2 - セイブ・ザ・モンスター -
俺にとって人生とは、死ぬまでの暇つぶしだ。
夢はない。野望もない。有名になりたいとも思わない。
飯を食って、漫画を読んで、アニメを見て、ゲームをする。
たまに働いて、その金がなくなりそうになったら、また働く。
それを繰り返しているうちに寿命が来るなら、それで構わなかった。
二十歳。高校卒業。独身。趣味は漫画、アニメ、ゲーム全般。
身長は百七十三センチ。体重は九十を超えてから量ってない。鏡を見るたびに痩せようとは思うのだが、その決意は大抵、腹が減るたびに負けてきた。
自慢できるところは特にない。
強いて言うなら――
『天覧ノ準備ヲ、完了シマシタ』
俺の隣を浮遊している髑髏が、突然しゃべった。
人間の頭蓋骨を一回り小さくしたような姿。ただし眼窩は一つしかなく、その奥では青い火がチロチロと燃えている。髑髏の周囲にも同じ炎が纏わりついていた。
「よーし。それじゃ始めるぞー」
『天覧ヲ開始シマス』
俺の視界の右上に、表示が現れる。
《DIVINE AUDIENCE》
《同時視聴神数:一》
「一柱か」
寂しいが、いつも通りだな。
「今日もよろしく、神様。できれば現金になるやつね」
『露骨ナ投ゲ銭要求ハ、推奨サレテイマセン』
「要求じゃない。れっきとした営業だ」
『詭弁デス』
「お前、なんでそんなに冷たいの?」
『血ガ通ッテナイノデ』
「あっそ」
相変わらずのやり取りだ。
この単眼髑髏の名は "メダマ" 。
俺が覚醒者になったとき、《ステータス》と一緒に現れた。神々への配信をするときには突然出てきて、映像も音声も勝手に送ってくれる。
それだけなら便利なのだが、どういうわけか受け答えができる。なのであれこれ聞いたり、お願いすることもあるが妙に融通が利かないのが難点だ。
まあ、いろいろと便利なので良しとしよう。
俺は日本刀の位置を直しながら歩き出した。
刀はベルトで括り付けて左腰に。世界改変に伴い、銃刀法諸々の制約は改定されているので捕まることはない。それでも武器の所持は覚醒者限定だが。
今日の目的地までは徒歩十五分。内容は低級『裏世界』のレイドだ。
その前に腹ごしらえしたかったが、金が無いのでお菓子で我慢する。
俺はチョコバーを取り出して食べ始めた。空腹で戦うよりはマシだ。
夕方の住宅街。道路には走行中の車。制服姿の高校生が自転車で横を通り過ぎ、スーパーの袋を提げた主婦が向こうから歩いてくる。
ここだけ見れば、ごく普通の東京。十年前と大して変わらない。
ただし、ある一点。そこだけはどうしようもなく非日常だった。
「あ?」
道端から、ばさばさと羽ばたく音が聞こえた。
見ると、電柱脇の植え込みで三羽のカラスが何かを取り囲んでいる。
最初は生ゴミでも漁っているのかと思った。ところが一羽が嘴を振り下ろすたび、黒い塊がぷるんと震え、必死に逃げ回っている。
「むにゃ……むにゃ……っ!」
真っ黒なスライムのような身体は、赤子の頭程度の大きさ。その中央には白い単眼があり、黒一色の虹彩には縦長の白い瞳孔が走っていた。
怪異だ。別に珍しくもない。今の日本では、ああいうのが普通に生息する。
もっとも、こんな時間に堂々と姿を見せるのは人間に友好的か、そもそも人間を襲えるほど強くない連中が大半だ。
目の前のこいつなど、その最たる例だろう。
「カァッ!」
怪異だからといって、すべてが人間より強いわけじゃない。カラスに嘴で突かれても、反撃どころか逃げることさえできないヤツもいる。
「むにゃぁぁ……っ!」
身体を伸び縮みさせ移動するものの、どう見てもカラスの方が速かった。
「何やってんだか」
別に助ける義理はない。この世界じゃ、怪異同士どころか動物に食われることだって普通にある。それも自然の一部と言われれば、それまでだ。
俺は黙って通り過ぎようとした。
「むにゃあぅ……」
だが、背後の縋るような泣き声に足が止まる。
――また何か言ってるぞ、こいつ。
不意に、聞き覚えのある笑い声が蘇った。
夕方の住宅街が一瞬だけ遠のき、代わりに薄汚れた上履きが視界の端に並ぶ。机と壁の間に追い詰められ、何人かに囲まれていた自分の足元。
嘲笑。肩を殴られる痛み。床に落ちた鞄。
何か言い返したはずなのに、それが余計に笑いを大きくさせた恥ずかしさ。
「…………ッ」
俺は奥歯を噛んだ。もう三年近く前のことだ。
今さら思い出したところで、どうにもならない。
分かっている。分かっているのに、カラスに囲まれた黒い怪異が、あの頃の自分と重なって見えた。
「……くそ」
俺は振り返り、落ちていた小石を拾った。
「おら、散れ散れ。焼いて食うぞ馬鹿ども!」
勢いよくカラスの近くへと投げつける。
カツン、とアスファルトで跳ねる音に一羽が飛び退き、もう一羽も俺が鞘を振り上げると、ようやく黒いスライムから離れた。
「カァ!」
カラスたちは不満そうに鳴いたあと、どこかへと飛び去っていく。
残された黒い怪異が、道路脇でぺしゃりと潰れていた。
「生きてるか?」
「むにゃ……」
白い一つ目が、ゆっくり俺を見上げる。
傷つけられた場所が欠けているものの、血らしいものは出ていない。しばらくすると身体は盛り上がり、欠けた部分を埋めるように元の形へと戻った。
「便利な身体だな」
『未登録ノ怪異ト推定』
肩口に浮かぶメダマが告げる。
「お前でも分からないの?」
『該当情報、僅少』
「ふうん」
珍しいのかもしれない。だからといって、俺には関係ないが。
「もう捕まんなよ」
立ち上がろうとすると、足首に冷たいものが触れた。
「ん?」
黒い怪異が、俺のサンダルに身体をくっつけていた。
ぷるぷると震えながら、一つ目だけで見上げてくる。
「むにゃん」
「今ので懐くのかよ」
足を振る。が、離れない。
「助けただけだ。飼わねえぞ」
今度は少し強めに振ると、ようやくぽとりと地面に落ちた。
黒い怪異はその場でぷるんと弾み、また俺の足元まで寄ってくる。
「はあ、たくっ」
しゃがんで、俺は食べかけのチョコバーを差し出した。
「俺には用事があんだよ。これやるから帰れ」
言葉が通じているかは分からない。
だが黒い怪異は、しばらくチョコバーを見つめてから噛りつくと「むにゅう」と嬉しそうな声をあげて俺から離れていった。
ぷるん、ぷるん。跳ねながら植え込みの中に消えていく。
「変な奴」
『現在ノ同時視聴神数:2』
「お、一柱増えた」
どうやら今のやり取りが好きな神がいるらしい。




