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13話 増えたよ四国同盟と市の結婚

アドバイス等頂き有難うございます。

皆さんからのアドバイスも入れられるものはどんどん使わしていただきます。

清秀が長島を取り込んでから三ヶ月がたった。


その間清秀達は、僧兵を口説き落とし件俗して新たな見回り組織を形成した。その給金は、織田が持つことになり有る意味織田の外部組織である。


証恵とは、何度も話し合い長島や輪中からの移住で尾張に有る一向宗の寺や荘園の回復も約束した。

証恵自身も定期的に美濃や尾張の寺を回り不正が無いか確認する事になった。


伊勢・尾張・美濃の三国だけだが、清秀の案で民を大切にする・民を煽らない・御布施の強要をしない・無理な勧誘はしない・争いが有れば見回り組か織田の詰所を頼る・他の寺との揉め事は教義の論争で決着をつける・殺生はしない・等の寺法を作りこれを三国の一向宗の寺に配った。


これを見て長島近隣の非武装の寺は、歓迎し武装した寺を非難する様になる。


これを聞いた本願寺第十世証如は感激しこれを目標にした。ただこの頃の摂津は群雄割拠で有り色々な豪族がひしめき合ったり三好の勢力等が有りとてもでは無いが非武装化は出来なかった。証如はこれを目指すとし、今出来る事の中で一向宗の正常化を目指すのであった。これについては信頼の置ける下間の一族と紀伊の雑賀衆の頭領で通称鈴木孫一にのみ相談した。下間や孫一は、直ぐに調べると言い動き始めた。証如が目指したものは、受け継いだ息子の顕如代になってから完了する事になる。


話は戻り証恵が、始めて美濃に来た際清秀が出迎え信長との会談をし、その際信長は濃姫や茜を紹介して、一緒に食事をしたり城下を回ったりして楽しんでいた。



それから数日後信長達は、雪斎の提案で駿河で3国会談をする事になり美濃を政秀と道三に頼み駿河を目ざした。


信長達と広忠達が遠江迄付いた時、雪斎が向かえに来ており案内を受け駿河を目指した。

旅の中雪斎から北条早雲の孫の氏康を知っているか聞かれ信長と広忠は、名前は聞いていると答えた。


「実は、氏康殿は殿の義弟でな。今駿河にこられておるんじゃよ」と言われ信長は「復興支援と同盟加入の話しですか?」と聞くと「流石信長殿話が早い」と答えた。


この年関東地方は大震災に見舞われ死者は少なかったが逃げ出した農民が多く逼迫していた。


雪斎からの氏康の説明を受けながら関東との貿易をしている手前お客だしなーと信長は考えていた。


広忠も甘味噌を尾張に持ち込み関東で売って貰っていたのでそんなに否定的では無かった。


それに対武田に対して包囲網を引けるのでデメリットも少ないと考えていた。

織田の政策と北条の政策ががっちしたので、後は人を見るだけだと思った。


四人が揃い四国会談が始まった。

最初に義元から北条の同盟に関して聞かれ、信長と広忠は問題無いと答え加盟が決まった

信長は、氏康を見てこの男なら信用できると直感で判断した。


先ず氏康からの復興支援の要請を受け信長は、直ぐに政秀に書状を送り岩田家を兵と共に送れと指示した。


武田対策としては、武田の現状を確認から始まったけど

現状武田が有する国は、甲斐と信濃南部であり甲州金等鉱脈が有る

最近寒冷化の為作物の実りが悪く買っている状態で有る。

民を飢えさせない為に戦を行ってる。

信長は、手法がどおあれ民の為に動いている晴信を評価していた。


「四国で攻めればほぼ勝てるが統治はどうする?

」信長が聞くと。

「家は復興が忙しく余り兵は出せませんが金で貰いたい」

「家はこれ以上領地管理出来ないので金で」

「甲斐は金山有るが作物がなので金で」

「で本音は?」

「「「長尾が面倒臭い」」」

信長は、面倒な事全部俺かよと項垂れるのであった。

一応広忠と義元に「いづれは国替えしてでも領地渡すからな」と戦国時代では考えられない会話がなされた。



その後一向宗の事や貿易の事を話し。

一向宗に関しては証恵を紹介する事になった。

貿易に関しては四国間の関所を無くし尾張から相模迄の街道筋を拡張宿場町して楽市楽座にしていく事が決まった。


信長が一言爆弾を投入した。

それは今の幕府に対しての質問であった。

義元は駄目じゃとしか答えず。

広忠は無言。

氏康は黙って首を横に振る。

信長は、幕府を潰すのでは無く退場して貰う策を考えている。その時は協力して貰うとだけ伝えた。



此により四国合同で武田を攻める事になるが、大義が無いので中信濃の豪族を調略してから救援に向かうとした。


調略は雪斎が担当することになった。


その後岩田家の面々は伊豆・相模・武蔵の国に別れて兵と共に復興支援を行いながら北条家とのパイプ作りや北條の敵対勢力を調べたり。上野に忍びを派遣したりしていた。

三ヶ月程たちある程度復興したのを確認した正清達は、北条家に挨拶してから帰路に着いた。



会議後信長は美濃を攻められ難くするため越中→飛騨→美濃へのルートを潰すため飛騨の江馬氏(モブ)と繋ぎを取った。長尾の進行ルートを潰すためでもあった。


その後江馬氏からの要請を受け信長は、勝家に5千の兵と3千丁の鉄砲で行かせた。


勝家は僅か3日程で三木氏の城を潰して江馬氏に合流した。その際三木直頼と息子の良頼その一族全て殺さずに捕らえて来たのであった。

江馬氏も余りの手際に恐れて織田家に臣従する事になった。


信長は、江馬氏に飛騨より開墾しやすい土地が良いだろうと美濃の墨俣辺りの土地をあたえた。

三木氏には、姉小路の性に戻り公卿に戻れと伝えた。

良頼は、信長から金子を貰い京に邸を構えて小西隆佐と共同で朝廷や公卿対策として置かれる事になった。

この事により広忠・義元・氏康等も京の拠点として利用する様になる。

小西隆佐にしても織田以外に松平・今川・北條との取引ができるので喜んで協力していた。


飛騨の管理を勝家に任せた頃

里子と加奈に子供が生まれた。

里子の子は女で、加奈の子は男であった。

その後清孝に不妊治療を受けていた濃姫も妊娠が解り織田家や岩田家では盛大に祝った。

広忠・義元・氏康からも祝いの品が届いた。

同盟の盟主(言ったら逃げるから言わないが義元達はそう思っている)に子が出来たからである


忙しい天文18年も終わり。天文19年(1550年)

信長は毛利の躍進を抑える為正清に「大内義隆の元に忍びを派遣し陶隆房のクーデターを起こす前に伝えて潰せ」と命じた


正清は直ぐに20名の忍びを派遣した。来年には結果が解るだろうと


この年は勘十郎・蔵之介・犬千代・藤吉郎を元服させて、織田信勝・佐々成政・前田利家・木下家に養子に入れ木下秀吉(後に秀の字は清秀から吉の字は信長の幼名から貰ったとされた)となった。秀吉は養子に入る際寧々と結婚している。


信勝は信長の補佐

成政は信盛の部隊

利家は勝家の部隊

秀吉は清秀の補佐と決まった。


農閑期になり遂に晴信が動いた。

知らせを受けて信長は3国に書状を送り氏康と義元は甲斐に広忠は信濃に進軍要請を出した。


甲斐に進のは義元から3万氏康から5千の合計3万5千の軍勢である。

信濃に進のは織田から3万広忠から1万の合計4万の軍勢である。

義元と広忠は警備の兵だけ残しての全軍である

義元・氏康・広忠には、貿易で織田式鉄砲を輸出して戦力の水増しをしていた。四斤野砲は出していない。火薬等も南蛮から買うよりかなり安いため3国は助かっている。


清秀が証恵と取引して長島の一向宗の信者に作って貰っていた。管理は証恵が信の置ける者に頼んであり余り人の来ない山の中で作っていた。

信者も高録の為喜んで作っている。

その分米の収穫量は減ったが金で買えばいいので領民は問題無しとした。

寺も金回りが良くなってきた農家の子供を入れて学ばせ教えている人数によって織田から援助金が出るのでwin-winの関係ができ農家の子供も学がついていくのであった。

長島の信者の数も多く中村で作るより8倍はできるので輸出も始めたのである。


武田も全軍(1万8 千)を分けて対応しようとしたが、数が違い過ぎる為信濃を捨て甲斐に全軍集めた。


南信濃はがら空きの為直ぐに降伏していった。

中信濃や北信濃の方面に向かう際信長は、兵を4つに分けた一つは北信濃の攻略に向かい長尾景虎に対する佐久間信盛率いる守備部隊1万5千

北信濃を制圧する清秀率いる部隊1万

中信濃を制圧する広忠率いる三河部隊1万

信長率いる本陣5千南信濃にて指揮と反乱抑止

長尾影虎が動き信盛率いる部隊が押されるなら清秀の部隊が合流する更に押されるなら広忠の部隊が合流するという三段構えの作戦で有る。


村上義清が長尾に援軍を要請したが長尾軍5千は、信盛率いる守備部隊に阻まれ抜けなかった。

その間に清秀の部隊に村上義清は降伏していた。

攻められる前に降伏した豪族は所領を安堵され。

攻めこんでから降伏した豪族は所領没収された。


信長は、中信濃と北信濃の攻略後降伏した豪族を全兵と共に南信濃に集め広忠の部隊と共に甲斐に向かった。


信盛と清秀は長尾景虎の対策として残された。


甲斐に集められた将兵は、信濃側・駿河側・相模側・武蔵側・上野側(上杉家)と隣接する国が多い為対応出来ずにいた。

晴信と真田幸隆と山本勘助の3人は取り合えずの処置として駿河側と相模側の防御を馬場と飯富に命じた。


義元は部隊を3つに分けた一つは自ら率いる部隊1万で相模経由で甲斐に入り

雪斎率いる1万で駿河から甲斐に入り

朝比奈元長率いる1万で信濃経由で甲斐に入る事を決めた。

此により氏康率いる5千の部隊は武蔵から甲斐に入る事になった。

義元と雪斎は、それぞれの場所で馬防柵と織田式鉄砲で牽制し自ら前に出て煽りながら時間を稼いだ(流石東海道一の弓取りでる)

義元達が時間を稼いでる間に元長と氏康は防備の薄い城や砦を落としていった。

川中島の戦いが未だの為多くの有名武将が居るが兵が居ない為躑躅ヶ崎館を守るしかなかった。

晴信達が飯富・馬場を呼び戻そうとしたが。

義元達は撤退させずに釘付けにした。

元長と氏康は躑躅ヶ崎館に到着後囲むだけにし信長達が来るのを待った。


信長達は到着と同時に義元や雪斎に連絡して一端下がらせ飯富・馬場の撤退に合わせて悠々と後を付いて行った。

飯富達が躑躅ヶ崎館付近に戻ると館は元長と氏康囲まれており信長と広忠は飯富達に向けて陣形を整えていた。後ろからは義元達が迫っており。手詰まりになり降伏。

その後信長は、飯富を使者にして降伏勧告を出した。

外の兵も降伏した事を知り晴信は降伏を受け入れた。

此により織田家は5国の大大名となった

信長は信晴に対して所領を没収し活躍しだいで所領復帰か海に面した所領を渡すとした。

晴信は了承した後隠居すると言い家督は太郎を元服させて継がせるとした。

信長は、道三と共に後進の育成に力を貸して欲しいと頼み晴信は了承した。

武田の家臣の再編成は難航したが、真田幸隆と山本勘助の手伝いにより何とか終わった。

信長は、信濃は信盛・甲斐は信勝に任せた


晴信は剃髪して信玄と改めて美濃の城下に住まわせた。


信玄との戦が終わり落ち着いたのを見て

清秀と市の結婚が行われた。

そこには、織田家・斎藤家・武田家・松平家・今川家・北条家・姉小路家と各家臣団と一向宗からは証恵が参加していた。


今晩は、岩田清秀でございます。

僭越ながらも本日結婚する事になりました

っておい勘助や半兵衛達何こんな席で戦略会議やってるんだって

えっ信長達もやってんだから良いだろって

イヤイヤイヤ仮にも結婚式ですぜそんな殺伐な話

えっこんな事が無いと集まれない。

まーそうなんだけどさ。

終わってからでも良いじゃんって

よく見ると爺さん迄居るし

孫の結婚だよちゃんと祝えよ

茜の結婚式終わってるから問題ないってくそー


あーなんか庭が騒がしと思ったら勝家さん何試合してるのかな~?

馬場・飯富・秋山・利家・成政・森さん・氏綱って名将ばかりですか(笑)

利家君成政君脳筋にしない為にちゃんと勉強したでしょうちゃんと祝ってよ~(泣)


証恵と秀吉位だよちゃんと祝ってくれてるの

なんて事がありました。ちゃんちゃん♪



初夜が終わり信長に挨拶に行くと信長がニヤニヤしながら「さくぐむっもがもが」と清秀に顎を捕まれ「それ以上は言わせねぇ、言ったら割るよ!お・に・い・さ・ま」と脅されていた。


その後、義龍を矯正(調教)している清孝の元に道三と信玄が含まれる様になり尾張の中村に織田学校(元服後)ができた。

これを聞いた義元は即日氏真を放り込んだという。


元服前の子供が通う幼稚舎もでき此方は純子を筆頭に里子・加奈・茜・市・濃姫・寧々等女性陣が教え、稀に清秀達が武術を教えに来ていた。


さぁそろそろ助けた武将が多すぎて解らなくなってきましたが。


今回のクラッシュは武田関係ですね。

川中島は全て・義信君殺・竹千代君の脱糞(三方ヶ原の戦い)・長篠の戦い等々かなり変わりました。


遂に今川氏真君も義元に放り込まれました。道三と信玄が増えたので更に苛烈になると思われます。(ブルブル)


アンケート第2段

あなたなら長尾景虎をどうしますか。

因に樋口家と景勝の親は助けます。

1コロコロ(自分的にはこれ)

2晴信助けたし助けとこうぜ

3城を枕に自刃

4特攻玉砕(性格的にはこれ)

5他国に逃げる

結果は次回

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