5 - 全滅 -
赤い渦は道幅まで膨れ上がると、内側から押し広げられるように歪んだ。
「全員固まれ! 何が出るか分からんぞ!」
ベテランの声に従い、俺たちは散らばっていた位置から寄り集まる。さっきまで餓鬼相手に苦戦していた少年も、今度は言われるまでもなく警戒態勢だ。
やがて光の中から、大きな足が突き出した。だが指は三本しかなく、灰色の皮膚には鉄屑のようなものが無数に突き刺さっている。それが石畳を掴んだ直後、ずんぐりとした丸い身体が飛び出してきた。
巨大な単眼に一本足。身体から生えた二本の手には金槌が握られている。
《中級怪異――一本だたら》
「中級……?」
誰かが呟く間にも同じ怪異が三体現れ、俺たちを囲むように散開した。
「低級ダンジョンじゃなかったのかよ!」
「おそらく《裏返り》だ! 全員ゲートまで撤退しろ!」
その言葉を聞いた瞬間、俺は固唾を呑んだ。
裏返り。一度は低級と判定された『裏世界』が、攻略の途中で内部構造や出現する怪異ごと難易度が上昇する現象だ。しかも厄介なのは、変化の兆候を掴めないところである。つまりは出たとこ勝負で格上の怪異と戦う羽目になるのだ。
だから護法使いの間では、裏返りの時点で撤退するのが鉄則となっている。
今回も、そうなるはずだった。
「な、なんだこれ、ゲートに近づけない!?」
背を向けて撤退していた誰かが、目の前の虚空に手を這わしていた。
見えない壁とでも言おうか。手で触れるたびに光の葉脈が現れている。
「不来方氏。これは……」
「クソッ、結界だ!」
逃がすつもりはねぇってか。なら、発生源を断てばいい。
「どっかに術者がいるはずだ! そいつを――」
「残念だが、そう簡単にはいかなそうだ」
ベテランの声に遮られ、俺は彼の視線の先を追った。
渦巻く赤光の向こう。そこから重たい足音が聞こえてきた。
まず現れたのは、錆びた鉄板を重ねたような脛当て。続いて全身を甲冑で包んだ三メートルを優に超える巨体が、赤い光を押し退けながら現れた。
《警告》
《上級怪異――牛頭獄卒》
兜の下から覗く頭部は、人間ではなく牛そのものだった。額から伸びる二本の角が外へ張り出し、鼻梁には古い傷跡が幾筋も走っている。鼻孔から漏れる息は白い蒸気となり、歯の隙間からは獣じみた唸りが響いていた。
一本だたらが兵卒なら、さしずめこいつは大将といったところか。
「上級、だと……ッ!?」
ベテランの顔が青ざめていく。
「メダマ、救援要請!」
『送信ニ失敗』
「何故だ!?」
『原因不明デス』
「くっ、こうなったら……」
ベテランが斧を握り直しながら叫んだ。
「お前たちは二人一組で一本だたらを引き受けろ! 牛頭獄卒は俺が止める!」
最初に現れた個体を含めれば、一本だたらは全部で四体。言われた通りに二人ずつ組めば、どうにか数だけは合わせられる。しかし――
「待ってくれ、それじゃあ一番危ないのあんただろ!」
思わず口を挟むと、ベテランは笑みを浮かべながら俺を見た。
「《裏返り》が起きれば外にも異常は伝わる。救援が来るまで耐えればいい」
「でも相手は上級だぞ!?」
「俺はこれでも中級護法使いの上澄みだ。君たちよりはうまくやるさ」
そう言ってベテランは歩き出した。まだ顔色は青く、怖くないはずがない。それでも俺たちを生かすため、自分から一番危険な相手を引き受けている。
日銭欲しさに戦う俺とは違う。ああいう人を "ベテラン" と呼ぶのだろう。
「不来方氏、こちらも来ますぞ!」
「ああ!」
八雲と組み、迫ってきた一本だたらを迎え撃つ。《瞬歩》で金槌をかわし、《一文字切り》を放つ。傷は浅かったが、続く八雲の《穿突》が巨体をよろめかせた。
「二人なら何とかなりそうですな!」
「倒さなくていい、時間稼ぎだ!」
周囲でも三組がそれぞれ相手を引きつけ、その奥ではベテランが牛頭獄卒の薙刀を紙一重でかわしながら斧を振るっていた。勝てるとは思えない。それでも上級怪異を一人で食い止める姿を見ていると、本当に耐えられるのではないかと思えてきた。
だが、その期待は続かなかった。
最初の一人が金槌を受けて倒れたことで、二人一組の均衡が崩れた。そこからは雪崩ごとき劣勢だ。攻撃を受けるたびにメンバーが減るほど負担が増え、また一人と敵に倒されていく。初心者の少年も脚を砕かれ、助けを求めながら脳天をカチ割られた。
「クソ……ッ!」
助けたかったが、離れれば八雲が死ぬ。刀を振り続けるしかない俺の耳に、仲間たちの悲鳴が次々に届いた。
『現在ノ同時視聴神数、四十八』
「増えてんじゃねぇ!」
「神々にはさぞ見応えがあるのでしょうな!」
「趣味悪すぎだろ!」
八雲も息を切らしていたが、いつもの調子だけは崩さない。その声を聞いている間だけは、死ぬという恐怖を忘れられた。
やがて、金属が砕ける音が響いた。
振り向けば、ベテランの斧が折れていた。牛頭獄卒の薙刀が、男の脇腹を深く裂いている。それでもベテランは倒れず、残った柄だけで戦おうとしていた。
「おっさん!?」
「構うな! 生き残れぇ!」
それが最後の言葉になった。振り下ろされた薙刀が、ベテランを真っ二つにした。
胸の奥が急速に冷えていく。あれだけ強くても死ぬのだ。覚悟があっても、誰かを守ろうとしても、力が足りなければ瞬き一つの間に。
「不来方氏!」
八雲に突き飛ばされて我に返った。直後に一本だたらの金槌が横薙ぎに走り、俺の代わりに八雲の脇腹を打つ。細い身体が地面を転がり、石灯籠へと激突した。
「八雲!」
俺は一本だたらへ斬りかかり、必死に注意を引こうとした。しかし中級怪異の身体には浅い傷しかつかず、その間にも牛頭獄卒が倒れた八雲に歩み寄っていく。
「立て! 八雲!」
「ぐ、おぉぉ……」
槍を杖にしようとしても、脚に力が入ってない。
俺が助けに向かおうとすれば、一本だたらが進路を塞ぐ。
「どけよ!」
何度刀で切りつけても通れない。やはり低レベルじゃろくなダメージも与えられない。クソ、こんな事なら真面目にレベル上げてりゃよかった。
牛頭獄卒が薙刀を振り上げる。
「逃げろ、八雲ォッ!」
八雲は、割れた眼鏡越しに俺を見た。
「不来方氏。某のパソコンのDドライブ、頼みましたぞ」
「こんな時に何言ってやがる! 自分で消せ!」
「それも……そうですな……」
八雲が苦笑した直後、薙刀が落ちた。
轟音と土煙。それが収まっても、八雲は起きてこない。
さっきまで馬鹿話をしていたヤツは、もうこの世にいない。
「ふ――ざけんなァァァッ!」
気がづけば俺は、一本だたらに斬りかかっていた。《戦技》も間合いも関係なく刀を振り回したが、怒りだけで格上に勝てるはずもなく、あえなく金槌に殴り飛ばされた。
背中から石畳に叩きつけられ、ついに刀を放してしまう。
――《肋骨複数骨折。内臓損傷》
視界に現れた《ステータス》が絶望を煽る。
一本だたらはすぐにトドメを刺さず、倒れた俺を蹴り転がした。起きようとすれば殴られ、逃げようとすれば別の個体に踏みつけられる。
完全に遊ばれていた。
その行いが、昔の記憶と重なっていく。
机と壁の間に追い詰められた教室。床に散らばった鞄と教科書。周囲から浴びせられる笑い声。言い返せば殴られ、黙れば今度はその反応を面白がられた。
いつからか俺は、何かを望むことさえやめてしまった。
必死になれば笑われる。奪われる。それなら最初から何も望まなければいい。
だから人生なんて、死ぬまでの暇つぶし。そう思って生きることにした。
「――違う、だろ」
髪を掴まれ、無理やり顔を上げさせられる。
滲んだ視界の向こうには、八雲が死んだ場所があった。
昔と同じだ。誰かに好き勝手され、虐げられても反抗できない。そのたびに諦め、何も望まない人生を選び、傷つくことから逃げてきた。
「そうじゃ……ねぇだろ……」
怒りが向いたのは怪異だけではない。
何より、そうやって逃げ続けてきた自分が許せなかった。
何も欲しくなかったんじゃない。欲しがったものを奪われるのが怖かっただけだ。
何もしたくなかったんじゃない。必死になった自分を笑われるのが怖かっただけだ。
『現在ノ同時視聴神数、百三十七』
神々は今も、地面を這う俺を見ている。
一本だたらが金槌を持ち上げた。
「……ほしい……」
どうせ死ぬなら最後くらい、心から本音を。
「……力が、ほしい……」
喉に血が込み上げようと、今度だけは言葉を飲み込まない。
「もう誰にも奪わせない、誰にも負けない――俺だけの "力" がァ!」
それは初めて、自分から欲しいと口にした願い。
振り下ろされる金槌。死を覚悟した思考。時間が引き延ばされるような感覚の中、俺は耳に心地よい鈴の音の声に瞠目した。
それは、無邪気な少女の声で――
「では、その願い。叶えようじゃないか」




