自分だけで行くと言っても続光は拒否し何故同じ立場のお前に拒否する権利があると突っぱねて奥に進もうとした時、親長尾派の一人が総貞を斬ろうとしたので利家達に取り押さえられた。
総貞は、続光にこれはどういう事だと問い詰めたが答えず総貞を睨み付けていた。
らちが明かないと総貞が再度奥に進もうとすると、続光は刀を抜き兵を呼んだ。
兵は、相手が総貞と解り今の状態がどうなっているのか理解出来ずに困惑していた。
続光が、総貞は謀反したのだと言い出し。
総貞は、殿の元に行くのが謀反かと言い返した。
ますます混乱した兵だったが、利家が「であるなら、そこの兵と後3人程連れて、総貞殿を監視すれば謀反人だったとしても捕まえられるだろ」
と言った為兵も賛成した。
利家が「私は、織田の使者である。この通り義続様の花押の入った書状を持っている」と近くの兵に書状を見せて確認させた上で、自分は中立のスタンスで兵長らしき人物に声を掛けた。
「城の将兵全てを集めて欲しい。結果次第では、謀反人を取り押さえなければならない。今はどちらが謀反人か解らないのでな。」と頼んだ。
全将兵が集まった時点で、利家が話し始めた。
「私は織田家家臣の前田利家と申す。先日我殿の元に義次様よりの書状が届いたので。義続様との
話し合いに来た。先日別の者が、話し合いに来た際国境付近で、斬り付けられたので事情を伺いに参った。城下迄来た際総貞殿と出会い説明すると一緒に義続様に話を聞こうと城まで来たら、其処に居る続光殿が、義続様は臥せっているので面会できないと言われたのだ。続光殿相違無いな」
続光は誤魔化そうにも目撃者が多かったのて諦めて頷くだけだった。
「その際だったら重臣である総貞殿が、一人で会いに行くと言っても続光殿が拒否した。総貞殿が同じ地位の者に拒否される謂れは無いと無視した。総貞殿も相違無いな」
総貞は相違無いと断言した。
「総貞殿が無視して進もうとすると、そこの縛られてる者が斬り付けて来たので、取り押さえると続光殿が兵を呼んだ。そして兵に総貞殿が謀反人だから捕らえろといった。そなた相違無いな」と兵長らしき人物に聞いた。兵長らしき人物も相違無いと言った。
「そしてこの後総貞殿が兵四人を連れて義続様の元に行く事が決まった状況だ。勿論兵は総貞殿の監視で有り義続様に危害が及ばない様にするためである」と利家の説明を聞き将兵は、親長尾派と言っても続光達の様子が、おかしすぎるのも気付いていた。
総貞が兵四人と義続の部屋に行くと声を掛けても返事が無いので総貞は仕方なくを装い義続の部屋に入った。義続が寝かされており、自分が近づいて何か合っては示しが就かないからと、兵に声を掛けさせた。兵が声を掛けるもピクリともしない義続を変だと気付き、息を確認するも止まって居たので死んで居る事が解った。
総貞は、だから続光殿は頑なに部屋に入れさせなかったのかと呟きながら義続の頭をさわり少し凹んでいるのを見つけ兵に確認させた。
総貞は兵に戻ろうと声を掛けると義続の部屋を後にした。
総貞が将兵の居る広間に戻ると、兵に先程の事を説明させた。
総貞が続光に「何故義続様は死んだのか、何故隠したのか」と問い詰めた。
続光は観念して全てを将兵の前で話した。
続光は捕らえられ。別の城に居る嫡男義綱を呼び寄せた。
呼ばれた義綱は、事情を聞き父の死を嘆きながら畠山家の相続を了承して。織田に降る事を了承した。
義綱は、早急に義続の葬儀を行いその間に利家は越中に戻って行った。
葬儀が終わると義綱は総貞を連れて越中に向かい改めて織田に降る事を宣言した。
勝家は、信長の指示通反織田の豪族達を取り締まる事を義綱に伝え可成を動かした。
親長尾派の連中は既に捕まって居るのでその所領を奪い再編し義綱と総貞は所領安堵され嫡男を美濃に送った。
信長は可成に義綱の補佐を命じ織田の資金で港と防衛拠点を作る様に指示した。
勝家には、美濃からの道を能登迄伸ばす様に指示した。
あれから更に一月がたち雪が降りそうになってようやく長尾景虎は越後に帰って行った。
佐久間・明智と対陣している間も名将宇佐美定満は、何度も撤退を進言したが景虎は拒否した。
定満は、対陣するにも兵糧は使う無駄なにらみ合いに長い時間を掛けたくないと思ったし刈り入れ時期にも兵を還さないとはこのままでは民が居なくなると考えていた。
越後では、米の刈り入れ時期に信濃に人手を捕られた為米の収穫量が減ってしまい。越後の民は苦しい冬を迎えなければならなくなった。
その上年貢は例年通りの為、逃げる民や不満を募らせて居る民が急増していた。
定満が景虎に年貢を下げる様に諌めたが、景虎は年貢がなければ戦が出来ないでは無いかと聞き入れなかった。(ある意味見事な経済感である。)
定満は、お前のせいだろと思ったが言わずに我慢していた。
それどころか、雪がなくなり次第越中に攻めこむと言い出した。
越中からの救援要請があったしとの事だ。
定満は、あきれ果てたが、「もう既に越中は、織田に降りました。」と告げると景虎は、根性の無いと言い出すしまつであった。
定満は、自分の今までの蓄えから粟・稗等の食料を買取り自分の所領に配って回らせた。
同じ様な事をする将も何人かいた。(長尾政景・直江景綱・樋口兼豊他数名である)
民は大変喜んでいた。
定満は悩みながら年を越した。
開けて天文20年(1551年)
濃姫に第一子が誕生した。嫡男の誕生は織田家だけではなく、同盟国も喜んだ。
信長は、子供に自分の幼名を名乗らせる事にした。最初は、史実道理にしようとしたが、清秀や茜に駄目だしされ凹みながら幼名出しいっかで名付けた。
そんな中氏康からの救援要請があった。
上野の上杉憲政が武蔵に攻めて来た為である。
信長は直ぐに今川に動くように依頼を出し。
信勝にも上野を攻める様に命じた。
忍びに上杉憲政と嫡男龍若丸を捕らえる様に命じた。
義元は直ぐに兵を動かし氏康と共に逆撃して憲政を追い詰めて行った。
一方信勝は、甲斐方面から進軍して上杉方の豪族を潰しながら進軍していった。
途中で長野業正と戦闘になったが、信勝に付いていた長秀との一騎討ちで捕らえられた。
迫る今川・北条の連合軍後から来る織田軍に恐れをなし憲政は、息子を連れて城から逃げ出した。
そこを、忍びに捕らわれて義元と氏康の元に連れていかれた。
信勝が上野北部を平定してから義元達と合流すると、そこでは憲政が命乞いしていた。
信勝が義元に話しかけると。Oh~no~ のポーズを取った。
取り合えず信勝は、甲斐に戻るとした。
義元と氏康は、信長に書状を出して憲政と龍若丸と業正をどうするか?上野をどうするか?相談である。
信長は、上野を氏康に伊豆を後北条発祥ではあるが、氏康の目指す領地では無いので義元に譲れないかと書いた。憲政等は、美濃に送ってくれとも書いた。
信長からの書状を読んだ二人は、しばらく考えて氏康は、了承する事にした。
義兄である義元なら大丈夫だろうと思ったのだ。
その後憲政達は美濃に送られ氏康は、義元に対長尾・佐竹等に体制が整う迄兵を借りて内政に励んで行った。
信長は、憲政に関東管領を氏康に譲か息子共々死ぬかを選ばせ憲政は、譲る事を決めた。
憲政は美濃に邸をもらい龍若丸と共にたまに文官を手伝い賃金を貰い静に暮らしたと言う。
この事を知った景虎は、激怒(関東に攻められる大義名分を逃したから)して上野を攻めようとしたが宇佐美達重臣に止められたのである。
攻めるにしろ兵糧が無いのである。
景虎は、攻めた先で略奪すれば言いと名案を思い付いたかの様に言い出し重臣の言う事を聞こうともしなかったのである。
定満は、景虎を見限り景虎の姉の嫁ぎ先の長尾政景に託そうと決めて政景や景綱等の重臣を呼び、
この間では長尾は、滅びると伝え密かに織田に連絡するので有った。
これを見た信長は、氏康に長尾が上野を狙って居る、専守防衛で釘付けにしてくれ。と書状を出し。
武田義信に旧武田軍を付けて越中から進軍する様に命じた。
信濃からは、光秀に全将兵連れていけとに命じた。
景虎が上野に攻め込もうとすると氏康が防ぎ景虎が退こうとすると氏康が攻めて。釘付けになっていた。
その間に越中・信濃から進軍され景虎が動けないので一分の部隊で防衛に回す事にした。
景虎は、義兄政景と景綱に命じて春日山城を守れと言った。
政景達が春日山城に着くとさっさと降伏してしまい。春日山城は無血開城になった。
それを聞いた定満が景虎に春日山城が堕ちた事を伝えた。政景達の謀反は伝えていない。
氏康にも春日山城が堕ちた事を聞き、一仕事終わった。後は付いていくだけだと思った。
定満が自分が殿するから殿は城へと言われ景虎が城へ戻ると。政景と景綱の旗印が有る事に安堵したが織田の旗印を見て裏切った事を知った。
そして景虎は半分包囲されいくらわしでも部が悪すぎると逃げようとしたところ。後から定満と氏康が一緒に来て景虎は完全に包囲された。
定満が全将兵に告げる今なら降伏は認められる。
降伏したい者は、こちらに来いと言うと殆どの将兵が定満の前に集まった。
景虎が叫んでいたが誰にも聞いてもらえなかった。
光秀が景虎を捕らえろと叫ぶと暴れ始めたので、光秀は、景虎を囲んで武器を取り上げた上で両肩とアキレス腱を斬り止血だけして動けない様にした。
光秀は信長から民の不満を景虎にぶつけさせてから殺せと命じられていた。
光秀は、定満にこの冬で飢えで死んだ人が多い村を聞き、景虎を連れて行き村人にこの冬の死者の原因はこいつに有る怨みを持つものは、死なない程度に好きにしろと言って村人達に殴らせた。
光秀は横で殺ろない様にしながら景虎に「お前のおこないの報いだ。お前が聞こうとしなかった民の声だ存分に聞け」と言った。
これをみた定満達は恐怖と民思いを知った。
武士が偉いのでは無く生かして貰っていた同じ人なのだと
これ以降越後で民が苦しめられる事が無くなった。
一通りの近くの村を回った光秀は、ボロボロの景虎の首を切り近くの河原にさらさせ墓を作るのを禁じた。
その間氏康と義信は、越後の降伏しない豪族を滅ぼして回った。
光秀は、景虎の義兄である政景に後を託して信濃に戻った。
氏康と義信も修了しだいそれぞれに戻って行った。
信長は戻って来た義信に領地復帰を認めた甲斐か越中どちらが良いか聞くと義信は、考え金山よりも海が欲しいと言い越中を選んだ。
信玄はそれを聞いて確かに海を望んでいたが発祥の地だぞと思ったが決っていたので何も言えなかった。
昨年正清が周防に放った忍びが戻って来た。陶隆房のクーデターは、失敗し殺されたそうだ
大内義隆から渡された書状をみた見た正清は、正体がばれてる事に驚き丹波を呼んだ。
丹波も書状を見て驚いた。自ら育て上げ認めた者達だった為である。
正清は、正直に信長に報告した。
信長は、流石西国の勇大内義隆だと思いながら貿易しようと掛かれていたので、隆佐に任せれば良いかと正清に許可をだした。
アンケート第三弾
好きな武将と嫌いな武将
因に私は
武田信玄が好きです。
徳川家康が一番嫌いです。
何故ならお前は、信長の何を見てきた
民を慈しむと言いながら規制を多くしたり
鎖国して発展遮るは、大型船潰さして規制するは、幕末迄続いたのが不思議だぞ
約束守らんし。




