表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/33

12話 義龍の反乱と願証寺

本日2話目

ストーリー考えるのに頑張りました。

一益や百地党が来てから1年がたった天文18年(1549年)

信長(16歳)と茜(13歳)の結婚が発表された。茜は側室で有ったが城で結婚式をする事になった。

この時濃姫も喜んだ。この2年と少しの間茜と濃姫は姉妹の様に過ごしていたので有る。(勿論市や犬も一緒で有る)


この年里子から家族に妊娠したと発表が有った。

正清達は喜んだが清一だけ嬉しいんだが微妙に喜べ無かった(この年に成ってからの弟か妹かよ)実際の年齢なら41歳になる為である。

その際加奈からも同様の報告がされ更に盛り上がる事になった。

清孝から「里子さんは実年齢と今の見た目の年齢は高齢出産になるので気を付ける様に」とだけ無茶をしない様に釘を刺した。

信長は義叔父or義叔母と義弟or義妹が出来る事を喜んだが信秀から側室の妊娠と出産の話が来た時何やってんだくそ親父と殴りかかった。知らない間に弟達が出来ていたからである。


そんな感じで始まった天文18年で有った。


信長は内政の進捗状況を確認の為家臣を集めた。

その中には松平広忠の姿も有った。

先ず三河から聞こうと言って広忠の報告を促すと

広忠は「三河ですが、・・・」

要約すると街道の拡張は完成し城も出来た。現在は美濃方面の道の整備をしているのと信濃との境にも築城している事。

街道の整備に伴い経済が上向いて来ている事。

曹洞宗との繋がりはでき西三河での説法をして一向宗も減っている。ただ東三河に人が偏り始めていると問題点も報告した。

一向宗と繋がりの有る豪族が改宗しない為農民が逃げ出して一向宗と関係無い地域に行く為である

西三河にも一向宗以外の豪族は要るが未だ数が少ないので服部を使って一向宗の悪い噂をばら蒔けと広忠にアドバイスした

「三寺の遠い所から〇〇の所で一揆するぞと脅され妻や娘をさらわれたとかお布施が少ないと屋敷の回りを僧兵に囲まれた。このままでは破滅する改宗するしか逃げられない。」と。

広忠は直ぐに開始しますと言って横で控えていた酒井忠次を走らせた。

次に正清が指名され尾張の経済状況が聞かれた。

正清は西尾張の経済は上向き時計やマッチの作成に成功堺での取引が始まった事を伝え有る人物を紹介するとして呼びに行かせた。

その者は商人であって有名小西隆佐であった。

未だ結婚はしていない(天文20年にフランシスコ・ザビエルの京都滞在時の世話役でその後キリスト教に入信する妻も敬虔なクリスチャンで有った)

正清は時計やマッチの販売を任せる事になったと紹介する。

正清は隆佐を使って時計を献上品として帝に送った処大変喜ばれたとの報告もした。

隆佐を公卿との取り次ぎ役に任命して欲しいと信長に訴え。信長も了承した。


他の将や文官からの報告が有り最後に政秀から

蟹江付近の一向宗信者の数もかなり減り輪中の民も安全な地域へ異動しています。

輪中の持つ技術使い尾張川の治水もほぼ完了しています。

一向宗は現在蟹江城のごく近い村のみのになっていた。

三河の一向宗が無くなり次第蟹江を攻めるとして話が終わった。


信長は政秀と正清・清一・清秀・信盛・勝家・村井貞勝等信長が信を置くものだけを呼んだ。

勝家は信長の当主着任と共に信長付きを離れ軍部に戻っている。

信長全員が揃うと話し始めた

「正清からの報告では蟹江が動き始めたそうだ」

それを聞き相談が始まった。

弾薬は百地の村でも作り始めたばかりだから未だ信友との戦迄に使った分まで戻っていない。

蟹江だけなら足りるが長島がでばって来たら厳しい等話し合われた。

現状鉄砲の増産と金の工面は終わっている。

現在尾張内に鉄砲1万5千丁四斤や砲が50台有り常備兵も2万迄増えていた。

清孝の考案で医療部隊も50名を越えていた。

孤児達を集めた学校を作り教育し男で忍び適正が有るものは百地党に預けられ、力の強い者は兵として育て、頭の良いものは文官や医療部隊に配属された。女児は育ったら将や兵との見合いが有り嫁として嫁いで行った。

中には農家の食い積めた子供も居て孤児の振りをしているものもいたが不問にされた。


蟹江城の手前に陣を置いて6千の兵で専守防衛に徹する様に徹するとした上で桑名の町を仕切っている商人に繋ぎをとり長島との分断する様に正清に命じた。


この年全国を驚かせる事が起こった。

信長と松平と今川の三国同盟が締結されたのである。

今川との同盟は信長達を2年程見て話し合いを重ねた雪斎が言い出し今川に書状を出す事になり

使者は政秀が赴く事になった。


雪斎からの書状を読み義元は同盟を受け入れた。

織田と今川は、対等な同盟である。

松平はどちらかが戦に行くときはついて行き金品を貰う傭兵として動く事になった。精強な三河武士と見込んでの起用である。

領地は増えないが潤い町も発展して行く事になる


今川にしても回りは北条と武田が居るので三河や尾張からの援軍は助かるので有る。

その後数年で今川家との交流が増え産物や技術交流が行われ三国の有る東海道は戦国時代では考えられない発展を遂げる(正清や清一が頑張った為である)


蜂須賀党に行っていた藤吉郎が戻って来た。

清秀が顔繋ぎ出来たか聞くと「調略出来ました。」と返事をして清秀は驚いていた。

清秀は藤吉郎が集めた美濃の情報を聞き準備を始めた。




一方蟹江城は攻め込もうとしたが、勝家率いる防衛部隊に阻まれ、一月を過ごしていた。


美濃では、蟹江に同調する様に義龍が叔父の長井道利と日根野弘就と共謀し自分は土岐頼芸の子で土岐義龍であると名乗り美濃は自分が継ぐべき者だと主張し内乱が始まった。

この時美濃三人衆と言われる氏家・稲葉・安藤と義龍を諌めたが聞き入れられずに追い出された。

三人衆は義龍に同調した豪族に囲まれ動けずいた。

これを聞いた信長は、直ぐに清秀と長秀に命じて援軍に兵1万を向かわせ光秀に本当に使える主を考えろと書状を出した。その後残りの4千の兵を率いて墨俣に向かった

長良川沿いで対陣していた義龍達で有ったが素早く送り込んできた信長の援軍に驚いたが数の上では未だ上だと思い攻めかかった。


清秀は、着陣すると道三に挨拶に向かった。

道三の陣内では援軍が来た事に士気は戻った。

清秀は道三にたいして「ちーすお助けに参りました」と物凄く軽い挨拶をして道三を含めてその場にいた全員にあきれられた。

しかし悲壮感が漂っていたのが無くなっている事に道三は気付きこやつ出来ると評価を上げていた。

清秀は道三に敵を追い払うのか殲滅するのか聞いた。

道三の家臣達から、「野戦なのだぞ未だに兵の数は不利追い払う事すら出来まい。」と否定されたが清秀は「万出来るよなぁ」と長秀に問いかけた。長秀は「キヨさん出来ますけど、普通は無理としか思いませんって」と呆れながら答えた。

「やれるものならやってみよ」と道三達から殲滅の許可を貰った清秀達は直ぐに準備を始めた。

それから義龍側が攻めて来たのは1時間後であった。


義龍達の先陣が後50mになった時点で清秀が声をあげた3千人を横に3列並べて残りを補給部隊として三段打ちを始めた。

本来ならそんな事は必要無いので有るが道三達が見ている為あえて性能を見せない様にしたのである。

3千もの同時打ちに物凄い轟音が響く上ドンドン敵が倒れていくのを見て道三は織田はここ迄凄まじいのかと寒気がしたと言う。

義龍達もこんな展開は想像出来ず力押ししかできなかった。

かなりの損害が出始めた義龍達は突撃を辞めさせにらみ合いになっていた。


光秀は道三と義龍の間で迷っていたが信長の書状を読み道三の援軍に立ち上がった。

光秀はにらみ合いをしている両陣を見て義龍の方の被害を見て驚いていたが稲葉山城の方から横槍を入れた。


それが見えた清秀は全軍に突然を命じた。

一益と長秀が先頭で指揮を取りながら攻めかかって行き

義龍達は大混乱に陥り足軽達の離散が相継ぎ数も減ってしまったので撤退を決意するも稲葉山城方面は光秀がおり長良川に逃げるか墨俣方面に逃げるかしか無かった。義龍達は墨俣方面に逃げる事を決め行動開始し何とか逃げる事は成功したがついて来れた兵は僅か千5百程になっていた。


逃げる義龍達を見て清秀は道三達の元に向かって行った。

道三達は光秀の横槍が有ったはいえ本当に勝ってしまったのでどお言えば良いのか解らずあっけにとられていた。


墨俣に向かった義龍達で有ったが、信長率いる4千の兵の待ち伏せを受け降伏した。


義龍達を捕まえた信長は、そのまま稲葉山城に向かい清秀達と合流してから稲葉山城に入った。

信長は道三にたいして援軍の為とはいえ不可侵の約定を破った事を誤り道三は問題無しとした。


その後清秀達は、三人衆と協力しながら義龍に加担した豪族を潰して回り反道三の勢力を美濃から追い出した。


道三は、長井利道や日根野弘就等を切腹として処分し義龍と面会した。


道三は、何故利道達の口車に乗り反乱したのか聞くが義龍は、親父が耄碌してこのままでは破滅すると思い乗ったと言った。


道三は、息子とはいえ反乱した者を生かしては置けないと切腹を命じたが、信長に止められ岩田家(清孝による再教育現在勘十郎君が完了間近)に預ける事になった。


その後道三は、美濃を織田家に譲り隠居すると言い出し信長は、孫四郎や喜平次がいるからと固辞したが、孫四郎達も道三の意見に賛成した為美濃は織田家の物になった。


孫四郎達や斎藤家家臣達も織田家に再編されて各部署に割り振られた。


信長は稲葉山城を本城に変更する事を宣言し、尾張の管理は清秀に命じた。

「そんな面倒な事を俺に回すな!!」と普通の将なら喜ぶ処を、怒りながら信長に殴りかかり信長との殴り合いになり斎藤家の元家臣達が慌てていると長秀から何時もの兄弟喧嘩だから掘っといて大丈夫と言ったので取り合えず放置した。


岩田家を尾張から離し難いので、管理を任せようとしたのだったが、まさかの拒否に信長は思わず殴り返したのが真相で有った。


二人の折衷案として正清が管理する事になったが正清から「過労死させるつもりか」と二人は殴られ、最終的に信盛が管理する事になった。


信長は、本願寺に書状を送った。

攻めて来たのは一向宗信者の服部友貞で有る。

本願寺は、他の信者を先導して理由も無く攻めてきた服部友貞をどうするんだ?と書いていた。


これを見て本願寺第十世証如は、自分の欲の為信者を先導するとは何事かと怒り服部友貞を破門すると宣言し信長に書状を送った。


一方蟹江城の方は、勝家は専守防衛を続け被害が少ない様に戦を進めていたが、信長から相手の撤退に合わせて打って出ろその際に服部友貞は破門になったと兵に叫ばせろと指示が来たのでいつでも突撃できる様に準備していた。


蟹江城城主である服部友貞は、何時まで経っても抜けない勝家の軍を苛立ちながら見ていた。

そんな時、美濃が落ちた事を知り友貞は、信長達が戻って来ると思い撤退を決めた。


撤退の動きを見せた友貞の軍を、今まで我慢していた勝家の軍が動いた。

勝家の軍が「服部友貞は破門された!一向宗の信者は去れ」と叫びながら突撃してきたので信者は混乱して散々に逃げ始めた。

服部友貞は「虚偽である」と逃げながら叫んだが信者は逃げるのに必死で聞いて無かった。

友貞は、蟹江城に逃げられずに長島城に逃げ込んだのである。勝家が蟹江城に入った頃、急ぎ応援に来た清秀達は、友貞が長島方面に逃げた事を聞き勝家に回りの村を回ってくれと頼んだ後長島城に向けて進軍を開始した。


清秀達は長島に着くと各寺に書状を送った。

本願寺第十世の証如様が服部友貞を破門された。

一向宗の信者は証如様が破門された者を庇わないよな?と言った内容である。

各寺の坊主からしたら本当に破門去れてたら自分達迄破門されるけど、もし嘘だったらと思い本願寺に確認した。その間清秀達は、長島城を囲み寺には手を出さなかった。

本願寺からの文で友貞が破門された事を確認すると僧兵達も清秀に協力して長島を囲み始めた。


友貞は、何故僧兵迄織田に協力して囲み始めたのか解らなかった。


清秀は、罪のない信者を助ける為として願証寺のトップ証恵に降伏勧告を頼んだ。

証恵は、長島城に向かい門兵に友貞に話が有るので取り次ぎを頼んだ。

訳も解っていない友貞は、直ぐにお呼びしろと兵に命じた。

証恵と共に来た僧に信者の保護と友貞の破門を伝える様に頼み一人で友貞の元に向かった。

証恵と対面した友貞は、事情を聞き始めて破門された事を知り、激怒して証恵に斬りかかった。

証恵は、何とか斬られずに逃げて共に来た僧と合流して清秀の元に向かった。

信者も続々と城から出て来て、城に残された兵はごく僅かで有った。


証恵が出て来たのを見た清秀は、城門前に異動して武将各の者や友貞の縁の者が居ないか確認して行った。


信者が出て来るのが少なくなった所で、清秀は歯向かう者だけ切れと命じて城に攻めこんだ。


城には、百人も居らず直ぐに制圧された。

友貞は、抵抗虚しく清秀に切り捨てられ命を落とした。


その後清秀は、協力してくれた証恵を始めとした僧達を呼んで料理を振る舞った。


その席で清秀は、証恵に一向宗のライバルである天台宗の事や比叡山の事等愚痴る様に話した。

話の合間合間に一向宗は協力してくれた良い宗教だと言いながら。

その中で坊主が町に降りて女を拐ったり、商人を襲って金品を奪ったり、等々を話し証恵も同調しながら話を聞いていた。

僧が自衛の為信者の為に武装するのは、仕方ない時代だったと思う。

だが織田は違う民を守る為に戦っている。

証恵は、確かに信者を逃がす為に協力してくれたし、粋なり雪崩れ込まずにちゃんと話をしてくれたと思うのだった。

尾張の一向宗は残念ながら私腹を肥やした僧がおり、その者のせいで信者が改宗してしまったみたいだが。織田としては宗教も大切に保護したいと思っている。なので尾張の一向宗の誰もいない荘園も手を出さずにいます。僧の方が戻って来て貰いたい位です。無いとは思いますが、念のため武力は持ち込まないで頂きたい。

それにこれからは、この長島や・桑名も織田がちゃんと守りますし安心して教義に進んで欲しいと切実に訴えた。

それを聞いた証恵は、了承してし破った者は破門にすると迄言ってしまった。

慌てたのは私腹を肥やした者達であり、取り下げを願い出た。(証恵は真面目に教義を信奉しており民を大切にする人だたった。その下の幹部は腐っていたが)

余りの必死さをおかしく思い信の置ける僧兵に取り押さえろと命じた。

後日証恵が調べたところもう山の様な数に怒りを忘れてあきれ返ってしまった。

これは信者が減っても仕方ないと思ってしまった。

証恵は、原点に戻る事を宣言し尾張・美濃・伊勢の一向宗の信者は、織田家に対して感謝するのであった。


清秀は、商人や豪族の子供の学舎として寺を使えば収入も入るし入信するものも出るのではないかと提案し証恵は採用した。


これにより証恵は、清秀と言う友を獲た事を喜んだ。


と言う事でサクッと美濃を取り

長島一向宗の無力化をしました。


清秀君口だけで取り込んでしまいました。

信長に皆殺しとかさせたく無かった為です。


本日のクラッシュは、墨俣一夜城・道三の死・長島一向一揆・甲相駿三国同盟です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ