第5話 貯木場の一日
道具のすべてが、山に生きる者の第二の命だった
七十年前の台湾の山林には、まだチェンソーもなければ、ショベルカーやクレーン車もなかった。伐採はすべて、一双の手と一挺の斧、そして世代を超えて受け継がれてきた山の経験だけが頼りだった。
特に標高千五百メートル以下の低山帯にある林班(伐採区画)は、樹種が入り乱れ、木々によって性質もまったく異なっていた。石のように硬いものもあれば、しなやかで曲げに強いものもある。天を突き刺すほど真っ直ぐなものもあれば、根も幹も複雑に絡み合い、無数の瘤に覆われたものもあった。一本一本の木が、それぞれ異なる姿形をしていた。それゆえ、本当に山で生計を立てようとする者は、大抵が少年の頃から師匠に弟子入りして技を学んだ。十五、六歳の子供では、師匠の導きがなければ、そもそも山場で一人で生き残ることすら不可能な世界だった。
鉈、鋸、斧、木楔、トビ、変槓、太い麻縄……。多種多様な道具は、その用途に応じてそれぞれにこだわりがあった。木こりたちと長年苦楽を共にしてきた器具の木柄は、汗に磨かれて鈍く光り、鉄の刃先は冷ややかな光沢を放っていた。山に生きる人々にとって、それらは単なる道具ではなく、命を繋ぐための第二の命そのものだった。
日本統治時代、日本政府は各州庁に山林事業所を設置し、林班地の開発と伐採を管理していた。それぞれの林班はすべて公開入札にかけられ、民間の木材商が請け負って経営していた。




